宮城県気仙沼市大島在住で、亀山(235メートル)の山頂にある亀山レストハウスの運営を担う喫茶店店主菊田由衣さん(36)は、東日本大震災で母順子さん=当時(53)=を亡くした。大島の自宅に飼い猫と位牌(いはい)を取りに戻り、庭で津波にのまれたと複数の近隣住民が証言している。
長女の皐(さつき)さんは今年で15歳になった。高校入試を来年に控える受験生。かつて、自分が最も家族に手を焼かせた年頃だ。
今なら分かる。どれだけ母親を心配させたか。
幼い頃からひとり親だった。飲食店で働いていた順子さんは夜も忙しく、祖母が母親代わりだった。中学2年の時に順子さんが再婚。当時は母親を奪われるようで受け止め切れず、生活は荒れた。
学校でトラブルを起こし、家族が呼び出されることもしばしば。祖母には叱られても、順子さんは「由衣にはいっぱい我慢させたから」と穏やかだった。
人気店の中心を担い、多くの客に慕われた母。自分も市内の飲食店に勤めるようになり、やっと母の偉大さに気付いた。
25歳で自分の店を持ったが、その翌年に震災が起きた。別々に暮らしていた順子さんの死を知ったのは発生から6日後。顔を見て涙が止まらなかった。
「母は楽しい人生だったのかな」。負担を掛けた思春期を振り返り、「もっと親の幸せを思ってあげられていれば」と悔やんだ。
3年前、震災から休業していた亀山レストハウスの再開を任され、施設内に「cafe shop暖-DAN-」を開業した。気仙沼大島大橋の開通、NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」の放映と話題が相次ぎ、増える観光客のおもてなしに奔走する。
一緒の時間は短かったが、順子さんは誰よりも自分のことを考え、仕事の支えになる教えを残してくれた。人へのあいさつや思いやりの大切さもそう。今度は自分が皐さんに伝え、しっかり育てることが最大の恩返しだと思っている。
「あなたが育てようとした人間に、私はなれてる?」。もう一度会って聞きたい。でも、優しい言葉を掛けられたら、そこで満足してしまうかもしれない。やっぱりまだ少し先でいいと思い直す。
亀山レストハウスは11月で今季の営業を終え、来シーズンを見据える。「見守ってて。もっと成長してみせる」。そう心に刻む。順子さんが生きた気仙沼を望むこの場所で。
(気仙沼総局・鈴木悠太)
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