福岡大空襲の日 嘉麻でも爆弾 – 読売新聞

花のつくりとはたらき

 福岡市中心部に1500トン超の
焼夷しょうい
弾が投下され、1万2000戸以上が被災した1945年6月19日の「福岡大空襲」。同市から南東に約30キロ離れた福岡県嘉麻市でも、焼夷弾とみられる爆弾を見たというきょうだいがいた。その記憶を継承しようという活動も進められている。

自作の資料を見ながら当時を振り返る永吉隆さん

 同県太宰府市に暮らす永吉博義さん(89)は当時、宮野村(現・嘉麻市)の旧制中学1年生で、両親ときょうだい5人と暮らしていた。6月19日夜、空襲警報が鳴り響いた。自宅2階で勉強していると空がパッと明るくなり、何かが落ちていくのを見た。

 翌朝、近所の子ども数人と落下地点と思われる田んぼに向かった。そこには数十本の六角形の筒が地面に突き刺さったり、散らばったりしていた。筒は長さ50センチほどで、長いひものようなものが付いていた。

 国民学校3年生だった弟の隆さん(85)(福智町)は、兄が持ち帰ってきた2本の筒のことをよく覚えている。隆さんは「独特の形とひもが強く印象に残った」と振り返る。

 戦後、隆さんは理科教諭になり、同県嘉麻市や飯塚市の中学校に勤務。2019年夏、かつての教え子から1通の手紙が届いた。「(中学生の時に)先生から焼夷弾の話を聞いたので調べてみたが、どこにも記録が残っていない」と書かれていた。手紙を読み、長く胸にしまっていた戦争中の記憶がよみがえった。

 何か記録が残っていないか、戦争資料を所蔵する嘉麻市碓井平和祈念館を訪れたが見つからなかった。同館職員の青山英子さん(63)の協力で、国民学校の同級生らへの聞き取りを重ね、証言を集めていった。

 その中で、長兄の正一さん(2020年に死去)が飯塚市の夜間中学から帰る途中、上空の飛行機と何かえたいの知れないものが花火のように光りながら自宅の方角に落ちていくのを目撃していたことがわかった。隆さんの国民学校の友人からも「ヒューン、パラパラという音を聞いた」「火の海を見た」などの証言が得られた。

 隆さんは20年10月、同館が企画した平和イベントで当時の体験を話した。「集落に落ちていたら大惨事になっていた。何が起きるか分からないのが戦争だということを子どもや孫の世代に伝えていきたい」と話す。証言は、青山さんの手でまとめる作業が続いている。

[記者メモ]体験談 掘り起こしたい

 永吉隆さんによると、身内を含め、当時の大人たちから焼夷弾とみられる爆弾の話を聞いたことはなかったという。なぜ地元に記録が残っていないのかは不明だが、隆さんは「記憶はいつか消えてしまう。良いことも悪いことも、必ず記録に残すことが大事だ」と話す。

 戦後76年がたち残された時間は少ないが、私自身もこれまで語られることのなかった戦争体験を掘り起こしていきたいと感じた。(佐々木道哉)

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