ノンフィクション作家の著者が四国遍路で出会った人々にはある共通点があった(写真:marucyan/PIXTA)
題名の「辺土」は、社会から追われた人々が歩いて回った遍路を指す。かつて作家・中上健次が被差別部落を「路地」と呼んだのに倣い、著者は自らのアイデンティティーをなぞるように、その路地にまつわる作品を書いてきた。今回向かったのは、遍路道沿いに路地もある四国だった。『四国辺土 幻の草遍路と路地巡礼』を書いたノンフィクション作家の上原善広氏に詳しく聞いた。
四国遍路はきれい事ばかりのイメージがあった
──何度か足を運んだのですか?
初めて行ったのは2016年秋でした。当時睡眠薬中毒で、減薬したいと考えていた。ちょうど大阪に行く機会があり、そのとき四国遍路を思いついた。一日中歩けば薬なしでも眠れるだろうし、運動療法になるはず。もともと四国遍路には興味がありました。最初は2カ月間ひたすら歩き、そのうち取材ポイントを車で回るように。最低1カ月の滞在を計10回くらい、2020年10月まで続けました。
──そもそも四国遍路に興味を持たれたきっかけは?
四国遍路の名は知られているけど、何かきれい事ばかりのイメージがあった。かつては口減らしで出された農家の次男三男、村八分で故郷を追われた人、困窮者、ハンセン病患者や障害者、罪で追われる人などが遍路道を歩いていた。
ところが今は、白装束でスタンプラリーして面白そう、みたいな。本当のところはどうなのか。必ず何かあるはずという確信はあった。日本人の文化というか習俗というか、非常にシンボリックな何か。まずは行ってみよう、回る中で見つけていこうと思いました。
最初ロードムービー風に書いていたのですが、何か納得できず進まない。そのとき、出会っていた草遍路の男性の姿がふと浮かんだ。遍路で生計を立てる彼に、四国遍路の本質があるのではないか。そこから一気に動き出しました。
──現代の草遍路の人々を、上原さんはどう受け止めましたか?
僕が会いに行く1カ月前に91か92歳で亡くなっていた幸月さんは、実は12年前の殺人未遂容疑で指名手配中の人だった。凜(りん)とした白装束で俳句を詠みながら回る彼は、いつしか“伝説のお遍路さん”として有名になり、NHKが番組化したことで足が付き、逮捕された。
(うえはらよしひろ)/1973年生まれ。大阪体育大学卒業後、大阪の市立中学校保健体育教師、YMCA水泳コーチ等を経て、ノンフィクションの取材・執筆を開始。『日本の路地を旅する』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。ほかに『被差別の食卓』『石の虚塔』『一投に賭ける』『発掘狂騒史』『辺境の路地へ』『路地の子』など著書多数。(撮影:梅谷秀司)
戦後のどさくさで何度も刑務所に入り、飲む・打つ・買うで身を持ち崩し、最後四国に流れ着いた。もはや死を考えても不思議じゃないのに、自殺なんてこれっぽっちも考えない。旧知の人々に取材し浮かび上がった彼は、めちゃくちゃポジティブな人だった。
実際に出会った人たちも皆ポジティブでした。71歳のヒロユキさんは、福祉の世話にならずつねに野宿。生活保護もいっさい拒否。去年コロナ給付金10万円が出たとき、愛媛でお遍路さんを支援する鵜川さんが彼のために住所と口座を用意して、「振り込まれたら大事に取っときな」と助けた。ところが、介護保険料未払いですぐ押収されてしまった。異議申し立てできるけど、彼にその気なし。しょうがないって。無駄に持ち金があると托鉢(たくはつ)ができなくなるから。
どう生きていくか、考えながら歩いた結果が草遍路
──ご本人がそう決めている?
いや、自分に課してるとかじゃなく生理的に無理ということ。彼に教えを請うて一緒に托鉢をしましたが、心身共に過酷で、自尊心も傷つけられる。托鉢って本当にしんどいんですよ。「だけど金がなくなったらできるんだ。不思議なんだよね」って彼は言っていた。
本の後日談ですが、草遍路の後、定住して年金をもらっていたナベさんは、一時大金が入ったものの、だまされてすぐ失った。彼らはお金が身につかない、残念なことに。ちょっと破滅衝動的な傾向があるんです。そこにポジティブさが同居しているから、人間くさくてすごくいい。
自分自身でどう生きていくか、考えながら歩いた結果が草遍路だった。そこに僕はすごく興味を持った。人の生きるもう1つの道なんだろうなと。当然の権利として堂々と福祉に頼って生きる生き方がある。一方でそれを拒否する生き方の1つがそこにある。草遍路の本質だと思いました。
──彼らを迎え、接待する地元の人たちの存在も大きそうですね。
この本は、先ほどの鵜川さんとの出会いがあって書けた。彼に限らず、みんな深いんですよね。接待する側の人もいろいろ背負ってるんだなと、接する中で気づいた。鵜川さんは「タクシーで回る観光遍路でさえ、何もない人なら絶対にやらないよ」と言っていた。
みんな何かを背負って来てるんだと。別に巡礼して回ったって何も変わりはしない。結局自分が変わるしかない。世話する人たちはそれをよくわかってる。四国遍路は最後に残った逃げ場所、セーフティーネットなんじゃないかと思います。
四国遍路の真実に触れた瞬間
──庇護(ひご)する以上の、何か思いを託す部分もあるのでしょうか?
篤志家というのとは少し違う、身を切っている感じがする。みんな遠回しに、自分たちも助けられている、生かされているって言う。四国遍路は答えを見つけるきっかけで、そこに正解も不正解もない。来る人拒まず、巡礼順問わず、途中でやめて構わないし、何も非難されない。懐の深さがあります。
帰る家なく、托鉢と接待、野宿だけで何年も何周も遍路をしてきたヒロユキさんの口から「ふと、『これでいいんだ』と思えるようになった。今がいちばん幸せ」という言葉がこぼれた。一流進学校から脱落、精神科病院へ強制入院、ドヤ街を渡り歩く大変な人生を生きてきて、初めてそう思ったって。それを聞いたとき、浄化され昇華されたんだなと思った。四国遍路の真実に触れた瞬間でした。
──全国の路地を訪ねた『日本の路地を旅する』から12年。今回の旅はどうつながりましたか?
前作では遠く青森、東京、山陰、九州など各地の路地と、自分のルーツである大阪の路地とのつながりを感じ、自分にフィードバックし私を追い求めた。とても内省的な旅でした。でも今回の本は、ものすごく外を向いてる感じがします。草遍路の人たちもそうだけど、視線の先にポジティブに生きることがあった。表裏一体ですね。
路地は生涯書き続ける、とは思う。一方で、物書きとして手を広げ、違うテーマを追っていきたい。僕自身が路地に執着している間は、広い意味で人間的にまだ解放されてないのではないか。それに広げることで、路地の違った面が見えてくるかもしれない、そう思っています。
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