三浦市立小中学校では今月11日と19日に卒業式が行われ、約570人の児童生徒が思い出の学び舎を巣立った。
年度末、人事異動などにより、教職員もまた別れの季節を迎える。多数の著書執筆や全国各地での講演、長らく“みうらっ子”の保健教育などに注力してきた初声小学校の養護教諭、及川比呂子さんもその1人。40年にわたる教員生活にまもなく幕を下ろす。
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三崎下町出身の及川さん。高校生の頃から自宅で塾を開くなど、近所に住む年下の子どもたちの良き“先生”だった。請われればミョウバンの結晶づくりも体育の後転も教えたと言い、「人に教えることが楽しく、向いている」と思うようになり、教師の道を選んだ。
最初の赴任先は、岬陽小学校。当時はまだ木造校舎で、保健室の設備を含めて決して良い環境とは言えなかった。また、業務は救急処置や健康管理、保健指導など多岐にわたり、全校児童約900人に対して新米教師1人という不安を抱えてのスタートだった。「夏休みまでは頑張るけど、そこで辞めたい」。先輩教諭に相談すると、「石の上にも3年。楽しいこともつらいこともまだ分からないのに辞めるなんて」と一蹴され、思いとどまることができた。若かりし日々を懐かしそうに語る顔には、自然と笑みがこぼれる。
性の多様性を指導
その後、名向小・旭小を経て、現在の初声小へ。教員人生が終盤に差し掛かった2016年度からは、「性の多様性」に関する指導がライフワークだ。
制服で男子女子の枠組みが顕著に現れ、社会との繋がりも増える中学生になる前に正しく理解を深めてほしいと、身体のつくりや性的指向・性自認の尊重などを高学年の道徳の授業で扱ってきたが、小学校でのこうした取り組みはまだ少ないという。
担任として学級を受け持たない養護教諭は、多くの子どもたちと広く関わる。そのなかで、自分の身体と心の性に違和感を持つ姿をかつて何人も見てきた。「LGBTs」「性的マイノリティ」という言葉がなく、今ほど理解が進んでいなかった頃のことで、もどかしさを抱えていたという。「その時は何もしてあげられなかったという思いが、授業を始めるきっかけになった」
最後まで全力で
退職まであと10日余り。先の授業のみならず、こだわりを貫いた手書きのほけんだより、自らの失敗経験を基に記した実務マニュアル本の出版、自分らしい保健室経営など、「やりたいことはすべて出来て満足」と表情は清々しい。
新型コロナウイルスの感染拡大による臨時休校を余儀なくされた昨年。子どもたちの声が聞こえない学校の異質さ、感染症対策に奔走したことも記憶の1ページに刻まれている。
40年の教員生活からの“卒業”の感傷に浸る時間もなく片付けや引継ぎに追われる毎日だが、「今はこれが天職だから」と話し、最後の日まで全力で駆け抜ける決意を新たにした。
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