似たような偏差値や学力、思考の人々が集まりがちな日本の大学において、東京藝術大学美術学部は特異な存在です。1浪・2浪は当たり前。40代・50代の学生も見られ、偏差値でいえば40台から70台までが一堂に会しています。学生1人ひとりが個性的でユニークな同学部は、まさに「究極のダイバーシティの教材」。同学部にはなぜ、そんなにも個性的な人材が集まってくるのでしょうか。本稿では、『東京藝大美術学部 究極の思考』の著者、増村岳史氏が、藝大の過去問や出題意図から常識にとらわれない逸材が集まる理由を解説します。
■バラエティ豊かすぎる合格者
東京藝大の絵画科油画専攻の競争倍率は常に17~20倍、時には30倍以上の年もあるという、日本の大学の中で最も競争率が高い学科です。競争率が高いといわれる早稲田大学でも6~7倍程度。この日本で最も狭き門をくぐり抜けて合格する人は、どのような人なのでしょうか?
一般の大学と比べると、入学するまでの経歴がユニークな人が多いのが特徴です。私がインタビューした油画専攻の藝大生・卒業生のうちの一部に限っても、次のようなユニークなプロフィールの方々が多々います。
・高校卒業後に美容専門学校に行き、ヘアメイクのアシスタントの仕事を経て入学した人
・高校卒業後にフリーターを経て肉体労働の職を数年したあとに絵を学びたくなり、入学した人
・企業を早期退職した元メーカーエンジニアの人
・親から「女に教育などいらん、もし大学に行きたかったら東大か藝大であれば学費を払ってやる」と言われ、「なんとなく絵を描くほうが向いてる」と思い高校時代に絵を描き始めて入学した人
・農業高校で花に興味を持ち、花の美しさに感銘を受けて入学を志した人
私の周りだけでもこれだけバラエティに富んでいるので、探せば「元○○」の藝大生はもっと多いはずです。また、ほかの美術系の大学にいったんは入学しながらも、仮面浪人を経て入学する人がいるのも特徴です。
藝大は、一般の大学のように偏差値に基づいた定量的な基準がないため、多種多様な人々が集まる「究極のダイバーシティな場」というべき大学なのです。では、どのような基準で、どのような試験を経て入学が許可されるのでしょうか。
一般的に入学試験には、「お受験」と呼ばれる小学校受験から、中学入試、高校入試、そして大学入試に至るまで、必ず学校ごとの傾向があります。当たり前ですが、傾向があるからこそ対策が立てられるわけです。皆さんも、志望校の入試の過去問を解いて、受験の傾向と対策をしたはずです。
しかしながら藝大の美術学部、特に油画専攻においては、明らかな傾向がまったくみられない変幻自在な入試問題が毎年出題されるのです。
藝大の卒業生で、あるアーティストの方から聞いた話があります。藝大以外の各美大受験については、実技試験の傾向と対策があり、予備校講師は各美大の出題傾向に合わせて指導するとのことです。
しかし、こと藝大受験に関しては、出題される試験課題の傾向がない。そのため美術予備校では「藝大を卒業した講師たちが、過去問も参考に、藝大の先生たちが出しそうな課題を考え、その課題で受講生が絵を描く」というのを繰り返すそうです。
■実際の試験問題を見てみると…
では、実際にはどんな試験問題が出題されるのでしょうか? 藝大に限らず、美術系の大学の入学試験は、学科試験と実技試験に分かれます。たとえば、油画専攻の具体的な試験科目としては、①センター試験(現・大学入学共通テスト)、②第1次実技試験(素描=デッサン)、③第2次実技試験(絵画=油絵)となります。
2020年度までの2年間の油画専攻の入試問題は次のとおりです(東京藝大ウェブサイトより。出題に関わる条件や注意書きなどの詳細は場合により省略)。
<令和2年度 第1次実技試験 素描>
出題 「三つの手」
【条件】「りんごを持つ手」「紙を持つ手」「何も持たない手」の全てを描くこと。
【モチーフ】りんご・トレーシングペーパー
<令和2年度 第2次実技試験 絵画>
出題 絵を描きなさい。
【条件】
・カンバス、スケッチ用紙を試験室から持ち出すことはできません。
・制作にイーゼルを使用する場合は、室内の置き場所から1人1台持ってきてください。
・また、椅子は1人2個まで使用できます。
<平成31年度 第1次実技試験 素描>
出題 世界に目を向ける(Looking at the world.)
世界を見通す(Seeing through the world.)
世界を映す(Reflecting the world.)
枠内の言葉をテーマに描きなさい。
<平成31年度 第2次実技試験 絵画>
出題 世界に目を向ける(Looking at the world)
世界を見通す(Seeing through the world)
世界を映す(Reflecting the world)
枠内の言葉をテーマに描きなさい。
また、過去の試験では、上野動物園や葛西臨海水族園にいる動物や生物を自由に選んで描くということもありました。このように、予測不可能な問題が毎年出題されるのです。
2019年度(平成31年度)からは、入試問題の出題意図も藝大のウェブサイトで公表されていますので、少し長いですが引用します。
<令和2年度 絵画科油画専攻学部入学試験 出題意図>
本専攻の入学試験は思考力、観察力、表現力を重視し、面接試験を含めた総合的な評価により芸術家としての可能性を見出すものである。
第1次実技試験
(出題文)「三つの手」
素描では、絵画の基本的な表現力を判断する。対象物をよく観察し、固有の形態や質感、色彩を的確に描写したか、出題をどのように理解し、表現したかを問うた。
第2次実技試験
(出題文)「絵を描きなさい」
「絵を描きなさい」という出題、つまり何を描くか? は自由。おそらく沢山ある選択肢の中から自分で決めなければならない。それをどう描くか? どのように描くか? を問うものである。林檎を描け! と言ったって誰もが直ぐに林檎だと判る林檎を描く者などほとんど居ないではないか。それに誰もが判る「林檎の絵」とは何か? 「私は林檎を描いた」と言うのは個人の自由だ。林檎をどう描いたか? もっと言えば「どう描こうとしているか?」を我々は見る。そこには君たちが世界をどう捉えているか? どう捉えようとしているか? どう考えているか? どう模索しているか? が現れるからだ。我々は未完成でも小さい発芽でも見落とさないようにしたいと思っている。君たちを試験する我々も試されているはずだ。絵を描くとは、絵を見るとは解釈する事だ。画家の解釈の仕方がさまざまな描き方を生みだしてきた。2020年「絵を描きなさい」という出題をどう考えどう解釈するか? 自分の頭で考える。追い詰められてしまった時こそ楽しく考えなければいけない。「自分の頭で考え描きたい絵を描いて入学する」でなければこの時代に生き残れるはずがない。これが出題意図である。
■絵がうまいだけでは合格しない
抽象度の高さは、私たち大人でさえ容易に理解しがたいのではないでしょうか。特に令和2年度の2次試験「絵を描きなさい」の出題意図は、まるで禅問答のようです。
この入試課題の出題意図をまとめると、次のようになります。
①思考力・観察力・表現力を見る
②重要なのは「何を描くか?」ではなく「どう描くか?」
③物事に対する自分なりの価値観を持っているか?
④構想力と構成力を問う
⑤試験する側も試されている
これらのように、傾向がまったく見えない、変幻自在な問題が毎年出題されるからこそ、22・5%と非常に低い現役合格率も納得できるのではないでしょうか。
また、出題意図にも「試験する側も試されている」とスタンスが書かれているとおり、一定の評価基準に基づいて機械的に合否を判断するのではなく、その年ごとに流れる時代の空気を自分なりに捉え、それを絵画によって表現し、選考する側にも「問いを立たせられる」ような絵を描かなければ合格できないのだといえます。
これは、私が出会った多くの卒業生たちが口を揃えて、「(絵が)うまいだけでは合格しない」と話すことに通底している要素でもあります。つまり、傾向なき問題に加えて、審査する側を唸うならせないと――つまり、「ほかの絵も見たくなる」ように心を動かさないと、合格できないわけです。
東洋経済オンライン
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最終更新:7/6(火) 13:01
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