飯島敏宏さんを悼む…ウルトラマンが人々に愛され続ける理由 「人間ドラマ」作りに信念|ニフティニュース – ニフティニュース

飯島敏宏さんを悼む…ウルトラマンが人々に愛され続ける理由-「人間ドラマ」作りに信念|ニフティニュース-–-ニフティニュース 花のつくりとはたらき

2021年10月18日 21時50分 スポーツ報知

飯島敏宏さん(2011年5月撮影)

 空想特撮シリーズ「ウルトラマン」の監督、脚本を担当した飯島敏宏さんが亡くなった。スポーツ報知では、ちょうど10年前、2011年にウルトラマン放送45周年のタイミングで「ウルトラマンシリーズ45周年特別号」と題するタブロイド版を発行。同時に本紙でも20回に渡る連載「光の国を創った人たち」を掲載した。

 当時、俳優の黒部進さんや毒蝮三太夫さん、桜井浩子さん、ウルトラマンのスーツアクターを務めた古谷敏さんなど出演者に加え、制作時の“秘話”を取材するため、飯島さんを取材させてもらった。

 小田急線の玉川学園からほど近い場所にあるご自宅にうかがったのだが、驚いたのは、ウルトラマンや飯島さんが監督を務めた第2話「侵略者を撃て」に登場した宇宙忍者バルタン星人のフィギュアが数多く飾られていたことだ。

 「ウルトラのファンの皆さんがね、結構、人形なんかを送ってくれるんですよ。結構な数あるでしょ? でも、3月の震災(東日本大震災)でいくつかは棚から落ちてしまって、壊れてしまったんですがね」

 飯島さんは、笑顔でこう教えてくれた。

 飯島さんはTBS映画部から円谷特技プロ(当時)に出向。ウルトラマンに先立ち放送された「ウルトラQ」では「千束北男」のペンエームで脚本を、また監督としても「地底超特急西へ」などの作品を担当した。「―Q」に続く新たな作品が「ウルトラマン」のタイトルに決まったのは1966年の3月下旬頃だが、飯島さんは既に「侵略者―」と第3話「科学特捜隊出撃せよ」、第5話「ミロガンダの秘密」の撮影に入っていた。

 このとき、飯島さんは栫井巍(かこい・たかし)プロデューサーから「怪獣の出現にはきちんとした理由をつけて欲しい、荒唐無稽なものはやめてくれ」と指示を受けたそうだ。そこで、飯島さんが常に持ち歩いたのが、「中学校の理科」という参考書だった。

 「要は、自然や科学現象などに見合った脚本を書いて欲しい―ということですよね。だから、中学校の理科で理解出来る範囲のものを書こう、と思って、いつも参考書を横に置いて執筆したんですよ」

 科学特捜隊のアラシ隊員を演じた毒蝮によると、当時、「ウルトラマン」などの子供向け番組は「ジャリ番組」と言ってさげすまれたそうだが、制作陣は“ジャリ番”と手を抜かず、しっかりとしたシナリオの「ドラマ」を作っていたのだ。

 これは、飯島さんが考えた科学特捜隊の人物設定においても同じだった。

 ハヤタ(黒部) 正義感の強いエリート

 アラシ 射撃の名手で怪力の熱血漢

 イデ(二瓶正也) 武器や兵器の開発にたけたアイデアマン

 フジ・アキコ(桜井) 明るく活発な紅一点

 ムラマツ(小林昭二) 謹厳で実直な性格で統率力のあるキャップ

 「特撮ドラマではあるが、きちんとした人間ドラマを作ろう、ということです。今、ファーストラン(初回放送)を見た年代のファンに会うと、事細かにシナリオを覚えている。そして、それをどう感じたのかを話してくれる。『人間ドラマ』って、そういう部分だと思うんですよ」

 「こちらがね、『ここだけは見てくれよ』と狙った部分をしっかり覚えていて、再放送などで何度もウルトラマンを見ていく度に『ああ、あの話はこういうことだったのか』『こういうことを言おうとしていたのか』って、成長と共に我々が入れ込んだテーマを理解してくれたんですね」

 ウルトラマンの放送から55年。この8月にはイデ隊員が世を去り、そして、飯島さんも鬼籍に入った。今回、訃報に接し、インタビュー時の取材ノートを開くと、半世紀を超えてもなお、ウルトラマンが世の人々に愛され続けるのかが改めて分かった。そこには、飯島さんをはじめとした制作陣の確固たる信念があったのだ。

(編集局次長・名取 広紀)

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