最後の“全国”は92年のインターハイ
清水東が最後に全国制覇したのは、現在日本代表でコーチを務める斉藤俊秀らを擁した1991年度の静岡インターハイ(東海大一との大会史上初の同県決勝対決)。全国大会への出場は翌92年のインターハイを最後に終わっており、高原や内田を擁した世代でもその壁を突破できなかった。特に近年は静岡学園、清水桜が丘(旧・清水商業)、藤枝東といった伝統校以外にも、浜松開誠館、藤枝明誠、常葉大橘と私立勢が頭角を現したことで、よりその壁は分厚くなっている。
清水東サッカー部の低迷の1つの理由となるのが、その“高すぎる学力”が挙げられる。
県立高校である清水東には当然、サッカー推薦はない。前述したOBが現在のサッカー界の要職を担っていることからも分かる通り、サッカーの実力があったとしても「文武両道」を体現できる者でないと清水東サッカー部の門はくぐれない。現在でも静岡県でトップ3に入る偏差値の進学校としての顔があるのだ。
OBでもある渡邊勝己監督は当時と現状の違いを説明する。
「今と違って、当時は良い大学に行くなら良い進学校に行かないといけない風潮があった。それに加えて『学区制』もあり、県内の中でもサッカーが特に盛んであった清水地区でそれを目指すのであれば、清水東の人気が高かった。文武両道で成功したいという意欲を持った選手が集まってきていたと思います」
だが、2008年度に静岡県内にあった10の学区は廃止。さらに入試形態もAO入学など、受験のアプローチも多彩となったことで、サッカーに特化した高校やJクラブユースから名門大学に進学するケースが増えた。
「技術レベルの高い選手は、サッカー部強化に乗り出す高校やJクラブの下部組織に進むようになった。特に静岡はその選択肢が多い。Jユースだけを見ても清水エスパルス、ジュビロ磐田、藤枝MYFCやアスルクラロ沼津……昔のようにトップクラスの選手がどんどん入ってくるような状況ではなくなっています」
さらに近年は3年生が夏のインターハイ予選を最後に引退し、受験に専念するケースが加速していた。例年30~35人ほど在籍するが、夏以降に部に残るのはだいたい7~8人。プレミア、プリンスリーグに次ぐ県リーグ1部で苦戦して降格した一昨季は、3年生はわずか4人しか残らなかった。昨季は昇降格のレギュレーションがなかったため、現在も2部リーグを戦っている。
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