教育学では、小学生段階を初等教育、大学や専門学校を高等教育、その間を中等教育と分類する。中等教育は思春期に重なる。反抗期を中心とした多感な時期をひとまとまりとしてとらえるのが世界の共通認識だ。
スイスの著名な心理学者ジャン・ピアジェは、およそ0~2歳を感覚運動期、2~7歳を前操作期、7~11歳を具体的操作期、11歳以降を形式的操作期と分類した。さらに14歳くらいからは抽象的思考の次元が高まり、本格的に哲学や科学ができるようになると分析した。哲学者・池田晶子氏のベストセラーのタイトルも『14歳からの哲学』(トランスビュー)である。
読書をしたり、映画を見たり、楽器を弾いたり、仲間とともに冒険に出たり、親や先生以外のさまざまな大人と話したり、ときに羽目を外したり痛い目に遭ったりして、試行錯誤しながら世の中への見識を広めるべき時期に、紙と鉛筆で勉強ばかりしている場合ではない。
■高校受験という制度自体が珍しい
だからこの時期の子どもを入試対策で追い回す国や地域は、世界を見回しても数少ない。
少なくとも大学進学を前提とした場合、イギリス、オランダ、ドイツ、ロシアなどではそもそも中学校と高校という区切りがない。映画の『ハリー・ポッター』をイメージしてほしい。彼は中学生でも高校生でもない。彼の学校「ホグワーツ」は、11歳から18歳までの子どもが通う7年制の寄宿学校だ。
フランスでは中等教育が前期のコレージュと後期のリセに分かれているが、リセへの進学に際して入試のようなものはない。コレージュでの取り組みに応じて振り分けられる。フィンランドでは7歳から16歳まで基礎学校で一貫教育を受けるが、やはり高校入試はない。フランス同様、基礎学校での取り組みにより振り分けられる。
日本と似ていると言えそうなのは中国くらい。ただし、日本のように個別の高校入試を受けて一喜一憂するのではなく、地域ごとに実施される高校進学のための統一試験の結果によって進学先が決まる。
拙著『なぜ中学受験するのか?』でも詳しく解説しているが、なぜ日本では、子どもの発達段階を無視した入試制度になっているのか。それを知るには歴史を紐解く必要がある。
■反抗期と高校受験の両立は至難の業
日本の旧制中学は、明治時代にイギリスの5年制中等教育学校をまねてつくられた。旧制中学は男子校だった。それに相当する女子の教育機関は高等女学校と呼ばれていた。
第2次世界大戦後、中学校までを義務教育にしようと試みたが、小学校の6年間に加えてさらに中学校の5年間を義務教育化するには資金が足りなかった。そこで、中等教育を前期の中学校、後期の高等学校に分け、中学校までを義務教育にした。つまり「6・3・3」は妥協策だったのだ。
このとき、私立の旧制中学の多くは、中高一貫校に改組することで、5年制教育をほぼそのままスライドした。
戦前において、義務教育ではない旧制中学や高等女学校に通えるのは一部の子どもに限られていた。入試もあった。特に人気校の入試は難関で、もしかしたら一部では現代よりも過酷だったかもしれない。
その旧制中学の受験熱が戦後、そのまま新制高校の入試にスライドしてしまった。フランスやフィンランドのような進学制度にはならなかったのである。
結果として、日本の子どもたちの多くは、高校受験と反抗期を両立しなければいけなくなった。子どもの発達段階から考えて、これは酷である。反抗期が強く出すぎれば、受験勉強がおろそかになり高校入試で希望の進路は実現できないし、受験勉強一辺倒になってしまうと、反抗期を全うできず精神的自立や批判的精神の涵養が不十分になってしまう。
さらに1990年代以降は、中学校の成績表に「意欲・関心・態度」の項目が加わった。もともとはペーパーテストの結果だけでなく、数値化しにくい学習姿勢を評価しようという意図だったが、評価者である教員の恣意を拡大する可能性も否めない。
人間は監視されていると感じるだけで自分の行動を抑制してしまうとは、ミシェル・フーコーの『監獄の誕生 監視と処罰』である。多くの中学生は教員の目を気にして“いい子”を演じてしまう。ますます反抗期が骨抜きにされる。
■公立中高一貫校は「ゆとり教育」の産物
その点、中高一貫校に通えば、高校受験を回避できる。そのぶん、思春期や反抗期を謳歌する余地が生まれる。つまり「ゆとり」である。
たとえば理科に関していえば、多くの中高一貫校が、特に中学生段階において、実験とレポートに時間をかける。実験結果がわかってしまうと面白くないので、教科書での予習を禁止している学校すらある。英語でも、テストの点数には直結しない多読や英会話に取り組む。これが英語力の素地を形成する。
「先取り教育」というよりはむしろ「ゆとり教育」だ。その素地があればこそ、大学受験を意識した勉強を始めたときにも高い成果が得られるのだ。富士山の裾野が広いのと同じ原理である。
2000年代から公立中高一貫校が全国に登場するが、実はこれももともとはいわゆる「ゆとり教育」の一環として始まったものだった。中高一貫校化した公立高校が進学実績を向上させる事例が相次いでいるが、「ゆとり」の効果は学業だけに限らない。
2018年に東京都が発表した「都立中高一貫教育校検証委員会報告書」によれば、「併設型高校における各種大会・コンクール等での実績について、過去3年間の全国大会以上の出場・受賞実績を見ると、文化・スポーツの双方で実績が挙げられているが、 個人での出場・受賞実績は概ね内進生によるものとなっている。内進生については、高校受験のないゆとりを生かして、趣味や部活動など、自分の興味や関心があることに取り組めていることが結果に結び付いているものと考えられる」とのこと。
「併設型高校」とは高校からも入学枠を設けている5つの都立中高一貫校を指す。これらの学校では、高校課程の3年間において「内進生(中学校からの入学者)」と「外進生(高校からの入学者)」がともに学ぶ。残り5つの都立中高一貫校は「中等教育学校」と呼ばれ、入学機会を中学校段階だけに限り、完全中高一貫教育を行っている。
報告書には「内進生」と「外進生」の進学実績を比較したグラフも掲載されている(図)。難関国立大学(東大・一橋大・東工大・京大・国公立大医学部)の進学割合では、内進生が7.6%であるのに対して外進生は0.8%と大きな差があった。同時に、日比谷や西など都立進学指導重点校7校の難関国立大学進学割合は8.1%であり、都立一貫校の内進生は、それとほぼ同等の進学実績を出しているといえる。
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■茨城では名門高校が軒並み中高一貫校化
この報告内容を踏まえ、東京都は2023年度までにすべての都立中高一貫校を完全中高一貫校化することを決めた。
実際には、同じ都立中高一貫校であっても中学校からの入学と高校からの入学では入試の難易度に違いがあることも決して無視はできないが、東京都が中高一貫教育の効果を公に認めた意味は大きい。
茨城県はもっと極端だ。2020年度から2022年度にかけての3年間で、一気に10校の県立高校を中高一貫校化する。茨城県にはすでに3校の公立中高一貫校があり、合計で13校となれば、その数は東京都の10校(区立を含めれば11校)を上回る。
その中には水戸第一、土浦第一も含まれる。水戸第一は旧制一中(戦前のトップ校)の流れを汲む名門校。土浦第一は近年では東大合格者数で水戸第一のお株を奪う県内トップ進学校だ。東京都でいえば、日比谷と西が中高一貫校化するようなもの。そのほかの8校も各地域のトップ進学校であり、県内の教育熱心な家庭に与えるインパクトは甚大だ。
県の教育委員会によれば「すでに設置している中高一貫教育校3校では探究活動など6年間の計画的・継続的な特色ある取り組みを行っており、学業だけでなく課題解決能力の育成などにおいても優れた実績を出しています」とのこと。
東京都や茨城県の公立中高一貫校が、進学実績を向上させるだけでなく、多方面で個性的な学校文化を花咲かせるとしたら、この動きは他県でも続くかもしれない。
東洋経済オンライン
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最終更新:11/24(水) 5:31
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