子どもの生活が夜型化しているといわれて久しいが、コロナ禍以降、子どもの睡眠状況はどうなっているのか。今年7月に子どもの睡眠実態調査を行ったブレインスリープの創業者兼最高研究顧問で米スタンフォード大学医学部精神科教授の西野精治氏に、現状の課題を聞いた。また、睡眠教育によって不登校数が減少するなど成果を上げている大阪府堺市教育委員会指導主事の木田哲生氏に、学校で可能な睡眠改善支援について取材した。
大人も子どもも世界でいちばん「睡眠不足」
ブレインスリープが1万343人の日本人を対象にインターネット上で行った2020年版の睡眠実態調査では、1日の平均睡眠時間は「6時間27分」という結果が出た。同社の創業者兼最高研究顧問で米スタンフォード大学医学部精神科教授の西野精治氏は、次のように語る。
「18年のOECD(経済協力開発機構)調査によると、日本人の平均睡眠時間は調査した国の中でいちばん短く、『7時間22分』でした。異なる調査なので単純比較はできませんが、当社の調査ではこれよりも55分短い結果となっています。1万人を対象とした21年版調査では、『6時間43分』と前回より16分延びましたが、それでもOECD加盟国の平均睡眠時間『8時間25分』とは差が開いたまま。最低睡眠時間として推奨される7時間を超える人も全体の40%にとどまっています。また、コロナ禍の影響で在宅勤務が広がった結果、生活時間が後ろ倒しになって夜型となり、睡眠リズムが乱れ睡眠の質が低下している人が多いこともわかりました」
ブレインスリープの21年版調査では、20年版調査から日本の平均睡眠時間がやや延びたものの、在宅勤務の影響で睡眠リズムが乱れ、睡眠の質は低下している傾向がみられた
(資料:ブレインスリープ提供)
相変わらず日本人の睡眠状況はよくないようだが、実は子どもも、以前から睡眠時間が足りていない。
「子どもの睡眠時間は年齢とともに変化しますが、例えば3歳以下の睡眠時間で言うと、昼寝と夜寝を合わせて日本は調査した国の中で最も短いことが海外の調査でわかっています。3~15歳の日本人の睡眠時間は、欧州における推奨睡眠時間レンジの最下限、あるいはそれ以下の危険域にあるという調査もある。親の生活が夜型になり、子どももそれに引きずられている状況が続いているとみられます」
実際、ブレインスリープが今年7月にインターネット上で行った子どもの睡眠実態調査(5774人対象)では、親に睡眠負債(毎日積み重なる睡眠不足のこと)があると、子どもも睡眠負債のある割合が大きいことがわかった。「ここは日本の大きな課題」と西野氏は強調する。また、ほとんどの年齢において実際の睡眠時間が、推奨される睡眠時間に足りていないことも判明。子どもの体調不良の頻度の高さと睡眠習慣の乱れにも相関関係がみられた。
ブレインスリープが今年7月に実施した子どもの睡眠実態調査
※推奨睡眠時間は、「National Sleep Foundation2015」参照。3~5歳で10~13時間、6~9歳で9~11時間だが、図表の中では平均値をベースに算出
※睡眠時間に関して適切な回答が得られていない人を除外して算出
(資料:ブレインスリープ提供)
子どもの睡眠と脳の発達の関係は明らかになっている
調査結果を踏まえ、「子どもの睡眠は大人以上に大事。改善が必要」と、西野氏は警鐘を鳴らす。
「入眠後の深いノンレム睡眠(脳も体も眠っている睡眠)が成長ホルモンの分泌を促すことはよく知られていますが、この10年間で、子どもの睡眠は脳の発達と関係があることもさまざまな実験から明らかになっています。子どもの脳は内外からいろいろな刺激を受けて新しい神経回路を形成し、不必要なものを除去するというサイクルを繰り返して発達していくことや、とくにレム睡眠(夢見の睡眠で、脳は起きていて体が眠っている睡眠)のときに新しい神経回路が形成されることなどがわかってきた。つまり、レム睡眠の多い乳児期から12歳ごろまでの間、きちんと睡眠を取らないと脳の発達に影響があるのです」
西野精治(にしの・せいじ)
米スタンフォード大学医学部精神科教授、同大学睡眠生体リズム研究所(SCNL)所長、ブレインスリープ創業者兼最高研究顧問、医学博士、精神保健指定医、日本睡眠学会専門医。1987年、大阪医科大学大学院から米スタンフォード大学医学部精神科睡眠研究所に留学。「ナルコレプシー」の原因究明に全力を注ぎ、2000年にヒトのナルコレプシーの主たる発生メカニズムを突き止めた。睡眠・覚醒のメカニズムを、分子・遺伝子レベルから個体レベルまでの幅広い視野で研究。著書に『スタンフォード式 最高の睡眠』(サンマーク出版)
(写真:ブレインスリープ提供)
だから、睡眠を妨げる睡眠障害にも注意したい。代表的なのが、睡眠中に呼吸停止が繰り返される「睡眠時無呼吸症候群」(SAS)。大人では、中等度の症状である場合、8~9年の間に4割が死亡するという恐ろしい病気だ。ブレインスリープが今年2月に行った調査では、SASの人は新型コロナウイルスやインフルエンザにかかるリスクが高いという結果も出ているそうだ。
「子どもの場合、SASの主な原因は扁桃肥大。睡眠の質が悪くなると成長ホルモンの分泌が少なくなるため、SASにより低身長になる場合もあります。実際、低身長の子にSASの治療をしたら身長が伸びたケースは少なくありません。また、子どもは大人のように『昨日眠れなかった』と言葉にすることがあまりないので周囲も気づきにくく、イライラしたりすぐ怒ったりとADHD(注意欠陥・多動性障害)のような症状として表れることが多い。ADHDと診断されたものの実はSASで、治療したら症状が消えたという例も多く報告されています。低身長やADHDの症状が見られる場合、睡眠障害も原因の1つとして考えたほうがいいでしょう」
寝ぼけや夜泣きなどの「睡眠時随伴症」は、年齢を重ねると症状がなくなることが多いという。西野氏の専門である「ナルコレプシー」という睡眠障害もある。過眠と金縛り発作のほか、喜んだり笑ったりすると全身の力が抜けて倒れてしまう脱力発作が生じる病気だ。2000人に1人というまれな疾患だが、好発年齢は12~14歳くらいの思春期だという。
こうした睡眠障害を見極めるのは難しいが、子どもの心身の健康のために大人がまずやるべきことは、睡眠習慣を整えてあげることだ。そのためには「保護者への啓発が重要」だと西野氏は指摘する。早寝の重要性を保護者が理解し、家族ぐるみで睡眠時間を確保する必要があるという。
保護者への働きかけがうまくいっている例として、西野氏は、自身も3年前から協力している大阪府堺市の睡眠教育を挙げる。いったいどのような活動なのか。
不登校生徒数が約半数にまで減少
現在、同市の小中学校では、学期ごとに2週間分の睡眠と朝食の記録をつけるほか、21時までに寝ることを目指す「はよねるデー」を月に1回設けるなど、睡眠教育、通称「みんいく」に取り組んでいる。
木田哲生(きだ・てつお)
堺市教育委員会指導主事。中学校保健体育科教諭として勤務後、現職。日本眠育推進協議会評議員。上級睡眠健康指導士。大阪教育大学教職大学院修了。平成28年度読売教育賞最優秀賞受賞、平成28年度国際学会「Higher Education Forum」Best Paper Award(2位)受賞など。著書に『睡眠教育(みんいく)のすすめ―睡眠改善で子どもの生活、学習が向上する―』『「みんいく」ハンドブック』(ともに学事出版)、『ねこすけくん なんじにねたん?』『ねこすけくんがねているあいだに…』(ともにリーブル)など
(写真:本人提供)
主導するのは、堺市教育委員会指導主事の木田哲生氏。きっかけは、不登校問題だった。木田氏は、堺市立三原台中学校で生徒指導を担当していた当時について、こう振り返る。
「最近の不登校は、しんどい、だるいなどの訴えが多く原因がはっきりしないことが特徴です。学校としては『体調不良が治ったらおいで』と言うことくらいしかできませんでした」
そこで睡眠に注目し、専門医である熊本大学名誉教授の三池輝久氏の協力を得て、15年度からみんいくをスタートした。生徒指導の教員ネットワークを基盤に、地域の幼・保・小・中・高、PTA、子ども会、自治会などによる「みんいく地域づくり推進委員会」も発足させ、地域一体で推進。木田氏が教育委員会に異動した17年度には、全市へと取り組みが広がった。
その結果、三原台中学校では、15年度の不登校生徒数は35人、20年度は16人と約半数にまで減った。「市内中学校の不登校生徒数推移(17年度~18年度)も、みんいく実践校は非実践校に比べて有意な減少が確認されました」と、木田氏は語る。また、15年度から18年度のアンケート調査の結果によると、三原台中学校では、「自尊感情」と「学習に対する集中力」が毎年向上しているという。
保護者と担任に言われても効果がないことが判明
みんいくでは、睡眠記録を基に、睡眠が乱れている子どもや、いつも調子が悪そうにしている子どもに声をかけて睡眠改善の支援をしていく。木田氏の場合、主に子どもと面談して改善目標を立て、その内容を保護者に伝える形で実施してきた。
よい睡眠を取るには腸を動かして生活リズムをつくっていくことが重要なので、朝食を取るよう促すことも大切だが、「とくに小学校高学年から中学生に関しては、夜間のスマホ使用をいかに制限できるかが最も大きなポイントになる」と木田氏は言う。しかし、ただ「スマホをやめよう」「早く寝よう」と言っても効果はない。
「当初、私も熱意と知識を持って『寝よう』と訴え続けましたが、最初の半年間は1人も改善しませんでした。自分の心身を大事にする手段として睡眠があるわけですが、睡眠が乱れている子は自尊感情が低い場合が多く、『自分を大事にしよう』というメッセージが届きにくいのです。それに気づいてからは、まず子どものしんどさや、寝る前にスマホを触ってしまう弱さなどを否定せずに受け止めることを大切にしています」
30分~1時間の面談のうち9割は子どもの話を聞き、「あなたのことが大切だ」ということを伝えながら、最後に「やってみないか」と行動目標を一緒に立てる。そんなふうにカウンセリングマインドを重視し始めると、睡眠や不登校が改善する子どもが増えていったという。
さらに、「『信頼関係がある人』から『緊張感』とともに助言されると改善に向かいやすい」と、木田氏。睡眠が改善した子どもたちに調査したところ、共通して「担任と保護者に言われても改善しない」ことがわかったのだ。
「生徒指導担当や副担任など『仲はいいけど、少し距離がある』『信頼しているけど、ちょっと怖い』と子どもが感じている人間が面談を担当すると効果的。いつもジャージ姿なのにネクタイを締める、校長室を借りるなど、緊張感を生む工夫をして担任が面談に臨むのもよいと思います」
子どもの睡眠と保護者の睡眠には相関関係がある
また、木田氏の調査でも、子どもの睡眠と保護者の睡眠には相関関係があることが明らかとなっており、親子で睡眠改善に取り組むと効果があるという。例えば、保護者の帰宅が毎日深夜0時を回る家庭があった。帰りを待っていた小学生と中学生の子どもは、しだいに朝起きられなくなり不登校に。そこで、保護者が何とか仕事を調整し、19時に一時帰宅して夕飯を一緒に取るようにしたところ、兄弟の睡眠は改善して学校にも行けるようになった。
「保護者には、適宜ブレーキ役にもなってほしい」と、木田氏は願う。とくに中学生になると、部活の朝練や夜の進学塾通いなどが始まり睡眠が1~2時間短くなる子が多い。しかし、そのまま頑張り続けると何かにつまずいた瞬間、急に朝起きられなくなるなど不登校になる傾向がみられるという。だから「子どもには『頑張れ』と言いすぎないことも大切」と木田氏は言う。
同市のように医療と連携しながら地域ぐるみで啓発していくことも効果を上げる秘訣のようだ。とくに幼・保から高校まで同じ取り組みをすることで、兄弟姉妹が一緒に睡眠を改善しやすくなるという。
「ただ、本市でも、面談までできている学校と啓発で終わっている学校とで差が出ています。先生方の負担にならないよう、効果的な活動にすることが課題」と、木田氏。同市では、GIGAスクール構想でタブレットが配布されたこともあり、今年度から「みんいくAIアプリ」を市内すべての小中学校に導入した。睡眠状況を入力するとAIが専門家のコメントを提示してくれるソフトだ。現状では費用や運用面に課題があるが、「うまく機能すれば負担軽減や集計の効率化につながる」と、木田氏は期待する。
なかなか改善しない日本の睡眠事情が子どもの健康を脅かしている。健康経営を重視する企業が増え、コロナ禍を機に働き方や生活習慣を見直す人も出てきている今は、社会全体で睡眠を改善していくチャンスではないだろうか。
(文:編集チーム 佐藤ちひろ、注記のない写真はペイレスイメージズ1〈モデル〉/PIXTA)
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