なぜサッカー選手になるため「学校の勉強」が必要? 才能無かった少年が39歳で現役を続けられる理由(REAL SPORTS) – Yahoo!ニュース – Yahoo!ニュース

花のつくりとはたらき

「私はサッカーがうまい子どもではありませんでした。小学生の頃にプレーしていたチームで試合に勝った記憶もあまりありません。選手としてこれといった特徴もありませんでした」。このようなサッカー選手の自著としては意外すぎる言葉から始まる書籍『フットボーラー独学術 生きる力を自ら養う技法』を執筆したのが、現在は東京都社会人リーグ1部・SHIBUYA CITY FCでプレーする柴村直弥である。自ら才能がなかったと言う少年がたゆまぬ努力の積み重ねで高校時代には全国優勝を経験し、Jリーグでのプロデビューを経て、UEFAヨーロッパリーグ、AFCチャンピオンズリーグ出場を果たすまでの選手となった。柴村が語る「学校の勉強の必要性」とは?

(文=柴村直弥、写真提供=SHIBUYA CITY FC)

プロサッカー選手になるために「学校の勉強」が必要な理由

学校の勉強はプロサッカー選手になるため、そして、プロサッカー選手になってから選手として大成していくために、必要なことでしょうか。

私自身が経験してきたことから感じている答えは、イエスです。

学校の勉強といっても、さまざまあり、小学校、中学校、高校、大学、専門学校など、多種多様な過程での勉強がありますが、私自身が経験し、実践してきたことをお伝えしたいと思います。

算数や国語、理科、社会など、小学校や中学校の勉強に対して、当時はまず、テストで満点を取ることをゴールと定め、そこから“逆算”して勉強に取り組んでいました。

結果として満点を取れることもあれば、90点や80点、70点などの場合もありましたが、満点を取れなかった時に「何が足りなかったのか」を考え、振り返って次に生かす、というサイクルが自然と出来上がっていきました。自ら立てた目標に向かって精いっぱい準備をし、それでも結果が出なかったことに対して「悔しい」という感情が生まれ、それが次回への原動力となっていました。そして、目標通りに満点を取れた時は充実感があり、またこの気持ちを味わいたい、と思いました。

仕方なくやらされていることと捉え、勉強に対して中途半端な気持ちで取り組んでいたら、悔しさも、充実感も味わえなかったと思います。

目標は満点でなくても70点でも50点でもいいと思います。自分なりに頑張ればできそうな目標を決めて、それに対して最善の準備をして臨む、という習慣を小学生の頃から身につけていけたことは、サッカーに対しての日々の取り組み方にも同じようにつながっていきました。

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