「数学嫌い」の人は暗記教育の犠牲者といえる理由 – ニュース・コラム – Y!ファイナンス – Yahoo!ファイナンス

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16:01 配信

 PISAやTIMSSなどの国際的な学力調査結果、あるいは全国学力テストの結果が発表されるたびに、「日本の子どもたちは単純な計算は得意である反面、論述問題や応用問題はそうとも言えない」という報告が出る。

 同時に、日本の子どもたちの数学嫌いは顕著であることが指摘される。本稿では、この数学嫌いの問題を自らの教育経験を通して考えてみたい。

■数学重視の方向へシフトしているが…

 2019年3月に経済産業省が発表したレポート「数理資本主義の時代~数学パワーが世界を変える」では、「社会のあらゆる場面でデジタル革命が起き、『第四次産業革命』が進行中」で、これを主導するものとして数学の重要性を訴えている。前後して経団連も「文系大学生も数学を必修として学ぶこと」の提言を出している。

 それに呼応するかのように、早稲田大学が政治経済学部の一般入試で数学を必須科目に変更し、文部科学省も私立大学文系学部入試での数学の必須化を促す姿勢を固めたという(2021年7月8日読売新聞オンライン)。

 上記の動きは日本の将来にとってプラスと考えるが、一部の大学を別にすると、ほとんどの大学では数学に関するそのような改革は遅々として進まないと予想する。国政レベルでも、数学の教育や入試に関する議論が活発に行われることはないと考える。それは、多くの国民が数学嫌いである現状を踏まえれば、仕方のないことだろう。

 結局、「好きこそものの上手なれ」を信じて、多くの子どもたちを数学好きにもっていくことが緊要である。まず、「数学が好きになる」とはどういうことかを考えてみよう。

 単純な計算問題を誰よりも早く解くことだろうか。数学マークシート問題を裏技によって素早く解くことだろうか。出題されそうな問題の答えだけをすべて丸暗記することだろうか。

 このような学習を積み重ねても、試験ではそれなりに点数は取れるものの、「数学が好きになる」ということとは無縁である。万が一そう言ったとしても、球場で食べる弁当が美味しいから「野球が好きになった」と言っているようなものである。

 筆者は大学専任教員として44年間過ごしてきて、来年度末で定年退職となる。その間、非常勤を含む10の大学で文系・理系ほぼ半々で、合わせて約1万5000人の授業をもってきたことになる。90年代後半からは、小中高校の出前授業でも約1万5000人の生徒に話してきた(半分は手弁当)。

 数学好きな大学生や生徒が数学に興味・関心を示すのは、「なぜそのような性質がいえるのか」というプロセスや、「そのような応用例もあるとは不思議だ」という楽しい応用話である。したがって、質問は「どうしてこれが成り立つのですか」という部分に集中する。

 14年前からは、本務校として桜美林大学リベラルアーツ学群に勤めている。10年以上前に「就職委員長」であった頃、数学嫌いの学生たちは就職適性検査の非言語問題(数学や論理の基礎的問題)に弱いことが問題となった。そこで当時、ボランティア授業「就活の算数」を後期の毎週木曜の夜間に開催した。

 昼間の教職や数学などを含めると週に10コマ近い授業であったが、昔の寺子屋のように生き生きしたもので、数年間で1000人ぐらいの学生に楽しく学んでもらった。その授業は後に、リベラルアーツの発想をアレンジして正規の授業になり、来年度末の筆者の定年退職まで続く。その授業を通して得たものは以下のようにはかりしれない。

■理解せずに暗記に頼る学習の弊害

 桜美林大学の学生は心掛けがすばらしく、授業態度はかなり良い。その一方で、数学の学び方が小学生の頃から間違っていたと思われる学生が少なくない。すなわち、なんでも理解せずに暗記に頼る学習である。

 多項式の微分と積分の計算はできる学生に、「AグループまたはBグループに所属する学生の人数は、『Aの人数+Bの人数-AかつBの人数』だから……」と話すと、「それって暗記した記憶はありませんが、暗記するものですか」と質問する。それと似たような不思議な質問は枚挙にいとまはないが、いくつか紹介しておこう。

 等式の右辺にある項を左辺に移す移項に関して、「両辺に-aを加えるから、右辺にあるaを左辺に移すとマイナスが付く」と説明すると、「初めて移項の意味がわかりました。そうすればよいと単に暗記していました」と答える。

 かけ算の筆算に関して、「10の位の数をかけるから1つずらして書いて、100の位の数をかけるから、さらに1つずらして書く。本当は10の位の数をかけるときは最後の0を省略しないほうがよいかもしれない。同様に、100の位の数をかけるときは最後の00を省略しないほうがよいかもしれない。なぜ3桁同士のかけ算の学習が必要かと言えば、ドミノ倒しやボックスティシュのように、帰納的に次々と続く性質の理解には『3』が大切なんです」と繰り上がりの仕組みを図に描いて説明すると、「よくわかりましたけど、こんな説明を聞いたのは人生で初めてです」と答える。

 中学数学でコンパスと定規で図を描くときの作図文を学んだ経験がなかった多数の学生に、「この作図文をしっかり学んでおけば、地図の説明のように、一歩ずつ論述する文を書くときにプラスになる。あまり学んでないからこそ、何年か前に千葉県の県立高校入試の国語で、おじいちゃんに道案内する文を書かせる問題が出題されたとき、なんと半数が0点でした」と作図文の意義を説明すると、「えーっ、みんな言われた通りにコンパスと定規で図を描く方法を暗記したことはありますが、そのような文章を書いた経験はほとんどないと思います。作図文を書く意義がわかりました」と答える。

■凶悪事件のアリバイで理解する「背理法」

 結論を否定して矛盾を導くことによって結論の成立をいう「背理法」を復習するとき、次のように学生に語りかける。

 いま、運悪く凶悪事件の容疑者として私は警察に逮捕されてしまった。刑事さんに、「その事件があったとされる時刻に、私は他の場所にいました」と訴えたところ、刑事さんは私に「そのアリバイはありますか」と質問した。

 これは次のように考えることができる。「私は犯人でない」を結論とする。そしてこれを否定すると、「私は犯人である」になる。すると犯行時刻には、私は犯行現場にいたことになる。もし、その時刻に居酒屋などの他の場所に私がいたことが実証されたならばアリバイが成立し、「私は犯人である」は矛盾となる。このような論法も「背理法」です。

 このように説明すると、一部の学生からは「えーっ、それも背理法ですか?  確か同じ数字を2度かけて2になる数の√2が(分数として表わせない)無理数になることの証明が背理法ではなかったですか」という質問を受ける。

 筆者の就職委員長時代のボランティア授業は、このような形で脈々と進化しながら続けてきたこともあって、学生からの感想文も以下のように興味深いものが多く寄せられる(今年度前期分から)。

・数学で答えがわからないとき、すぐに答えを見てうつすという行為をしていたが、そんなことは意味がなく、考えるということの重要性を学んだ。

・授業では、相手を理解させているかどうかがとても重要なのだと感じた。

・考えることの重要さや勉強のやり方など、ずっと頭に入れておきたいことばかりだった。自分に子どもができたら絶対にこの話をして、考える子どもになってほしいと思った。

・なぜ、このような公式ができるのかなど、根本から学ぶことができた。あみだくじの仕組み方の内容がすごいと思い、いろんな人に教えたくなった。

・問題に対しては、「公式を覚えて正しく使えるようにならなければ」と急いでいた。その焦りが余計にわからなくさせていたのかもしれない。

・高校に進学するために塾に通ったとき、なぜこうなるのか? なぜこの解き方をするのか? について、時間をかけて答えてくれる先生に出会いました。教えてもらった範囲は、時間がたっても忘れませんでした。苦手な教科が好きな教科にかわる瞬間でした。

 リベラルアーツ学群での来年度の筆者のゼミナールは、定員10人のところ20人の参加で構成されることになった。リベラルアーツ学群らしく、さまざまな専攻から学生が集まり、数学、コミュニケーション、ビジネスエコノミクス、心理学、生物学、情報科学、哲学、環境学からなる。

 ゼミナールで支柱となる書は、ちょうど1年前に出版した『AI時代に生きる数学力の鍛え方』で、暗記でなく理解の学びの意義と数多くの応用例を紹介している。その書でも触れたことであるが、理解するからこそ応用力が育まれることを示す一例として、曜日に関する性質を説明しよう。

 たとえば2021年と2022年は平年なので、365日ある。そして1週間は7日なので、365÷7=52あまり1と計算してあまり1に注目すれば、「今年と来年の同一日を比べると、来年は曜日に関して1日進んでいる」ことになる。

 この結論だけを暗記するのでなく、この理由を理解しておくと、「平年では1月から9月までの13日には必ず金曜日がある」ことが以下のように考えてわかる。

 1月は31日で、31÷7=4あまり3なので、2月13日は1月13日から曜日で3日進む。以下、同様に考えて、9月13日は8月13日から曜日で3日進む。このように考えると、1月から9月までの13日には全部の曜日が現れることがわかる。

■数学を理解するスピードには個人差がある

 余談であるが、40年間近く親交のある理容師・美容師として活躍しているスタイリストの方に上の話をしたところ、次のことを言われたことが忘れられない。「髪のカットの仕方だけ覚えていても(理容師・美容師の)資格はとれます。しかし、『なぜ、そのようにカットするのか』という理由を理解しているか否かによって、その後の発展に大きな違いがありますよ」。

 筆者は90年代半ばごろに数学から数学教育に軸足を移し、その後いろいろな書や記事によって数学教育に関する提言を出してきたが、70歳という年齢も近いことから、大きな提言はそろそろ慎重に述べるべきかもしれない。

 しかし、本稿の最後にぜひ訴えたいことがある。それは、算数・数学の内容を理解することには、個人差がかなり大きい。ゆっくり理解しても何ら問題はないはずだ。それにもかかわらず、ゆっくり理解する生徒には、早々と暗記だけの学びを仕向ける教育が蔓延していることは残念でならない。日本の将来を考えて、きめ細かい算数・数学教育ができるように対策を講じてもらいたい。

東洋経済オンライン

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最終更新:12/15(水) 16:01

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