ヒトの“生命”と動物への“愛”どちらが重い? 「動物実験」の是非とジレンマ – ORICON NEWS

ヒトの“生命”と動物への“愛”どちらが重い?-「動物実験」の是非とジレンマ-–-oricon-news 花のつくりとはたらき

 イヌやネコ、ウサギなどをペットとして、また家族として、共に暮らしている人は少なくないだろう。動物を飼ったことがある人なら分かるだろうが、個体によって性格も性質も異なり、異なる。ヒトにも、動物を愛する性質が備わっている。しかし同じ動物を飼う場合でも、目的が異なることも。その一つが「動物実験」だ。ヒトの生命を脅かす病魔…例えば、天然痘が絶滅したのも「動物実験」があったからであり、抗生物質による細菌感染治療、インスリンの発見と糖尿病の管理なども「動物実験」なくてはなし得なかった。ヒトの“生命”と動物への“愛”。我々はどちらを重視すべきだろうか。

苦しむためだけに生まれてきたのか…? 実験される動物たちの実態

 「動物実験」はあらゆる分野で行われてきた。医薬品をはじめ、健康食品や農薬、化粧品に至るまで。小中学校の理科の授業ではカエルをはじめとした動物の解剖実習が行われていた。これは、昭和世代には当たり前の光景だったようにも思う。

 日々何気なく使用しているシャンプーやマスカラ、制汗剤や日焼け止めクリーム。これらの化粧品の安全性を調べるために、ウサギが用いられる。農薬の有害な影響を調べる「1年間反復経口投与毒性試験」は2018年に廃止されたが、生後4〜6ヵ月の子イヌが用いられていた。

 動物を用いない研究への助成機関の「Animal Free Research UK」と、英「Cruelty Free International」(CFI)の調査によれば毎年、推定1億1530万匹以上が犠牲になっていると言う。また実験に用いられる動物は、研究用に育てられた動物を専門の業者から入手されると言い、つまり、誤解を恐れずに言えば、実験動物たちは、実験をされるためにだけに、生まれてくる。

 このようなさまざまな動物実験の上に、我々の健康と安全な暮らしが成り立っていることは皮肉なことに事実だ。「私たち人間が現在のように存在し生活できるのは、今までに行われてきた動物実験のおかげといっても過言ではありません。 一方で、動物の命を犠牲にする動物実験に反対する立場もあります。」と、学会HP上に「動物実験」についての見解を示す日本生理学会に質問をしてみた。

「我々としては、動物愛護も、動物実験も、どちらも大切」日本生理学会が語る「動物実験」への想いと葛藤

 日本生理学会は、ヒトの“生命”に直接関わる医科学の分野に焦点を当てて、生理学に関する学術の進歩発展をはかり、人類の健康増進の充実に寄与することを目的として設立された組織である。(なお、上記の農薬、化粧品の動物実験を行っている団体ではない)

「動物の尊い犠牲で行われる『動物実験』は、生命現象の理解に大きな役割を果たし、人類の健康と福祉にはかり知れない貢献をしてきました。我々としては、動物愛護も、動物実験も、どちらも大切に考えています。実験に利用される動物がかわいそうという想いは人間として当然であり、実際その感情は私たち研究者も共有します。しかしそういう感情を大事にするとともに、自分たちが受ける医療や服用する薬がどのように『動物実験』に依存しているか、もし『動物実験』がなかったらどうだったか、もし必要な実験が制約を受けることになったら今後どんな事態が予想されるかを理性的に判断することも大切です」(日本生理学会/以下同)

 生理学は心臓や神経など各器官の個別の働きだけでなく、それらが統合されて個体の統一した生命活動を実現させる仕組みを研究する。各器官の働きがどのように調和して個体機能が成り立つかを理解することは、個体の健康・病気を扱う医学・医療の重要な基礎であり、その生理学的研究には動物実験が大切な役割を果たす。

 「動物実験」により得たものは大きい。例えば、ビタミン欠乏症の治療、抗生物質による細菌感染治療、インスリンの発見と糖尿病の管理、天然痘・ジフテリア・はしか等のワクチン、人工透析による腎臓病管理、新しい薬物の開発、麻酔医学、癌の化学・放射線療法、冠状動脈バイパス・ペースメーカー等の心臓病の医療、高血圧・動脈硬化の管理、臓器移植、パーキンソン病の医療、レトロウイルス疾患の医療など枚挙に暇がない。

 さらに言えば、ただやみくもに「動物実験」を繰り返しているわけでもない。「会員が動物を対象とする研究を行う必要があると判断した際には、会員がそれぞれ所属している研究機関の動物実験委員会に研究計画を提出します。外部委員を含む審査委員会は、その申請された計画を慎重に審査して、本当に必要な研究だけが、命の尊厳に対する十分な敬意を払って実施される場合にのみ承認しています」

 とは言え、“数”の問題だけでもないだろう。ここで注目されているのが「代替法」だ。欧米では、消費者たちの「動物の犠牲によって生まれた製品は使用したくない」の声が多く挙がり、1959年、英国のRussellとBurchによって人道的動物実験の3原則が提唱された。それは3つのR。Replacement(代替)、 Reduction(削減)、Refinement(実験精度向上)の頭文字となる。

「動物実験」を必要としない「代替法」とその問題点

 その「代替法」についても説明しよう。簡単に言えば「動物実験」を行わず、ヒトの培養細胞、皮膚モデル、ヒトの死亡後に提供された組織や臓器、コンピュータシミュレーションなどを利用して実験する方法のことだ。日本生理学会も「代替法がある場合は当然そうすべきというのが会員のコンセンサスとなっています」と肯定する。

「代替法の研究は発展させる必要があります。実際、現代技術の粋を集めた人体モデル、コンピュータシミュレーションは医学教育にも大いに取り入れられつつあります。わたしたちはこの技術が『動物実験』の一部を代替えできるまでにますます発展することを期待しているのです」

 だが、ここでも問題が残る。「コンピュータシミュレーションは生命現象から得たデータを入力してはじめて可能となるものですし、今のところ、未知の生命現象や病因を探る研究は直接、生物を用いてしかなし得ません。また、心臓などの各器官や身体全体の機能を解明する研究や病気の原因、病態を調べる研究は、今のところ動物実験に頼る以外ないのが現状です。新薬をヒトに使用する前に動物で試す必要は今後とも無くなるとは、現状期待できません」

 ヒトの社会はすでに大きく発展しており、多くの病魔は恐ろしいものではなくなった。データがあるものは、コンピュータシミュレーションでも何とかなるだろう。だが、癌やアルツハイマー病、ALSなどの神経難病、感染症、免疫疾患、遺伝病など未解明のものはまだ残っている。さらには、エイズ、SARS、新型コロナウイルス、プリオン病など、新たな病気も続々と出現している。

「動物実験」なしでこれらがどうなるかを考える必要があるだろう。そして「動物実験」に関しては、「代替法」がさらに発展することも期待したい。 

 思えばヒトと動物の関係は、「動物実験」だけではない。ヒトが、快適な生活を行うためにも、増えすぎた野生動物の駆除や、生態系を乱す外来種に対する防除も行うことがあるし、さらに言えば、生きるために多くの動物、植物を殺し、それを食べなければ生きていくことはできない。すべての生命は平等だ。尊厳は守られるべきだ。その想いとは矛盾した中で、我々は、今もこうして息をしている。それが多くの犠牲の上で成り立っていることを、“忘れたふり”をしないようにしたい。わたしたちヒトは、生かされているのだ。

(文/衣輪晋一)

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