2022年 教師像の大転換が求められている(鈴木寛) – 教育新聞

2022年-教師像の大転換が求められている(鈴木寛)-–-教育新聞 花のつくりとはたらき
東大・慶大教授 鈴木 寛

ICT活用の格差の背景に、教師の納得感の違い

 昨年、全国の小中学校にタブレットなどの情報端末とWi-Fiによる通信環境が整備されたけれども、今度はそれらICT機器の使いこなし方を巡って、大きな格差が付いている。極端なことを言えば、まだ箱に入ったまま封を開けてないという学校や、生徒にそうさせている教師がいる。プレインストールされたコミュニケーションツールだけを使っている学校もある一方、いわゆる教育支援ソフトが入っている学校も多い。この教育支援ソフトの使いこなしについても、現状では相当な差が出ている。

 これは、ICT機器を活用した学びに対して、納得している教師と納得しきれていない教師の格差だと思う。納得できれば、日本の教師は真面目なので努力するし、周囲には誰か助けてくれる人もいる。最近の教育支援ソフトはよくできているので、操作性に苦しむこともないだろう。そうすると、学校現場のICT活用に格差があるのは、結局、教師の納得感の問題になる。教師像の違い、あるいは学校像、教育像の違いから、ICT活用の格差が生じていると言っていい。

 私は「公正な個別最適化」を提唱した者として、教師は、単にスローガンではなく、物理的に一人一人の子どもと向き合うための時間を圧倒的に増やすべきで、そして、それを可能にするための教育のデジタル化だと考えている。大事なのは、公正な個別最適化と協働的な学びを実現することであって、教育のDX(情報化・デジタル化)は、それらを実現するためのあくまで手段である。目的に納得しなければ、手段の導入は進まない。

 子どもたちは教育を受ける者ではなく、自発的で自律的な学習者となり、教師は学習支援者になる。そのためには、それぞれ、生徒と教師が相互に話し合い、納得して個別最適に学びをデザインして、それを行う児童・生徒を見守り、その進み具合を共に振り返るための時間を徹底的に増やすのが、公正で個別最適な学びの具体化の一歩だ。個別の面談の時間を捻出するために、一斉一方向のレクチャーの時間を削らなくてはならない。レクチャーを減らしても、今まで以上の学力の習得と定着を可能とする学びを行うための手段として、デジタル教材やAIドリルなどが必要になる。

 「レクチャーを減らし、個別面談を増やす」という、学びのコペルニクス的転換がなされるべきであり、それが学校教育にとって2022年の最大のテーマだと思う。

公正な個別最適化と協働的な学びの実現 その鍵は1対1の増加にある

 教師像の大転換とはどのようなものか。それはレクチャーを行う教師から卒業し、充実した1対1や1対少数の面談を劇的に増やすことだ。1対1は1on1(ワン・オン・ワン)とも呼ばれる。その1対1には、机間巡視中の1分間のやりとりも含むが、10分・20分・30分と十分時間をとった個別面談が中心だ。生徒と生徒の1対1も重要だ。

 1分間の1対1は、机間巡視で「○○さん、どう? 大丈夫ね」と声掛けして、「これはここをこうするんだよ」と話し合う。1分間だけではあるが、その間は1対1になっている。20分間の時間をとって、チュートリアルのように個別面談をしっかりとやるのも、もちろん1対1だ。生活指導においても、進路指導においても、教科指導においても、個別コミュニケーションを劇的に増やす。

 そうすると、「最近の英語、関係代名詞になってから分からないの?」と教科学習のつまずきを見ることもできる。教え子が「なんか最近悩んでいる」と言い出せば、家庭環境や心の問題も分かってくる。1学期に1回の個別面談では足りない。できれば、小学校では毎月のペース、中学校では教科も多いから月に担任といずれかの主要教科の教師と何かの教科で個別面談が行われているようにしたい。進路、生活、教科は一体だから、教科指導しながら、実は教科以前の生活の問題だと気が付く場合もある。そうした教師が生徒たちに向き合う時間と頻度を圧倒的に増やしたい。

 例えば、主要5教科と担任で月1回の1対1をやるとすると、生徒からみれば、毎週か2週間に一度は、教師の誰かと1対1をやることになる。今週は算数・数学、第2週は国語、第3週は英語、第4週は理科か社会という具合で。教師側からすると、1クラス生徒30人に対して、メリハリをつけながら、平均10分間の1対1を月20人ずつできる。1カ月半か2カ月で一回転できる。

 これを実行するためには、今の教師の数では難しい。だから、大幅にレクチャーを減らし、1対1をやっていない他の児童・生徒には、デジタル教材を使って自学自習をしてもらうしかない。一斉授業でのレクチャーはNHK for Schoolに置き換え、その後の知識・技能の定着のためにAIドリルを使う。キュビナ、ロイロノート、ミライシード、スタディサプリなどなど、よくてきているデジタル教育支援ソフトがいくつも出ているのでそれを使う。おそらく、一人で黙々と学ぶ児童・生徒もいるし、生徒たち同士で学び合い、教え合うグループもできるだろう。教え合うのは学力定着にもつながる。そうやって教師は生徒の誰かと1対1を行う時間を捻出する。デジタル教材を使えば、それぞれの児童・生徒の学習の進捗(しんちょく)と定着を、今よりも、きめ細かく自動的に把握できる。

 子どもたちは、教師のレクチャーを聴いてノートを取る時間は減り、デジタル教材を使いながら自学自習や共同学習をする。分からないときは、まずは隣の子に聞く。お互いに得意なところを教え合い、学び合う。それでも分からないときは教師に尋ねる。教師の仕事は教育から学習支援になる。

 協働的な学びも、生徒同士、生徒と現場の人々との1対1だ。教室内、教室外の他の児童・生徒、現場の人々と、1対1のコミュニケーションや議論・打ち合わせを、デジタルも活用しながら、加速させることを目指してほしい。

 これまでの1対多、一方向で教える教育は、少ない教師でいかに多くの人数を効率的に教えるかを考えて作られた。工場労働者を養成するためのマスプロ教育だった。リソースが少ないことを前提にしていたため、そういう学校しか作れなかった。これでは、学びの個別最適化はできない。

 ほとんどの教師たちは、学力や意欲にバラツキのある子どもたちが多数いるなか、どの層を狙って授業をしていくのかいつも悩んできた。平均や中間か、中の下か、いずれしても児童・生徒の約3分の1はターゲットから外れてしまう。難し過ぎるか、簡単過ぎるかで、授業に関心を持てない子どもがいつも存在してしまう。

 学びのピラミッドというものがある。Lecture(講義)、Reading(読書)、AudioVisual(視聴覚)、Demonstration(実演を見る)、Discussion Group(グループ議論)、Practice by Doing(実践)、Teaching Others(他人に教える)、この7つの学び方それぞれの学習定着率は、Lectureが最も低く、右に行くに従って、上がっていくといわれている。

 これまで、教師は一生懸命、いい講義をできるようになるために、教職課程でも教員研修でも、努力・研さんを積んできた。私も教授をやっているのでよく分かるが、いい講義を行うと教師自身の満足度は高い。しかし、学びのピラミッドが示しているのは、いくらいい講義を行っても、いい視聴覚教材にはかなわないという事実だ。

 特に、今の子どもたちの多くは、家庭でも手元の端末を使った動画での情報入手に慣れてしまっており、何メートルも離れた教壇にいる教師からのインプットには集中できなくなりつつある。

 やっと1人1台情報端末が配備され、視聴覚教材や実演ビデオもNHKを中心に教育用のデジタル・コンテンツも充実しているし、ユーチューブにもいい教材はたくさんある。一挙に利用可能になったリソースをうまく活用して、知識・技能の習得を効率的に行い、そこで、アクティブ・ラーニング(グループ議論や実践)の時間を生み出し、教師は子どもたちと1対1で対話する時間を作り、7つの学び方のベスト・ミックスと学ぶ内容の難易度調整、教材の推奨をそれぞれの子どもに応じてデザインしていく。

 しかし、「教えない教師」への教師像の転換を、教師自身だけで行うのには大変勇気がいる。さぼっていると言われかねないからだ、大転換には、学校管理職、保護者、社会全体の理解とサポートが鍵となる。

これからの学校の学びは3方向に変わる

 このように教師像が変わっていくとき、子どもたちが学校に実際に登校してくる意味はどうなるのか。結論を先に言えば、教師や友人と濃密な対面の対話的・相互的なコミュニケーションを行い、信頼関係を深め、仲良くなることに意味がある。オンラインによって子どもたちが学校に来なくて済むこともあるが、それはさほど多くはない。

 大学院生や社会人など、学習態度や学習方法を完全に身に付けた、いわば完成された学習者は、オンラインだけで、わざわざ通学して、知識を得る必要はない。

 しかし、教育というのは、単なる知識の伝授ではない。感化されたり、意欲や好奇心をかき立てられたり、そこに教育の意味がある。さまざまな悩みを解決してあげることも大事な教育の目的だ。そうした教育を実現するためには、圧倒的に1対1の対面面談が効果がある。

 逆に言えば、1対多のマスプロ教育をやっている限りにおいては、オンラインの方がむしろ効率的に教えられる。学習モデルとして知られるラーニングピラミッドを見ると、講義を聴くことによる学習定着率は5%にすぎない。それに比べて、視聴覚体験は20%だから、NHK for SchoolやYouTubeなどの動画教材の方が、教師の講義よりも学力定着効果は高い。こうした学習理論から見ても、教師による講義は、教育現場から減っていくことになる。

 これに対して、少人数のグループディスカッションは、現在の技術では、まだ、オンラインよりも対面でやる方が有効だ。さらに、もっと効果が大きい課題解決型学習(Project Based Learning、PBL)は、本来、教室から外に出て、リアルの現場に足を運ぶことが大事になる。

 従って、これからの学校の学びは3方向になる。一つ目はオンライン。オンラインのライブ動画かオンデマンド映像になる。二つ目は、学校の教室を出て、現場でのフィールドワークを中心としたPBL。三つ目は、引き続き教室や学校でやるもの。教師や生徒たちが1対1や少人数での濃密な対話やインタラクティブなグループディスカッションや教え合いになる。双方向の議論や対話を通じて、その教室本来の学びを実現できることになる。

 しかも、学校の大事な役割は、授業だけではない。学校は、子どもたちにとって友達をつくるところ。そういう意味では自由時間がなによりも大事になる。昼休みとか、中休みとか、放課後とかの何気ない会話や雑談が、思春期の子どもたちにとって、心のケアの観点からもとても大切なことを強調したい。コロナ禍で児童・生徒のメンタルヘルスの問題も増えた。自由なコミュニケーションができる時間と空間を用意するのが、学校の極めて重要な役割になる。

 例えば、通信制高校のN高では、通学コースが人気を集めている。決められた授業の講義はオンラインでいい。でも、通学すれば、そこに自由な時間と空間があって、友達に会える。だから通学コースが一番はやっている。とても理にかなっている。

 学校の意味は、子どもたちにとって恩師や友人を作る場であり、福澤諭吉が重視した人間交際の場ということになる。これはオンラインでは代替できない。

 講義をする教師から、対話し相談相手となるコーチとしての教師へ。講義を受講するための学校から、対話や議論を行う人間交際のための学校へ。こうして教師像と学校像の大転換を可能にするために、必要条件となるのが、情報端末と通信環境などのデジタル学習環境の整備になる。そうした学習環境を生かせるか否かは教師や管理職の頭の切り替えにかかっている。

 2022年はそうした大転換に思い切って踏み込んでいく1年にしていただきたい。まずは、生徒との1対1面談の目標回数と具体的な予定表を策定してみてほしい。

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