《近づいてきた高校受験もストレスになった。一族が皆、慶応出身だった父親が宮本さんにも、その付属校に入ることを強く望んでいたからだ》
高校でも、大学でもいいから「とにかく慶応に入れ」というのがおやじの口癖でした。ところが僕は子供のころから、あまり勉強が好きじゃない。そうしたストレスからどんどん太っていくし、相変わらず友達もできない。次第に、高校なんて行く意味がない、と思い込むようになったのです。
そんな僕の様子を見て、両親もさすがに、「慶応でなくてもいい、都立の有名校などに行ってくれれば…」というようになりましたが、僕の気持ちは萎えてゆくばかりでした。
《両親が持ってきた学校のパンフレットで1校だけ興味をひかれたのが、玉川学園高等部。芝生の上で生徒たちが楽しそうに談笑している写真を見て自由な雰囲気が感じられた》
入試科目は、筆記と面接。筆記試験の成績は良くなかったと思う。きっと面接官の先生が合格させてくれたのでしょう。その先生はやがて、僕の人生を変えることになるほど大きな存在になっていくのですが、それはまた後の話…。
高校入学後、男子寮に入った僕はアメだけなめて過ごすような、過激なダイエットに挑戦し、痩せることに成功します。その前後のことですが、初めての恋もしました。交換日記やデート。今から思えば幼い交際でしたけどね。
ただ相変わらず、高校生活にはなじめないまま。2年生の春に、寮を出たこともあって、ついに、学校へ行けなくなってしまいます。
《最初は何となく、「学校へ行きたくない」…。そんな軽い気持ちだったが、気付いたときには、もう行けなくなっていた。最初のうちは同級生が誘いに来てくれたが、頑としてドアを開けなかった》
1、2カ月もすると、同級生は誘いに来なくなり、担任の先生も、サジを投げてしまったようでした。
今から思えば僕は、とても心の折れやすい若者だったと思う。「学校へ行ってほしい」という両親の思いはもちろん理解できるんだけれど、どうしても周りの視線や他人と会うのが怖い。「ふつう」の人たちとは感性や価値観が違う。話せない、暗い、つらい。自分を偽って〝演じる〟、自分がイヤになって疲れ果てる…。堂々巡りです。その悪循環から抜け出すことができなかった。
当時のことを振り返ると、ホントにつらい毎日でしたね。「学校だけが人生じゃない」とも思いましたが、さりとて違う道も見つからないわけです。
《そのうちに自室にこもってカギをかけ、一日中、出てこなくなった》
トイレ以外は部屋から出てこなくなりました。食事は(喫茶店経営の)両親が出かけたすきにこそこそと食べる。またカギをかけて自室にこもる…の繰り返し。当時、風呂にはほとんど入らなかったですね。自室にこもって、10枚くらいしかないレコードを何度も聴いたり、趣味の仏像の写真を眺めたり。
両親とは、ほとんど会話をすることがなくなった。つまり「ひきこもり」です。(聞き手 喜多由浩)
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