東京都あきる野市立の小学校で児童3人の上履きを隠したとして、10月15日、同小学校の男性教諭(38)が器物損壊容疑で再逮捕されたというニュースが大きな話題になっている。
この小学校では男性教諭が赴任した3年前から、児童の持ち物に落書きがされたりなくなったりする被害が100件ほど起きていたといい、防犯カメラの映像から男性教諭が容疑者として浮上していた。9月26日には、別の児童の防災ずきんに「しね」と書いたとして警視庁五日市署が器物損壊容疑で逮捕したところだった。男性教諭は動機について「他の教員への憂さ晴らしだった」と供述しているという。
■決してめずらしくない「教師のいじめ」
事件の報道を目にしたとき、私は自分の子ども時代のことを思い出していた。
小学5年生のころ、大人が、それも学校の先生がいじめをするのを初めて知った。正確にいうと、あれが「いじめだった」と認識したのは小学校を卒業して数年以上経ってからのことで、当時の私は自分が何をされているのかを、まだはっきり理解できていなかったように思う。
小学5年、6年生の2年間、私を担任したのは、K先生という40代半ばごろの女性で、一見、溌剌とした笑顔が印象的な人だった。
K先生とのいい思い出はあまりないのだけれど、少なくとも私にとって、彼女の第一印象は決して悪くなかったと記憶している。いつごろからだったか、先生はやけにとげとげしい態度を取るようになり、休み時間も授業中も関係なく私を呼び出しては、協調性がないだの、態度が傲慢だのと数十分にわたって一方的に叱りつけるようになった。
スポーツテストの日にはなぜか私ひとりだけを「測定係」に任命し、他の生徒たちが木陰で休んでいる中、炎天下の運動場でひたすらに記録を測らせたり、次のテストの準備をさせたり、「作業が遅い」と大声で怒鳴ったりした。
「公開処刑」が好きな先生で、体育の授業中、前転がうまくできなかった私を指名して、みんなの前で「手本」を披露するよう求めたこともある。クラスメイト全員を集めて座らせ、意気揚々と「はい、吉川さんはちょっと変わった前転をするようなので、見せてもらいましょう! 拍手!」と呼びかける彼女と、赤い顔で下手くそな前転を披露する私、大きく笑い声をあげるクラスメイト。
今ではある程度克服できたつもりだが、人前に立つと緊張して何もできなくなってしまう癖は、この経験がトラウマになっているからかもしれない。
■誰にも言えない子どもたち
不思議なことに、私はこうした経験を親や他の先生にはまったく話せなかった。
子どものころの私は、大人を「絶対的に正しい存在」だと強く信じていたためか、過度に行われる説教も、恥ずかしい目に遭わせられるのも、すべて「自分に原因があるから」だと考えていたのかもしれない。
当時の私にとっては「自分が悪いことをしたせい」で「正しい大人」から受けた仕打ちだったからこそ、「親に話したら叱られるかもしれない」と考えたのだと思う。体調が悪く、私が保健室で休んだことに対して、K先生から「仮病だ」とみんなの前で大きな声で言われたことも、結局親には言えなかった。
先日、同じ小学校に通っていた友人と連絡をとったとき、何気なくK先生の話になった。「昔、K先生っていたじゃん、覚えてる?」と聞くと、友人は食い気味に「あの先生、大っ嫌いだった」と感情的な口調に変わって、いつもは温厚な彼女の豹変ぶりにとても驚いた。
聞くところによると、私たちが卒業したあと、K先生は友人の妹のクラスを担当することになったが、やはりそのクラスでもいじめのターゲットを定めており、運悪くそれが友人の妹だったのだという。
多分あのときの私と同じように、いや、もっとひどい目に遭わされたのかもしれない。友人の妹は学校に行けなくなり、一時は不登校になっていたらしい。
どれも成人してから知ったことだが、K先生が生徒をターゲットにいじめをしていたのは、その友人から以外にも風の噂でいくつか耳にしたことがあった。何のためにかはわからないけれども、彼女はいじめの常習犯だったのだ。
■いじめというより「心理的な虐待」
9月にニュースになっていたが、沖縄県の小学校では、普通学級と一緒に授業を受けていた特別支援学級の児童が騒いだ際に、女性教員が「うるさいと思う人、邪魔だと思う人は手を挙げてください」と普通学級の児童に挙手を求めていたことがわかっている。
教員は騒いでいた児童を教室の後ろに立たせ、挙手しなかった児童の手首をつかんで「あなたも支援学級に行きなさい」と発言するなどし、普通学級の児童1人が4日間学校を休んだという。
こうして、教員による「いじめ」がニュースとして報道されるケースは、全体から見ればほんのわずかなものにすぎない。すべて列挙するときりがないが、私自身が通っていた中学校、高校でも教員から生徒へのいじめは見聞きしていたし、K先生以外にも自分のことをいじめの標的にした大人は確かに存在していた。
成人してから人間関係が広がるにつれ、「実は先生からいじめを受けていた」という人が決してめずらしくないことを知った。私を含めてその多くは、学校を卒業してからも何らかのトラウマや問題に何年も苦しんでいたり、人格形成にすら影響したというケースも聞いたことがある。
社会はこれを「いじめ」といった言葉で片付けてしまっていいものだろうか。教員から児童に対して行われる「いじめ」は特に、大人から子どもへの心理的な虐待であり、明確な加害行為だと認識すべきではないだろうか。
■閉鎖的空間を作らないために
「学校」という家庭から切り離された閉鎖的空間で、私たち大人がいったいどうすれば子どもにとって安心できる学習環境を提供することができるのか、そして被害に遭ってしまった子どもをケアに繋げるには何が必要か、児童の上履きを隠した教員逮捕の報道を目にしてから数時間、考えあぐねている。
30人ほどの子どもに対して教員が1人しかいないという点では、教員にかかる負担が大きい。また、他の教員が介入しないので、教員による「いじめ」が発見されづらいのが現状だ。
日本の大学教授らによる「 『複数担任学級』の意義と効果 」の研究では、たとえば副担任の教員制度を活用するなどして、状況に合わせて教室に大人が2人いる状況を確保することで、さまざまなメリットが得られることがわかった。
何よりも児童の多面的なケアに効果が認められ、かつ採点やノート点検等の教務事務、また教材準備や教室整備等の役割を分担し、広く学級経営の改善にも寄与するなど、複数担任制度の重要性を明らかにしている。
■日本の子どもの「精神的な幸福度」は38か国中37位
1人は授業の進行、もう1人は本来担任がひとりで行なっていた事務作業をしながら、同時に、クラス内で気になる子どもへの対応を行うなどすることで、業務の分担による教員の負担軽減にくわえ、子どもたちの安全確保にも非常に効果があるという。
「複数担任制度」の実現には、まず教員の人的不足、そして費用対効果が壁となる。しかし、本研究によれば、教育委員会はもとより個々の学校において人的リソースを得る場合の「費用効果」が認められれば、少人数教育推進における学校裁量は、一つの具体策として検討可能な範囲内であるとされている。
ユニセフが実施した「子どもの幸福度」をはかる調査によれば、日本の子どもの「精神的な幸福度」は先進国や新興国など38か国中、37位であることがわかった。ちなみに「世界でもっとも子どもが幸せな国」と言われるオランダでは、複数担任制度が積極的に採用されている。
日本でも今後、学校における子どもの心理的安全性を確保する重要性についての理解が深まれば、少なくとも教員による子どもへの心理的虐待を減らす一定の効果が期待できるはずだ。教員だけでなく、生徒間で行われる「いじめ」についても同様だといえる。
教員からいじめを受けていた当事者として、これから子どもを持つかもしれない人間として、一刻も早く、子どもが安心して通える環境整備が行き渡ることを、強く願わざるを得ない。
(吉川 ばんび)
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