特集ワイド:酔いどれクライマー・永田東一郎伝/1 濃くなっていく彼の記憶 – 毎日新聞

特集ワイド:酔いどれクライマー・永田東一郎伝/1-濃くなっていく彼の記憶-–-毎日新聞 花のつくりとはたらき

カラコルムのK7遠征で隊長をつとめた永田東一郎さん=東大スキー山岳部OB提供

カラコルムのK7遠征で隊長をつとめた永田東一郎さん=東大スキー山岳部OB提供

 2017年9月、私は懐かしい人たちと東京・御徒町の居酒屋で日本酒を飲んでいた。相手は都立上野高校山岳部の先輩2人で、いずれも三十数年ぶりの再会だった。1人がフェイスブックで私の名を見つけ、一度飲もうという話になった。

 私は30代前半から新聞社の特派員として南アフリカ、メキシコ、イタリアの3カ国に暮らし、その後も福島県に駐在し、東京に腰を据えるようになったのは14年春、53歳になる年だった。その途上で年賀状もやめたため多くの人に不義理を重ねてきた。ところが聞いてみると、東京の足立、荒川、台東かいわいに暮らしてきた彼らにしても、そうそう高校時代の友人に会うことはないようだ。やはり30代、40代は家族や仕事に夢中で、思い出すことはあっても、青春時代の人々にわざわざ会いには行かないものだ。池之端や根津の辺りを、まだ夕暮れなのに年配の男たちがすっかりできあがって、同窓会なのか、わっはっはと笑いながら歩いている姿を、高校生のころよく目にした。コートに中折れ帽の男たちといでたちは違うが、私たちももうそんな年なのだ。家族への熱意も静まり、妻や子どもたちも方々を向き、仕事にさしたる欲も希望もなくなり、魔が差したように、昔の友に会いたくなる。しかし、それは正しくはない。昔の友など実はもういない。そこには昔の友の老いた、いや成長した姿があるだけで、互いの言葉をヒントに、自分たちが生きた10代、20代の瞬間を、彼らの目に映る過去の自分をぼんやりと、ときに鮮やかに追憶しているだけのことだ。

 「ひとり2400円ね」。割り勘で済ませた別れ際、唐突に2人に聞いてみた。「ところで、永田さん、どうしてます」

 2人は一瞬顔を見合わせた。「えっ、知らないの」「えっ」「死んだよ」「げっ、いつ」「もうずいぶん前だよ。5年、いやもっと前、震災のずっと前だよ」「なんで死んだんすか」「酒だよ、酒の飲み過ぎ」

 日々の予定や出来事を書いているメモ帳のその日のページをいま見返すとこうある。<永田さん。ショックというより、ああ、やっぱり。でも、いないと思うと寂しい>。その3日後の日曜日にも<午後、急に眠くなる。永田さんのこと>と書いてある。

 身内、友人、知人が何人も死んでいった。自分にとって珍しいことではない。信心深くないため、魂を深く信じているわけでもなく、葬式や墓参りはよほどのことがない限り行かない。行くのは遺族のためであり、死んだ人をそこで物理的に感じられるとは思っていない。去る者は日々に疎し。多くの死者は脈絡もなく夢に現れるが、いや応なしに薄まっていく。でも、どうしてなのか。永田さんの記憶は彼の死を知ってからまる4年が過ぎたいまも、薄まるどころか濃くなっていく。彼が私の前で動いていた一瞬一瞬が1970年代末から80年代という時代の風景に見事なほど定着している。

無力感…でも、らしいな

 「ああ、やっぱり」と思ったのには二つ理由がある。…

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