妻のプリシラ・チャンが語る「夫ザッカーバーグの素顔」と「フェイスブックの功罪」 | 夫とは天と地ほど違う彼女の経歴 – courrier.jp

妻のプリシラ・チャンが語る「夫ザッカーバーグの素顔」と「フェイスブックの功罪」-|-夫とは天と地ほど違う彼女の経歴-–-courrier.jp 花のつくりとはたらき

Photo by Taylor Hill/Getty Images

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Text by Kirsty Lang

マーク・ザッカーバーグと後に彼の妻となるプリシラ・チャンは、ハーバード在学中に出会った。現在は慈善事業に情熱を注ぐ彼女だが、その境遇や規範意識は夫ザッカーバーグとは驚くほど対照的だ。

フェイスブック(現メタ)に対する批判から、夫妻の出会い、ソーシャルメディアをめぐる我が子への教育方針まで、香港紙「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」による、これまでで「最も突っ込んだインタビュー」を前後編でお届けする。

プリシラ・チャン(36)にインタビューを行った週は、彼女の夫がCEOを務める会社にとって、またしてもタイミングが悪かった(※元記事は11月に掲載された)。夫マーク・ザッカーバーグ(37)がハーバード大学在学中に起業したフェイスブックは、連日トップニュースに取り上げられていた。それもあまり良くない話題だ。

内心、キャンセルの連絡を期待していたが、それはなかった。代わりに、彼女がCEOを務める団体の事務方から、フェイスブック関連の質問はしないようにと通告された。彼女は夫の会社に代わって答える立場にないから、というのが理由だった。

できればそうしたいが、いまやフェイスブックは、かつてのタバコ大企業と同一視されつつある。「顧客の健康と安全よりも利益を優先し、国民の分断を増幅させかねない有害コンテンツを垂れ流した」との非難に直面し、報道合戦と政治の嵐に巻き込まれているのだ。



ザッカーバーグ夫妻の「壮大な目標」

チャンと会ったのはシリコンバレーの中心地、カリフォルニア州レッドウッドシティに建つ慈善団体、チャン・ザッカーバーグ・イニシアチブ(CZI)の本部だった。ザッカーバーグ夫妻によれば、CZIを通じて、夫妻が持つ財産の99%が寄付される計画だ。1兆ドル企業の筆頭株主である夫妻であっても、それは間違いなく大金だ。

チャンとザッカーバーグ夫妻には壮大な目標がある。それは、「今世紀末までにあらゆる病気の治療、予防、管理を支援し、すべての子供たちに公平な機会が与えられる平等社会の実現」だ。夫妻はこの団体を通じて、これまでに30億ドル以上を寄付に回している。

色鮮やかな壁画に、地元在住アーティストによる絵画、人々を鼓舞する女性たちのストーリーが投影されたスクリーン。オフィスというより、金持ちが潤沢な資産で運営している小学校のようだった。

建物に入ると、健康的な食事を提供する無料のカフェテリア、「ピザ」や「ファラフェル」と名付けられたテーマ別の会議室も用意されている。

屋上庭園で、カメラマンに向かってポーズをとるチャンを見つけた。気取ったところがなく終始にこやかで、誰もが親しみを抱くような女性だった。冷たいロボットのような印象を与えがちな夫とは好対照だ。

世界一富裕な女性の仲間入りをしているにもかかわらず(本稿執筆時点での夫ザッカーバーグの推定純資産額は1159億米ドル)、元教師で、その後医師の教育も受けたチャンには光り物がいっさいなかった。ゴールドの結婚指輪以外の宝飾品はひとつも身につけていないし、メイクもほとんどしていない。

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2017年、女性のリーダーにフォーカスしたリーダーシップイベントに参加したプリシラ・チャン

Photo by Rachel Murray/Getty Images for AOL


社会事業は誰のアイデア?

チャンとザッカーバーグは2012年、チャンが医学部を卒業したのと同じ週の、フェイスブックが株式市場に上場した翌日に結婚した。4年後、彼女は小児科医を辞めて、CZIの常勤の共同CEOに就任、同団体の数十億ドル規模の予算管理を受け持つようになる。かなり思い切った転身だったはずだ。

「とにかく最初はパニックでした。でも、そこがマークのすてきなところで、腹立たしいところでもあります。彼はいつも、私自身が自分を信じられる以上に私のことを信じてくれています。『きみならできる』というのが、彼の口癖です」

夫妻には、5歳のマキシマと4歳のオーガストという2人の娘がいる。ザッカーバーグはマキシマが生まれた日に、娘への公開書簡というかたちで、社会事業団を設立することを発表した。

フェイスブックを批判する多くの人は、この社会事業団がザッカーバーグの悪評洗浄機関としてどれだけ機能しているのか、といぶかるかもしれないが、妻のチャンにとっては、純粋に人びとを助けたいという動機で設立したようだった。

そこで、この社会事業団を設立したのは誰のアイデアか、あなたの発案ですか、それとも夫の発案ですかと訊いた。

「マークとは18年をともに過ごしてきました。いままで生きてきた時間の半分を彼と過ごしてきたんです。マークは、『きみがやるべき使命は社会貢献活動だ』、とつねづね認識していました。2005年という非常に早い時期に、フェイスブックによって私たちが、夫が利益を上げ始めたことが鮮明になったとき、夫も私も社会に恩返しすることにしたんです」

苦学して入ったハーバードに馴染めず……

チャンとザッカーバーグが知り合ったのは、彼女がハーバード大学で過ごす初めての学期のことだった。奨学生のチャンは、周囲に溶け込めずにいた。彼女はベトナム戦争難民の娘として、アイルランド系労働者階級が多く住むボストン南東の街クインシーで育った。英語がほとんど話せなかった両親は複数の仕事を掛け持ちして、なんとか帳尻を合わせてやりくりしていた。

それでも父デニスは蓄えたお金で、中華料理店をボストンに開業した。デニスと妻イヴォンヌは、その料理店で毎日18時間働いた。そのため、チャンの面倒はほとんど祖母が見ていた。

チャンはクインシー高校に進学した。配管工や電気工事士の養成が専門の工科高校だった。学校ではひとり浮いた存在でひどいいじめを受け、昼食は女子トイレに隠れて食べたという。それでもロボット工学をはじめとするサイエンス科目は充実していた。チャンは優等生だった。

チャンの恩師のひとりスワンソンは、ハーバード大学で生物学を学びたいというチャンのために願書作成を助けた。そして、自身がコーチを務めていたテニスクラブに入るように勧めた。ハーバードは完璧な経歴を好むから、というのが理由だった。

両親からの励ましは? 彼女は笑って答えた。「両親にとってのハーバードは、ボストンの地下鉄の駅名にすぎませんでした」

ハーバードのような名門大学に入学できたことは、チャンの人生で最高の瞬間だったと言えるだろうが、そのじつ彼女はハーバードを嫌っていた。ここでもまた、彼女の居場所はなかった。「誰もが同じ口調で話していました。皆同じような服を着て、勉強のやり方も心得ていました」

チャンは、富裕層の女子学生がフランスのブランドであるロンシャンのバッグを持っていたと言った。「そのときまで見たこともなかったから、プラスチックに革を少し貼っただけのバッグがなぜそんなに高いのかが理解できませんでした」

チャンは自活するため、ワークスタディ契約を結んでいた。週に一度、同級生にアフタヌーンティーを振る舞う仕事も含まれていた。

「ハーバードのモデルはイギリスのケンブリッジ大学やオックスフォード大学なので、ちょっとハリー・ポッターっぽいところがあります。ハウスと呼ばれる学生寮で3年間を過ごしたんですが、私がいた寮では毎週木曜に、全寮生がお茶会に招かれるんです。私のワークスタディの仕事は、寮生たちのためにライスクリスピーを焼いたり、チャイを淹れたりすることでした」


悪名高い学生、ザッカーバーグとの出会い

ザッカーバーグは彼女の1学年上で、10代前半からプログラミングに長けていた数学オタク青年だった。ハーバード在学中、女子学部生を「イケてるかイケてないか」で判定する「フェイスマッシュ」というサイトを作ったことで悪名を馳せた。

このサイトを作ったことで、彼は大学の個人情報保護規定に違反して懲戒処分を食らう。チャンと出会ったときの彼は、退学させられるものと覚悟を決めていた。

チャンは、「ザッカーバーグは初めて会うなり、さっそくデートに誘ってきました。自分に残された時間は少ないと思い込んでいたんです」と言った。

「フェイスマッシュ事件が起きて、『これは確実に退学させられる』と案じたザックの学友がパーティーを開きました。さよならパーティーでした」。2人はトイレの順番待ちのときに出会い、言葉を交わした。パーティーがお開きになると、彼はチャンをほかの友人とともに自分の寮に招いた。

「私たちのユーモアのセンスは似通っていた」とチャンは言う。ザッカーバーグは、プログラミングがらみのジョークを彼女が理解したことに驚いていたという。

「彼がビールグラスを持ってきたんですが、グラスに「#include <beer.H>」とありました。これはC++というプログラム言語のタグで書かれたものです。たわいない学生ジョークみたいなものですが、コンピュータサイエンスに通じたオタクには受けたのです」

C++がプログラミング言語であることくらいは承知しているが、はっきり言って、このとき彼女が何を言っているのかよくわからなかった。わかったのは、ハーバード大学の金ピカ学生に囲まれて気まずい思いをしていた2人の若者が、どうやってお互いを見つけたのか、その経緯だった。

境遇もモラル感覚も正反対の2人

2人は立て続けに数回のデートを繰り返した。チャンはマークを好きになったものの、彼の規範意識のなさに青ざめた。「私はルールを守る人間。文字どおり苦学してハーバードに入ったのに、そこから放り出されようとしていた人が目の前にいた」

ザッカーバーグは2回目のデートのとき、「ほんとは明日のテスト勉強をしなくちゃいけないんだけど、きみと一緒に過ごしたい」と言ってチャンを驚かせた。

「お堅いプリシラから見た彼は、ちょっとした反逆児でした」と彼女は自嘲気味に話した。ザッカーバーグはハーバード大学からの追放は免れたが、やがて中退して、フェイスブックとして知られるようになるソーシャルネットワーク会社を立ち上げた。

チャンは、大学の授業がない日を利用してボランティア活動に打ち込んだ。自分が育った地域からさほど離れていない団地で、恵まれない環境にある子供たちの家庭教師をしていた。ハーバード大学卒業後に就いた最初の仕事は、中学校の理科教師だった。

2人の経歴は、天と地ほども違っていた。ニューヨーク州北部出身のザッカーバーグは中流階級のユダヤ人家庭に育ち、教育環境にも恵まれていた。一方でチャンの両親は1970年代、いまにも沈みそうな木造船でベトナムを脱出した、ボートピープルだった。

「私は中国人の血を引いていますが、両親の祖父母はサイゴンに住んでいました。それぞれ複数の子供がいて、密かに出国させようとしました。しかし子供たちを一度に同じボートに乗せたら、万一、ボートが沈んだときに全員死んでしまう。そこで、それぞれ違うボートに乗せたのです」

「祖父母にどんな計算があってそうしたのか、想像できますか? 真夜中の南シナ海に子供だけをおんぼろボートに乗せて送り出したんです。しかも戦争中ですよ」。彼女は身震いした。

当時12歳だった母イヴォンヌは、家族の友人の娘と同じボートに乗せられた。最終的に2人とも救助され、タイの難民キャンプに収容された。

数年後、イヴォンヌは友人のきょうだいのデニスと出会って結婚したが、それぞれの家族がアメリカで再会を果たすまでには、さらに10年を要した。チャンは1985年2月、マサチューセッツ州で生まれた。

チャンの目には涙が浮かんでいた。子供が生まれてから、急に涙もろくなったとチャンは言う。2019年、当時の大統領ドナルド・トランプが、夫の作ったソーシャルネットワーク上で移民を「侵略者」呼ばわりした広告を何千回も打ったとき、彼女はどう感じていたのだろうか? トランプの言葉の選び方、彼がかつて移民のギャング団について「彼らは人間ではない、動物だ」と言った事実を持ち出して訊いてみた。

チャンは初めて顔をしかめた。「大統領があんなことを口にするとは。ショックでした」。

ホワイトハウスに招かれ、トランプ夫妻とディナーに同席したときはさぞ気まずかったのではないか。

「自分にとって重要な仕事を分かち合うチャンスになるのなら、それは引き受けるべきでしょう。私はトランプ大統領にもオバマ大統領にも会いました。なぜなら彼らのような人たちは、この国の行く末に影響を与える重要人物だからです」(続く)




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