高橋真樹さんに聞く、SDGsの限界とその向こう側(前編) – greenz.jp

花のつくりとはたらき

こんにちは、鈴木菜央です。「いかしあうつながり」「関係性のデザイン」に近い分野で実践・研究しているさまざまな方々と対話する連載の第6回目はノンフィクションライターで、国内外をめぐり持続可能性をテーマに取材・執筆(greenz.jpでも記事多数)している高橋真樹(たかはし・まさき)さんです。

真樹さんは、『日本のSDGs それってほんとにサステナブル?』(大月書店)を出版されました。今回の対談では、この本の内容を参考にしながら、「いかしあうつながり」やサステナブルとは何かについてさぐります。

高橋真樹さん

鈴木菜央(以下、菜央) 本を拝見したんですが、すごく面白かったです。「環境にいいことを増やしていけば、持続可能になるよね」とか「SDGsをやってるからOK」というナイーブな見方に対して「ちょっとまって、それ全然持続可能な社会につながらないよ?」と問うているところが面白いなと思いました。最初に簡単に自己紹介と、この本を書いた動機はどんなものだったか、聞かせてください。

真樹さん ジャーナリストの高橋真樹といいます。全国を回って自然エネルギーや省エネ、そして持続可能な取り組みを取材したり、伝えたりしています。それから、今住んでいる家は、取材目的で訪れた世界トップクラスの断熱がされているエコハウスなんです。もともとモデルハウスだったんですが、工務店の社長に使ったらどう? って言われて、いろいろあったんですが、ここに住むことになりました(笑)

高橋さんの著書『日本のSDGs ~それってほんとにサステナブル?』(大月書店)。SDGsが形だけになりがちな理由を解き明かし、本物の持続可能性を示唆する。

菜央 モデルハウスにそのまま?

真樹さん そうなんです。菜央さんにも来てほしいなぁ。

よくご存知だと思いますが、体感しないと実感できないことがすごくたくさんありますよね。日本ではまだこういうエコハウスを体験している人が圧倒的に少ないので、日本の「がまんの省エネ」の考え方が根強く残っています。そこを変えるために住みながらどんどんお客様を招いたり発信していければと思ってやっています。エコハウスの体験については、夫婦でブログをやって発信しているんですよ。(「高橋さん家のKOEDO低燃費生活」http://koedo-home.com/

さて本についてですが、SDGs(※)の認知度はすごく上がっています。それはいいことだけど、やっていることを見るとまだまだ日本社会では本質が理解されていないと感じることが多いと思いました。ロゴマークがペタペタと貼り付けられて、ペットボトルのラベルを剥がしたから「SDGs商品です」と売られていたり、企業の宣伝のためにSDGsが使われてしまっているところもある。

(※)Sustainable Development Goals。2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択された「我々の世界を変革する持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標

僕自身を含めて、何が本当のSDGs? ということについて、モヤモヤしてる人がいっぱいいるんじゃないかという実感がありました。そこで、本来SDGsってどんなもので、どうしなきゃいけないかということを掘り下げたい、と調べたり取材したことを本でギュッと濃縮してまとめています。

SDGsはスタートライン

菜央 本の反応はどうですか?

真樹さん 僕が扱ってきた内容は、ここ数年は環境やエネルギーの話が中心でしたが、今回はSDGsなので、ジェンダーや労働問題、貧困など幅広かったですね。

SDGsは、単にたくさんの分野を扱っているというよりも、それぞれが結びついて課題を生み出していることを理解することが大事。その分、まとめるのはかなり頭を悩ませましたが。ありがたいことに、各分野の専門家の方たちからも嬉しい評価をしていただいています。違う分野のことが知れて刺激になったという方もいました。

菜央 とくに第二次世界大戦後、一人ひとりの市民の暮らしを良いものにしていくことを目指して、医療制度の整備、平等な教育機会などを、経済の発展を通じて実現していこうみたいな大きな流れがあって、経済を発展させてきて。その結果、その負の影響がたくさん出てきてる。それがもうあまりにも積もり積もって、ついに自分たちの行く道すら先が見えなくなってきたっていうのが、現状だと思うんですよね。

その中で国連がSDGsという枠組みで、さまざまな問題を別々のものではなくて「一緒に解決していかなくちゃいけない目標」として整理して見せたっていうのは意義があった。

真樹さん 1972年に科学者のグループ「ローマクラブ」が出した『成長の限界』というレポートでは、世界の人口が増えて無限の経済成長を前提とした資源の収奪をし続けることで、地球の生態系もおかしくなるし、もう数十年以内に地球に限界が来ると起こると予測していました。

つまり、今の世界の危機は突然起きたことではなく、僕や菜央さんが生まれる前から予測されてきたことが、その通りに起こっている。

日本でもそうですよね? 人口減少とか高齢化って、突然やってきたわけじゃなくて、1970年代からいずれ来ると言われていてその通りになっただけのことです。でもその間、根本的な対策が取られませんでした。

(※)民間のシンクタンクであるローマクラブが資源と地球の有限性に着目し、マサチューセッツ工科大学のデニス・メドウズを主査とする国際チームに委託して、システムダイナミクスの手法を使用してとりまとめた研究で、1972年に発表された。現在の傾向が続けば、100年以内に地球上の成長は限界に達する」と警鐘を鳴らしている。

真樹さん これまでは、それぞれの専門家がバラバラの分野ごとの会議でそういう問題に取り組もうとしてきたけど、様々な分野はつながっているので、単体で対策を練っても解決できないということです。例えば経済界が変わらないとできないこともたくさんあるのに、巻き込めてこなかった。

でも、今回目の前に危機的な状況を迎えたことで、「すべてまとめて変えなきゃいけない。総合的に仕組みを見直すべきだ。今までの持続不可能な社会をつくってきた責任は、私たちにある」とはっきり宣言したこと。それがSDGsの新しい発想であり価値だと思っています。

SDGsはその文言は特別新しいものではありません。


でもこのつながっているという発想は、すごく大事だと思いました。

そして今まで変えることができなかったものを変えていくためには、個々の努力だけでは足りません。総合的に社会の仕組みを変えていくことが大切です。SDGsでは「トランスフォーム(大転換)」と言っています。どの分野でもそこに向けてやらなきゃいけないということになります。

菜央 そこの“スタートライン”を整えたっていうことなんですね。SDGsの目標そのものには「じゃあどうやって解決するの?」っていうのは別に書いていないわけですし、そこが次のものすごく大きな論点かなと思っています。

真樹さん SDGs自体に実は結構課題もあって。ゴールやターゲットの中には、こうしたらいいよってことは書いてあったりするけれど、じゃあその通りにすれば貧困が全部ゼロになるかとか、気候変動が解決できるというわけじゃない。

そこは国連全加盟国(193ヶ国)が3年がかりで議論して合意するっていうことを考えれば、当然内容的に妥協したりとか、駆け引きしたり、曖昧な表現になったりしているわけです。

それでも、とりあえず“スタートライン”までは文言になったことには意義があります。そこからどう落とし込んでいくか? というのはより難しい課題です。特に日本独自の少子高齢化みたいな話はグローバルな課題でもないので、地域ごとに落とし込んで行く必要がある。そこは実行する一人ひとりに委ねられてる面がすごくあると思いますね。

“トランスフォーム”と“誰ひとり取り残さない”

菜央 そうだよね。それから、ついに企業も範囲対象に入ったし、市民も参加していかなくちゃいけないんだっていうことが明記されたのも、大事なところだよね。これまでは各国政府がどうするかみたいな話だったけど、「全員が活動をしていこう」って合意したのは結構ポイントなのかな。

真樹さん そう、SDGsの前身であるMDGs(国連ミレニアム開発目標(2000〜2015))の場合、「途上国の貧困をなくそう」と呼びかけても先進国の人は当事者意識を持ちにくかった。でも貧困をつくり出している原因の大きな部分は先進国なので、当事者が責任感をもってちゃんと関わんなきゃダメと位置付けたのが、SDGsのひとつポイントです。

もうひとつは、今までとは“つくり方のプロセス”が決定的に違ったことです。今回のSDGsの合意の際には議論がオープンにされて、企業や市民社会、子ども、若者、高齢者、先住民とか、いろんなグループが参加をして意見を表明しています。もちろん満足できた内容ばかりではないとは思いますが、今までの国際的な約束ごとよりは開かれて参加型でできたことは確かです。

菜央 答えが上から降ってくるんじゃなくてね。あとひとつ、SDGsは「誰ひとり取り残さない」っていうふうにすごく大きく掲げていて、それもいいポイントかな。

真樹さん 2大コンセプトは、「トランスフォーム(大転換)」と、「誰ひとり取り残さない」です。大転換するときは何かが取り残されがち。例えば石炭産業をなくして再エネに切り替えるのは大事だけど、石炭産業にいた人が大勢失業して貧困が生まれる可能性もあります。

そういうことができるだけ少なくなるように、その人たちが再エネの仕事に就けるような段取りをつくるとか準備しておく必要がある。「大転換」と「誰も取り残さない」を両立させることはすごく難しいけれど、それをしなきゃいけないということです。

菜央 その「トランスフォーム」と「誰ひとり取り残さない」っていうのを両方実現するというのは、これは結構すごいことですよね。何というか、連立方程式を解くように難しくなった感じがするなぁ(苦笑)

経済だけを追い求め続けると破綻する

菜央 僕らはどんな状態から「何」に「トランスフォーム」しないといけないのか? なぜ誰かが「取り残される」社会になってしまったのか? って思うわけです。

僕としてはそれは、「自然や人々を犠牲にしてでもお金を追求する経済」から、「自然も人も幸せになる経済」へのトランスフォームなんじゃないかと思っています。

じゃ、「自然や人々を犠牲にしてでもお金を追求する経済」はどこからきたのか? というと、僕調べですけど、哲学者のデカルトが提案した「還元主義」なんじゃないか、と思うのです。わかりやすいのでウィキペディアで還元主義の説明を見ると、「複雑な物ごとでも、それを構成する要素に分解し、それらの個別(一部)の要素だけを理解すれば、元の複雑な物ごと全体の性質や振る舞いもすべて理解できるはずだ、と想定する考え方」ってあります。彼は世界を神様がつくった摩訶不思議なものではなく、機械に例えて、部品を一つひとつ理解すれば、機械が理解できるように、世界も理解できるだろう、って言ったわけですね。

この考え方は、僕らの社会の本当に隅々にまで浸透しています。たとえば病院で検査をすると、臓器、筋肉、血管と分けて分けて、一つずつの機能を調べたり悪いところを取り除いたりして治そうとしますよね。学校では、国語算数理科社会と教科にわけて、一つひとつを理解しているか確認するテストをおこなって、評価しますよね。

のちの産業革命へとつながる近代科学の基礎を築いたニュートンは「自然は機械そのものだ」と言い切った。自然が機械だとすれば、最大限活用して効率化したくなるわけで、効率化を図る最も良い手段が、たった一つの指標を全員が追いかけることなんですよね。その中から、世界のすべての人が経済合理性を追求すれば、最もたくさんの人が幸せになれる、という考え方に至ったと僕は理解してます。

菜央 ところがここ100年ほど、生物学や生態学なんかの分野でわかってきたのは、生物の体、生き物と生き物のつながりや関係性は、どうも分けても分けても、どこまで分けて行っても決して理解できない、ってことなんだよね。

アリを解剖しても、なぜアリ社会がキノコを栽培したり、外部からの影響に非常に柔軟に対応できるのか、わからない。そしてそれは、人間自身も、人間社会も同じだと思うんです。僕ら人間って、すごく「全体的」な存在なんですよね。ほかの生き物、地球環境と調和しなければ、生きていくこともできないっていう考え方やあり方は、世界各地の昔からの考え方としてもあるわけです。

ところが、そんな僕らは、ここ200年ほど、お金を追いかけることを一番優先する社会をつくってきた。環境を環境を「僕らを生かしてくれる大切なつながり」ではなく、徹底的に利活用して奪ってきた。奪う対象は人間も含まれる。奪う対象は、その国の中で弱い立場にいる人たちや、途上国の人たち。

先進国は先に発展して豊富な資源や捨てる余地がたくさんあることを大いに活用して良いポジションをゲットしたけども、途上国が同じことをやろうとしたら、あまりにも影響が大きすぎる。僕ら人類の活動が地球に対してあまりにも大きくなってきて、全員が幸せになるっていう構図は、もうないんですね。

その単一目的志向みたいなものが今の社会の問題をつくり出しているとしたら、やっぱりその志向の延長上でものごとを解決しても、うまくいかないと思うんですね。それをもう僕は身をもって体験していて。NPOグリーンズでもね、なんとか組織を経済的に成り立たせようとしたあまり、自分の健康を害してしまったり、家庭崩壊しかけたりしたんですよね。

一つの目的だけを追いかけるということは、常になにかを取り残して、こぼして、忘れていくってことなんだと思うんです。だから社会の根底をつくっている「要素還元的」、「単一目的思考」考え方そのものを、やっぱり変えていかないと。僕自身も幸せになれないし、誰も取り残さない社会はできないんじゃないかなと。

真樹さん その通りだと思います。社会問題にしろ、生活に身近な出来事にしろ、原因をつくっている要素は複雑で、ひとつではありません。そこに向けてひとつの視点からだけで解決をめざしてしまうと、むしろ別の問題が生まれてしまうこともあり、解決にはつながらない。

SDGsは複合的な問題に対して、総合的に立ち向かうことを謳っている。簡単なことではありませんが、その視点を持つかどうかは大きな違いだと思います。

安さってなんだろう?

菜央 それをSDGsで指し示しているのは、SDGsのウェディングケーキモデル(下図・スウェーデンのロックストローム博士の考案)です。そもそもなぜ僕らが経済を成立させられるかと言えば、社会という土台から恩恵を受けて経済が成り立っているし、社会がなぜ安定的に営めるかって言ったら環境、自然からの恩恵があるからなんですね。

SDGsウェディングケーキモデル(出典:ストックホルムレジリエンスセンター)

菜央 その経済の部分をあまりにも追い求めすぎて、僕ら自身の健康も社会の健康も自然の健康も損なってるんですよね。そこをどうしたらいいのか? っていうのを、今日話せたらおもしろいかな。簡単に答えられる問いではないと思うんだけど、何かヒントがいっぱいこの本には書いてあったよね。

真樹さん わかりやすいのは、やはりこのSDGsのウェディングケーキモデルです。このモデルでは、SDGsでは17のゴールは決して並列に並んでいるわけではないことを伝えている。一番下に環境に関するゴール、2段目が社会、そして一番上に経済に関するゴールがある。

僕らは地球環境がないと、社会活動も経済活動もないんだよということですね。どうしても目先の経済のことばかり考えがちだけれど、土台の環境がグラグラになっちゃったら、経済もダメになるよと。ある意味当たり前のことですけれど日々の生活では見えにくくなっている。

経済活動を続けていく中では、環境についてはちょっと考えればいいんでしょうみたいなところがある。企業のCSRでも「余ったお金で木を植えれば社会貢献でしょう」と。でもその発想だと根本的に変わらないということが問われてるのだと思います。

菜央 そうですね。

真樹さん それによって、いろんな問題が起きているし、取り残される人も出てきてしまっている。ではどうしたらいいかと考えるときに、ひとつは物の価値を問い直していくことからかなと思っています。

どうしても、安いものが良いとされてきましたよね。でもそのコストの背景には、実はいろんなものが犠牲になっていて、外部に押しつけてるコストっていうのがあるんです。

たとえば石炭火力発電所がどんどん建って大気汚染で誰かが病気になって、でもその病気になってる人の治療費は石炭火力発電所の会社が払ってるわけじゃありません。誰かにしわ寄せがいってコストを払っているかもしれないのに、それも含めた本当のコストがすごく見えづらくなってる。

そこに問題が生まれてるんだけど、僕らが「安くていいじゃん」と買ってしまう。その時にコストを見直す。「安さって何だろう? 本当の値段って何だろう?」ってちょっと考えることから始まるのかなっていう気がするんですね。

菜央 うん。お金とか経済がいろんな領域の中心にあるっていう考え方が、もう限界かなって思ってて。「なんでみんな、こんなに安いものがほしいの?」っていう問いですよね。僕もそういう感覚はすっごくわかるんだけど。

結局、生きていくのに必要なものを全部お金を通じて手に入れてるっていうことに、すごく大きな問題があるんじゃないかな。

菜央 生きていくのに必要なあらゆるものをお金を通じて手に入れる世界って、言い方をひっくり返すと、生きていくのに必要なあらゆるものを、自然や周りの人からは手に入れられない世界、ということなんです。これを仮に「お金世界」と呼びましょう。僕らは「お金世界」の住民です。

「お金世界」では、ほとんどの人は自然や人々のつながりから生きていくのに必要なものを手に入れられないわけで、つまり「足りない」状態なわけです。その足りない世界に僕らはいて、限られたお金をつかって、できるだけ豊かさを得ようとする。だから安いものを求める。

では、売る側を考えてみると、実は売る側もまた、「お金世界」にいるわけです。「売れる」ためにできることはたくさんあると思うけどひとつは、自然からは無料でもらえることを最大限に生かすことですね。

たとえば自然からのギフトである湧水をビンに入れて150円で売る、ということや、子どもを産み大人になるまで育てる、といういわば「社会からのギフト」を生かして安く働かせる、みたいなことです。僕らの社会には、そういう構造があると思うんです。

真樹さん 経済界ではそうじゃないものを評価しようとESG投資(※1)とかダイベストメント(※2)とか、少しずつ認識が変わってきている。一般の消費者でもエシカル消費(※3)など、ちょっとずつそういうことを意識し始めていると思います。

(※1) 環境・社会・企業統治に配慮している企業を重視・選別して行なう投資


(※2) 環境や社会といった観点において好ましくない企業への投資や融資をやめること


(※3) 環境や人権に対して十分配慮された商品やサービスを選択・購入すること

方向性としては、今、菜央さんが言った「お金がないと何もできないよね」っていう社会を変える。今はコロナ禍で、エッセンシャルワーク(生活維持に欠かせない職業に就いている人)の重要性が認知されるようになってきました。でもそういう仕事ほど賃金が低く、厳しい状況に置かれている社会になっている。それを見直すことも重要です。

小学校の断熱改修で学習環境も向上

菜央 その大転換と、ひとりも取り残さないっていうことをやっていくのは、連立方程式を解くようだって言ったけど、この本の後半には、その答えになりそうなおもしろい事例がいくつか出てるよね。

たとえば、断熱とか省エネを通じて、実はさまざまな課題が解決されていっている、という話。これはどういうことなんでしょうか?

真樹さん 断熱化を通じた建物の省エネの話は、僕がかなりこだわっているポイントのひとつです。脱炭素しようというときに、断熱が日本ですごく鍵になっている。

住居も公共施設なんかも、国際的に見るとほとんど断熱されてない。特に小中学校では、全国で巨大なエアコンが導入されてきたんですが、断熱がスカスカの建物を空調しても、冬も夏も大量のエネルギーが捨てられてしまうことになってしまいます。

そしてランニングコストとして、年間で莫大なお金もかかってくる。

そこで岡山県津山市では、公共施設を担当されている方が、このままでは光熱費で大変なことになるという危機意識から、教室を断熱するプロジェクトを個人で立ち上げました。周囲の人に呼びかけてお金を集めて実現した。

断熱の専門化である建築家の竹内昌義さんにも協力してもらって、夏休み中に仲間たちと断熱工事をDIYで行なった。それが日本で一番最初に省エネを意識してDIYで学校を断熱改修したプロジェクトになりました。

津山市の小学校の断熱改修。天井を開けて断熱材を詰める作業(提供:川口義洋)

断熱工事をした後の教室(提供:川口義洋)

真樹さん 教育委員会や県の許可がおりにくい学校で、それができたのはすごいことです。エネルギーも抑えられるし、快適な教育環境のなかで子どもたちの集中力もだいぶ上がって、子どもたちにも評判が良く、学習効率も高まっていると聞いています。

次に仙台市では、もっと組織的に、市として竹内さんの会社と組んで3つの教室を断熱改修しました。実証実験で数値を測定して仙台市の今後の方向性を考える、という段階にきているので、おもしろい広がりだと思っています。

菜央 うん、なるほど。日本のエネルギーの自給率は非常に低いわけですし。石炭とか石油、化石燃料に頼る率が非常に高いので、断熱を進めることでそうした出ていくお金が減っていくと。

もっと言うと、地域からお金が出ていくのを防ぐことができる。少子高齢化するっていうときに、その地域の経済をもう一回、地域の中でぐるぐる回るようにしていくっていうことが非常に重要なポイントだと思うんだけど、そういう意味でもとても良い。

真樹さん 断熱改修は、内窓付けるとか屋根に断熱材を入れるとか、地域の工務店で十分できることなので、地域経済のプラスになります。仲間たちでDIYをしている人たちもgreenz.jpの読者にいっぱいいますよね。

そういうレベルから始めて、ちょっとやっても効果があるし、しっかりやればもっと効果が出る。それを地域でやって。地域の産業が盛り上がることにもつながります。

寒さ・暑さを我慢する必要のないドイツ

菜央 そうですね。ドイツがリーマンショックの直後に一番最初に打ち出した経済対策が、全国の家の断熱改修だと聞きました。

地元の工務店を使うとインセンティブがあるっていう形で、彼らが各家の断熱改修を進めることによって、エネルギーの化石燃料への依存度が減っていったり、地域からお金が出ていくのを防ぎつつ、地域の工務店にお金がちゃんと落ちるっていうね。それがなんかすごい賢いなって思ったんですよね。

真樹さん 今、そのドイツでは、ペアガラスの窓よりもトリプルガラスの窓の方が安いんですよね。

菜央 えっ、そうなんですか?

真樹さん だからみんな当然、トリプルガラスを使うんです。規格化されてどこでも流通しているので、あえて性能の悪いペアガラスを使う必要はない。

今は日本ではトリプルガラスは高いけど、普及すれば安くなるってことです。ドイツでは、世界トップクラスのそのような建材が流通することで、輸出産業にもなっています。

ドイツはただ環境意識が高いだけじゃなくて、そんなふうに経済的なことや合理性をすごく意識しています。というのも、ロシアから天然ガスのパイプラインでエネルギーを輸入しているという問題もある。大胆に省エネをすることでその依存度を下げたいという思惑もあるんです。

エネルギーを使う量を減らすのが、一番効果ありますから。エネルギーの安全保障としてもすごく意識してやってきた。日本だってエネルギー自給率がすごく低いので、本当はもっとちゃんと省エネのことを考えなきゃいけないのにやっていません。それこそ、「脱炭素」を実現するには何より力を入れてほしい部分なのに。

省エネに関して言うと、エネルギー以外の課題も見つかります。ドイツに断熱の取材にいったときに、ある団地の断熱改修プロジェクトで、改修の結果、30センチぐらい壁が厚くなってるわけですよ。そうすると当然エネルギー効率は倍ぐらい良くなる。半分のエネルギーで同じ暖かさになるので、「前より温かくなりましたか?」と質問したんです。

でも、誰も「温かくなりました」って答えてくれない。おかしいな!? と思ってよく聞いてみると、「エネルギーに使う光熱費は半分以下になりました」とみなさんおっしゃるんです。「暖かくなって嬉しい」みたいな答えがないので、何でなんだろう? と思ったら、断熱改修する前からドイツはもう、寒さを我慢せずに全館暖房でどの部屋も暖かくしてたんですよね。

ドイツの社会では「寒さを我慢する」っていうコンセプトがそもそもなかったっていうことに気づいて、より驚いたんですよ。

そうか! 断熱レベルが低ければ低いで、いっぱいエネルギー使ってもいいから我慢しないんだ。それは脱炭素って観点では良くないかもしれないけれど、寒さや暑さを耐えなきゃいけない環境というのは、ドイツでは「人権問題」なんです。

菜央 へぇ~。

真樹さん そこはもう当然人間として享受しなきゃいけない。お金がある人でもない人でも、「貧しいから寒さを我慢しなきゃいけない」なんていうのはありえないんだってことですね。

そういうコンセプトが社会にあるから、シリア難民がドイツに押し寄せたときにも、その人たちのためにトリプルガラスの建物がどんどん建っているわけです。難民だから粗末な扱いをしていいとか、寒い環境でも仕方がないんだ、みたいなそういう感じが一切なかったのはすごく衝撃でした。

菜央 移民をどう受け入れるかという問題は、ドイツも揺れてるし難しい問題ですよね。でも少なくとも人権をちゃんと守っていかなくちゃいけないという意識があるというのは、社会のレジリエンス(外部からの危機的影響をしなやかに受け止め、いなし、元に戻ろうとする力)をちゃんとつくっていこうっていう意識なのかな。

「誰も見捨てない」ドイツの団地再生

真樹さん 人権を守るのが前提という意識についての話は、僕が以前greenz.jpで記事を書いた、ポツダム市ドレヴィッツ地区で5000人が住んでる巨大団地の団地再生をした話につながります。

旧東ドイツ時代に建てられたその団地が老朽化して、貧困層が住む場所になっていた。そこを断熱改修したことによっていろんなことが大きく変わってくるわけです。

たとえば貧困対策として、経済的に厳しい人が光熱費を払う額が大きく減ったとか。断熱だけじゃなくて、同時にいろんなまちづくりを市民参加型でやっていった。子どもたちのための公園をつくって、その公園に子どもたちが考えた遊具が並ぶとか、高齢者のためのバリアフリーとか、いろんなことを同時にやったんです。

1988年当時のドレヴィッツ。左側に伸びる中央通り沿いは自動車であふれている(©Landeshauptstadt Potsdam)

ドレヴィッツの改修後の集合住宅(提供:金田真聡)

菜央 それがすごい! 日本ではそういう時、市民のお客さん意識というか「参加していこう!」っていうふうになってない。政府とか自治体がやることに対して、石を投げるか、無関心でいるかどっちかって気がする。

真樹さん 比較的そういうことが多いですね。

菜央 ドイツの団地の事例っていうのは、エネルギーっていうひとつの観点だけじゃなくて。移民をどう受け入れていくのか、その人たちが払う光熱費が減るとか、安心して暮らせることで、たとえば犯罪に向かう人が少なくなるとか。余裕が生まれることで周りとの関係性ができて移民の文化がドイツの中で活かされていくとか。

さらに災害への強さ、それから安全保障的にエネルギーの首根っこをつかまれた状態から脱していくっていうこととか。それから、ひとりひとりの市民が「私はこういう町に住みたい」と言ってそれが実現していくとか。なんかすごくいろんなことがね、そこで変わっていって、まさにトランスフォーム(大転換)ですよね。

真樹さん 団地の大改修とかっていうのは、やり方によっては取り残されちゃう人が出やすいプロジェクトだと思うんです。省エネ効果や、車の台数が減ってガソリンが減ったという効果は出せても、家賃が上がったことによって、貧しい人が住めなくなるようなケースが、実際にドイツでも起こっている。

でもドレヴィッツのプロジェクトでは、まず貧困層の子どもたちの状況を改善したいというところから始まっていて、配慮がされています。貧しい人でも住み続けられるよう補助も出したりしながらバランスをとっているから、改修後も住み続けている人の割合が多いんですよ。

大改修するときって、当然「今までのままでいい」って反対意見は出るわけです。その中で、自治体は年間60回も対話集会を開いて市民からの意見も募った。「一方的なプロジェクトじゃなくて、皆さんのためのものなので、意見も尊重します」と呼びかけ市民参加型で進めていった。そうした粘り強い向き合い方がうまく進んだカギとなりました。

菜央 クルマも大きな要素ですよね。

僕も含めて、郊外や地方に住むほとんどの家庭が車を持たざるを得なくて、遠くに買い物に行く現状がある。遠くに買い物に行くってことは、やっぱり大資本のショッピングモールとかスーパーマーケットとか。そうすると基本的には遠くから持ってきたものを食べるみたいなライフスタイルと、全部連動していると思うんですね。それって結構すごい大問題で、その地域からお金が出ていく行動そのものだよね。

真樹さん まさにそうですね。

菜央 ひとり1台なんてのは、これからの時代は無理なわけで。どうやってそこから抜け出すかっていうのが、大きなポイントなんですけど。このドレヴィッツの団地では?

真樹さん もともと中心部にトラム(路面電車)が走ってて、ポツダムの中心街まで20〜30分の便利な場所ではあったんですが、まずその本数を増やした。それからレンタサイクルとかカーシェアリングのスペースを増やして、利用しやすくしたことで「そもそも車を持たなくてもいい」という家庭がすごく増えました。だから自動車保有率が今、改修前の60%ぐらいに減っている。

菜央 すごいな。

ドレヴィッツの中央通り沿いにはトラムが走る(提供:金田真聡)

自動車で埋まっていた中庭も緑化された(撮影:高橋真樹)

真樹さん 以前は団地の前とか中庭とか、全部駐車場になっていました。でもそれをやめて、空いたスペースを緑化して、子どもや高齢者の憩いの場にしていったので、すごく喜ばれています。

最初は「駐車場が離れるのは嫌」とか「車を持たないなんて考えられない」みたいな反対が多かったんですけど、子どもたちからは「駐車場より公園がほしい」という声が多かった。じゃあ「子どもたちが言うならしょうがない」と、親が変わっていったという流れがあったようです。

菜央 すごいプロジェクトですね。

公園には「登れる岩」や水遊びできる噴水と水路など子どもがアイデアを出したオリジナルの遊具が並ぶ(撮影:高橋真樹)

ドレヴィッツで毎年6月に行われる「音楽の祭日」でフィルハーモニーの演奏をバックに子どもたちがダンスを披露(©Stefan Gloede)

真樹さん 未来の形って、必ずしも全部が見えてるわけじゃない。だから「変わったらどうなるんだろう?」っていう心配って、誰しもが持つと思います。だけどそこを丁寧に、ある程度みんなが合意できるところまで議論したというのが、すごく大事なことなんです。

これこそまさにSDGsの実践例かなと、僕は思います。ひとつの目標だけではなくて、貧困問題とか健康とか教育とか、もちろんエネルギーや気候変動とか、いろんなことが関係している。「住み続けられるまちづくり」(ゴール11)というのも、まさにそうですよね。

そして、パートナーシップ。まさに菜央さんが言ってたように、バラバラにひとつのことだけやってても解決できない問題が山積みじゃないですか。それを「総合的な視点」で取り組んでいくことがすごく重要だなと思わされました。

菜央 うんうん。

古い常識に縛られる人たち

真樹さん 日本でも十分できると思います。ただ経済的に厳しい人の団地を自治体が改修しますといえば「なんであそこに税金を使うんだ」みたいなクレームが出る可能性は十分ある。「みんな仲間なんだ、貧しいから寒さ暑さを我慢しなきゃいけないってことはないんだ」というところが理解されるかどうかというのが大きなカギになると思います。

菜央 なんか悲しいよね…。確かにそう思う。これが日本で起きたとしたら、そういう声が出るだろうなって僕も最初に思ってしまったんだけど。その裏には何があるんだろう? やっぱり何か、お金を稼げない人たち、つまり貧困状態にある人たちの努力が足りないんだとか、怠け者なんだとか、自己責任なんだっていう、潜在意識がすごいあるなと思って。

真樹さん ありますよね。

菜央 実はそこがいろんなことを妨げてるよね。でも僕はそんなことはないと思うんだよね、全然。なんだろうな、少なくともグリーンズの周りでは「そうじゃない」っていうことをみんなで考えていけたらいいな。いろんな問題が絡んでくるけど。

真樹さん SDGsの実践に欠かせないのは、自分たち自身の習慣や意識を変えていくことです。日本社会にしか通用しない間違った常識や、古い時代のままのスタンダードを、いろいろとアップデートしていかないといけない。

菜央 でもやっぱりさっきの「貧しい人は努力が足りない」「そういう人に税金を使うべきではない」みたいな潜在意識って、世界中に蔓延…っていうとあれだけど、そういう考え方が本当に強いと思うんですよね。

だからやっぱり、非常にプレッシャーのかかる“圧力釜”みたいな社会の中で生きて、本当の自分を発揮できていない人があまりにも多いなと、僕は思ってるんです。「本当の自分はこんなんじゃないのに、なんで俺の人生こんなふうなんだろう?」って思ってる人が、収入に関わらず全ての層にいると思うんですね。

特に収入がある人ほど、実はそうだったりもするみたいなこともある。そういう人たちがもう必死にその場所にしがみついてるっていう状態から見ると、そういうふうに思うのも無理はないなと思うんですよ。

真樹さん 「努力したから今の自分がある」と考えると、その人から見て努力してないように見える人や社会的弱者を下に見るようになってしまう。

菜央 そうですね。そこから何かいろいろあって、ずり落ちたり転落したりしたことがある人っていうのは「下の人たちが、自分のパイを取ったんだ」っていうふうに思うから、やっぱり憎しみの気持ちも生まれますよね。

じゃあそこからどうやって抜け出すの? っていうのも結構重要なポイントかなと思ってて。ひとり一人がね。

(編集: 青木朋子)


(編集協力: 板村成道)

– INFORMATION –

2022年1月刊行!『こども気候変動アクション30』(かもがわ出版)


もうすぐ高橋真樹さんの新刊が発売されます。気候変動アクションをまとめた子ども向けの本ですが、おとなにも読み応えのある内容です!


Powered by the Echo RSS Plugin by CodeRevolution.