【ラグリパWest】残念も憧れも上達の糧。関西大倉高校[大阪府](ラグビーリパブリック(ラグビーマガジン)) – Yahoo!ニュース

【ラグリパwest】残念も憧れも上達の糧。関西大倉高校[大阪府](ラグビーリパブリック(ラグビーマガジン))-–-yahoo!ニュース 基本問題

ラグビーリパブリック(ラグビーマガジン)

 この時期、北摂の山並みは緑でまぶしい。関西大倉はその稜線に沿った大阪の茨木(いばらき)にある。

 来年、学校は創立120周年を迎える。「カンクラ」は私立男子校として出発。今は併設の中学もでき、共学にもなった。普通科のみ3つのコースのトップは偏差値70。この少子化の時代、中高の生徒数は2000人を超える。スクールバスはJR茨木など5駅に走る。

 勢いあるこの進学校にもラグビー部は存続する。スポーツ推薦のない中、指揮を執るのは土井川功(どいかわ・こう)。33歳の青年監督であり、保健・体育の教員でもある。

「ウチは未経験者が8割。生徒はみんな勉強するために来ています。ですから生徒たちが考え、実践するラグビーを目指しています」
 怒声は響かない。練習は1時間30分ほど。今はコロナの影響で完全下校が18時。通常より30分短くなる。土曜は授業もある。

 選手は2、3年だけで21人。そのチームが4月に始まった大阪府総体(春季大会)で2勝した。予選プールで淀川工科を24-12、合同C(大阪市立、寝屋川、大手前)を19-7と連破。淀川工科は全国大会出場13回を誇る公立の雄のひとつである。

 1年生5人が安全面から出場できない府総体の成績は、秋の全国大会予選の組み合わせに直結する。3地区にはそれぞれ成績順にABCの3つのシード校が置かれる。AとBは1校、Cの2校は準決勝で当たる。

 関西大倉は初めてCシードの6校に入る可能性があった。順位決定トーナメントで上宮太子(うえのみやたいし)、そして、大阪朝高を連破すれば、だった。そのトーナメントが中止になった。非常事態宣言発出による。

「挑戦権がなくなったのは厳しいです」
 土井川は視線を落とす。選手の安全安心という趣旨は理解できる。ただ、勝敗を別にして、力上位との戦いはチームの成長に欠かせない。差を体感。また鍛錬をする。その機会が失われる。残念さが残った。

 土井川自身、その指導にわずかながら手ごたえも感じてきていた。
 木田晴斗。教え子の存在が大きい。日本代表の下に位置するジュニア・ジャパン。速さと強さを兼ね備えたWTBは、この中高から立命館大に進学する。最終学年の今年は黄紺ジャージーの主将についた。
「僕らの憧れ。スーパースターです」
 主将でFLの永原宏信は目を輝かせる。

 土井川は木田と過ごした6年間を振り返る。
「彼はモノも姿勢も違いました」
 宝塚ラグビースクールでの経験者として入学。当時、中学のラグビー部は休部状態。木田は2人から同級生らを口説く。3年時には20人を集め、単独出場を可能にさせた。

「小学生の時、空手の国際大会で優勝したように、体育は常に5。数学も5でした」
 立命館大はOBである広野秀之が副部長をつとめる関係もあって動く。情報理工学部にラグビーを絡めてすすめた。
「去年の夏も練習に来てくれました」
 国内屈指になっても母校を思いやる。それは、土井川の指導への懐かしみでもある。

 土井川は教員になって11年目に入った。楕円球歴は4歳から。摂津市ラグビースクール、摂津一中、茨木高、大阪教育大と進んだ。現役時代はSO。関西大倉には大学卒業と同時に、後継者として望まれて行った。

 前任監督で教員だった佐藤秀記はスクールの校長もつとめた。土井川を小さい時から知る。引継ぎの2年が終わった2013年、「頼んだぞ」と定年退職する。佐藤は大阪の浪商(現・大体大浪商)から日本体育大に入った。母校から後継者を呼ばなかったことは、土井川の人間性や能力の高さを示している。

 ラグビー部の創部は1963年(昭和38)。来年、70年を迎える。天理大出身の丸井正博が初代監督。佐藤、土井川と続く。そのジャージーは赤と黒の段柄だ。
「浪商カラーです」
 佐藤は浪商の強い時代を生きた。監督・久保正道の下、1970年代を中心に9回の全国大会出場の記録が残る。

 チームは日本代表も輩出する。羽根田智也は90年代に活躍。LOとして龍谷大からワールドでプレーした。キャップは1。石本利比康(としひこ)は大阪府ラグビー協会の書記長をつとめ、トップリーグなどの試合運営の軸になった。初期の頃のOBである。

 関西大倉のグラウンドは土だがフルサイズ。両サイドにポールが立つ。その南側を含め、サッカー、アメリカンフットボールの3競技で場所を回す。体育館には共有のウエイトルームもある。施設的に見劣りはしない。

 土井川の補佐をするのは、コーチの有積廣晃(ありづみ・ひろあき)だ。土井川の1歳下。OBで立命館大卒。ラグビーは高校で終え、情報科教員として母校に戻る。部員勧誘もこの2人で行う。
「秋は15人を切らしたことがありません」
 新チームで戦う近畿大会予選(新人戦)、府総体は10人制で出ることはあっても、全国大会予選にはメンバーをそろえる。

 土井川には目標がある。
「決勝進出ですね。そこだけはぶれずにいきたいと思っています」
 これまでは府大会の4強が最高である。未知のゾーンへ引き上げることが、三代目の役目。難しければ、難しいほど、チャレンジする価値はある。

(文:鎮 勝也)

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