借金500万円男。歯の治療費のために水道代の支払いを見送る – ニコニコニュース

借金500万円男。歯の治療費のために水道代の支払いを見送る-–-ニコニコニュース 花のつくりとはたらき

ギャンブル狂で無職。なのに、借金総額は500万円以上。


それでも働きたくない。働かずに得たカネで、借金を全部返したい……。

マニラのカジノで破滅」したnoteが人気を博したTwitter上の有名人「犬」が、夢が終わった後も続いてしまう人生のなかで、力なく吠え続ける当連載は74回目を迎えました。

 今回は大学時代の思い出のお話です。

◆野球部と軽音サークルに所属した過去

 まだ大学生だった頃。と言ってもたった3か月での間に起こった事だったが、僕は軽音サークルに入っていた。1年間浪人生活を経て入った大学には、受験勉強の代償として失った青春の全てがあると思っていたからだ。軽音サークルだけではない。硬式野球部にも所属していたし、趣味でスケボーもしていた。

 大学でも野球を続けた理由は簡単で、小学校の時からずっと一番になれなかったからだ。田舎の小学校から田舎の中学校、そして高校とずっと野球を続けてきたが、この12年間をもってしても、ついに僕にスポットライトが当たることは無かった。

 なぜか。理由は簡単で、幼馴染がずっとエースだったからだ。浅ましい子供が一番やる気を無くす瞬間とは

主人公になれないんだろうな」

 という確信を得た時で、僕は野球に関してはどこか冷めていて、斜に構えていて、色物としての存在感の出し方だけを考えていた。実力のものさしに乗せられても絶対に勝てない仲間を横目に見ながら、それでも自分が大人から評価される方法を模索した結果、踏み入れたのは邪道だった。

 エースと同じピッチャーになり、アンダースローというキモくて珍しい投げ方と、ナックルボールという無回転のキモい変化球を習得した。おかげで高校生の頃には遠征で他の学校に行く度に相手校の選手から奇異の目で見られるようになり、相変わらずエース幼馴染の環境で登板機会こそ無かったものの、投球練習だけで選手層の厚さを見せつけるハッタリ係として活躍することができた。

 この頃の経験が今の

「笑わせるのではなく笑われたとしても得られる、人を笑顔にする喜び」

 への執着に繋がっているのかもしれないし、借金をしてもなおヘラヘラと生きている現状の根源なのかもしれない。

◆野球部で大学デビューを果たす

 大学で入った野球部は部員が少なく、すぐにピッチャーとして活躍する機会が得られた。僕にとっての大学デビューはこの瞬間だった。

 軽音サークルは数か月で辞めた。モテなかったからだ。軽音サークルへの憧れは昔からあった。

 先述した通り野球部内で色物だった僕はモテるための全ての行動を自ら制限してしまっていた。

クラスのお調子者」は周囲の見方に反してプライドが異常に高く、お調子者としてのプロ意識の高さから、甘酸っぱい青春の全てを捨ててきた。恋愛やオシャレに鈍感であることで、普通の人とは違う感性の持ち主であるかのような振る舞いをした。周りを見ながら「周りと違う価値観」に執着していたのだ。

アジカンコードを覚え辞める

 進学校の生徒にとって、人生の本番は大学生活だ。そしてみみっちいことに、彼らにとっての人生の本番とは「サークル・恋愛・アルバイト」だった。

 青春初心者の僕たちは、入門編のつもりで軽音サークルに入るのだが、手取り足取り教えてくれるチュートリアルのようなものはなく、初心者マークを剥き出しにして右往左往し、最終的に「お調子者として生き残るか、他のサークルでやり直すか」という二択に迫られる。

 体も心もしっかり男の子であるにも関わらず、同じ土俵で戦うのが怖くて恋愛に興味がないフリを続けるのは御免だった。ギターは、アジカンコード進行を少し覚えて辞めた。英検4級くらいの能力なので、それ以来ギターを触ったことがあると他人に喋ったことは無い。

◆スケーターの仲間に入り……

 趣味のスケボーは長く続いた。これは単純にスケボーが面白かったのと、少し悪そうな環境にいる自分がたまらなかったからだ。

 僕は千葉の大学に入学したので、遊ぶ場所はほとんど柏だった。柏駅は2階に駅があり、駅前部分に車が乗り入れなかったため、深夜はラッパーやスケーター、少し悪い中高生の溜まり場になっていた。

 大学中退を決意した後、僕は土日の野球部の遠征以外にやることが無くなり、まだ実家の援助もあって金も持て余していたため、柏で深夜を過ごすことが多かった。

 その時に一番興味を持ったのがスケボーだった。当時の柏駅ではスケーターが一番多く、終電も無くなった頃になると6人から10人くらいの悪そうな見た目の少年たちがどこからともなく集まり始め、様々なトリックの練習をしに来ていた。

「いつもこの時間にやっているんですか?」

 と声をかけると、

「そうですよ! スケボーやるんですか?」

 と快く返してくれた。最初の3回くらいは見ているだけだった。6人が全員同時に滑っているわけではなく、3人滑っている間は残りの3人で雑談をしていた。僕がスケボーを買ってくると、みんなが最初の乗り方から丁寧に教えてくれた。結局オーリーという基礎の基礎みたいな技までしか覚えられなかった。

 彼らと遊ぶことによって夜の街が怖くなくなった。人は常に誰かの威を借りるところから始まるのかもしれない。

◆吐き出したのは、折れた歯だった

 僕はこうして、短かった大学生活を思い出す時がある。

 先週、ラーメンを食べながら石のような物を噛んでしまい、違和感を感じて吐き出した。

 前歯だった。

 スケボーを覚えて1か月目のある日、スケボーに顔面を打ちつけて前歯を折ってしまっていた。当時、本格的な治療の前段階として仮の差し歯を入れてもらったが、吐き出したものはその差し歯だった。

 大学を中退し、援助が打ち切られ、歯医者に行く金が無かったので継続的な治療ができず、未だに同じ仮の差し歯を使っている。差し歯が抜ける度に3000円で適当な歯医者に行き、接着剤でくっつけてもらう。この急な3000円の出費によって水道代を1か月見送ることにした。

◆数千円の出費が生活にヒビを入れる

 家に帰り、差し歯をつけたり外したりして遊びながら、手頃な歯医者を探す。突然の数千円の出費で、ギリギリの生活にヒビが入る。


仮のものとしてつけられた差し歯を、結局8年間使い続けている。ヤニのこびり付き方が他の歯と違うからすぐにバレてしまうが、虫歯のような違和感を感じたことはない。

 スケボーを教えてくれた少年は今頃25歳くらいだろうか。もうスケボーは辞めてしまったのだろうか。もう会ってもお互いに顔も覚えていないだろう。

理科大ってめっちゃ頭良いじゃん!もったいねー!」

 そんなことないよ、と言った気がする。

 ほらね、とは言えない。

文/犬

【犬】


フィリピン
カジノで1万円が700万円になった経験からカジノにドはまり。その後仕事を辞めて、全財産をかけてカジノに乗り込んだが、そこで大負け。全財産を失い借金まみれに。その後は職を転々としつつ、総額500万円にもなる借金を返す日々。Twitternoteカジノですべてを失った経験や、日々のギャンブル遊びについて情報を発信している。


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