うえはら・よしひろ 1973年生まれ。大阪体育大学卒業後、大阪の市立中学校保健体育教師、YMCA水泳コーチ等を経て、ノンフィクションの取材・執筆を開始。『日本の路地を旅する』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。ほかに『被差別の食卓』『石の虚塔』『一投に賭ける』『発掘狂騒史』『辺境の路地へ』『路地の子』など著書多数。(撮影:梅谷秀司)
題名の「辺土」は、社会から追われた人々が歩いて回った遍路を指す。かつて作家・中上健次が被差別部落を「路地」と呼んだのに倣い、著者は自らのアイデンティティーをなぞるように、その路地にまつわる作品を書いてきた。今回向かったのは、遍路道沿いに路地もある四国だった。
托鉢と野宿で回る草遍路の人 “生かされている”支援者
──何度か足を運んだのですか?
初めて行ったのは2016年秋でした。当時睡眠薬中毒で、減薬したいと考えていた。ちょうど大阪に行く機会があり、そのとき四国遍路を思いついた。一日中歩けば薬なしでも眠れるだろうし、運動療法になるはず。もともと四国遍路には興味がありました。最初は2カ月間ひたすら歩き、そのうち取材ポイントを車で回るように。最低1カ月の滞在を計10回くらい、20年10月まで続けました。
──そもそも四国遍路に興味を持たれたきっかけは?
四国遍路の名は知られているけど、何かきれい事ばかりのイメージがあった。かつては口減らしで出された農家の次男三男、村八分で故郷を追われた人、困窮者、ハンセン病患者や障害者、罪で追われる人などが遍路道を歩いていた。ところが今は、白装束でスタンプラリーして面白そう、みたいな。本当のところはどうなのか。必ず何かあるはずという確信はあった。日本人の文化というか習俗というか、非常にシンボリックな何か。まずは行ってみよう、回る中で見つけていこうと思いました。
最初ロードムービー風に書いていたのですが、何か納得できず進まない。そのとき、出会っていた草遍路の男性の姿がふと浮かんだ。遍路で生計を立てる彼に、四国遍路の本質があるのではないか。そこから一気に動き出しました。
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