天職は中学校の教師である。
宮脇弘宗本人がどうあれ、周囲はそう思っている。
今は大阪にある関西大の系列の北陽、愛称「かんほく」で保健・体育を教える。ラグビー部の顧問でもある。
高校時代の恩師、土井崇司のメールがある。
<曲がったことが嫌いで、生徒のことを第一に考え、そのためなら命がけで戦うことができる人物です>
仰星が全国大会で初優勝するのはミレニアム。その前に宮脇は指導を受けた。土井は今、同じ東海大系列の相模の中高校長である。
両親の政幸と悦代も中学教員。父は社会科、母は音楽。2人とも校長経験者だ。教え、導くことは宮脇家のお家芸である。
「小さい頃から多忙な2人を見て、教師には絶対にならないでおこう、と思ったのに、今となっては同じようなことをしています」
やはり、血が騒いだのか。そこに若かりし頃のユニークな生きざまが溶け込む。
「大学に興味がありませんでした」
入学は3年遅れ。仰星卒業後、親せきの測量会社で働く。阪神淡路大震災の直後。大忙し。瞬く間に貯金はたまる。
そのお金でオーストラリアに向かう。ビザはワーキング&ホリデー。日本人のつてで、フィジーでも2か月暮らしたことがある。
「世界は広い、と思いました。フィジーはそこらじゅうでラグビーをしていました」
目が開かれる。南半球で労働も交えながら期限の1年ほどを過ごす。
フィジーに友人が遊びに来る。学生生活が楽しそうだった。帰国後、ジムで働きながら、勉強をする。1998年、東海の体育学部に合格。ラグビー部の門は叩かなかった。同期は最上級生。気後れなどがあった。
目標を教員免許の取得に置く。総合格闘技をやったが、視力の関係でその道に進むことを諦める。ゼミの担当教員は高野進。400メートルの日本記録保持者のもと、ホノルルマラソンをテレビ番組とタイアップして走ったりもした。楽しい4年間だった。
卒業後、生まれ育った大阪に戻る。
2年間の講師生活のあと、教員採用試験に合格。大阪市内の中学で教べんを執る。東淀川の瑞光(ずいこう)に7年、平野にある長吉西に8年、在籍した。
その指導の芯は生活指導だ。
「大事だと思います」
あいさつをする。スパイクは揃える。荷物はきれいに置く。並ぶのは素早く、真っすぐ。私語をしない。土井も仰星では生活態度をうるさく言った。いい加減では勉強もスポーツも伸びない。師弟の教え方はやはり似る。
リーダー作りにも積極的だ。赴任して3年目。3年連続で生徒会長を部から出した。今は2年生の田嶋温司(たじま・あつし)だ。
「どんどん目立て、と言っています。学校の中心になる子が出てくることは大切です」
経験はチームに還元される。
瑞光時代には府大会でチームを準優勝に導く。名のある教え子は7人制日本代表の林大成。長吉西の時は辻野隼大(はやた)がいた。京産大の1年生はスタンドオフとして京都成章を初の花園大会準優勝に導いた。
「ラグビーがあったから頑張れた感じです」
瑞光でも長吉西でも異動の際には引き留めの署名運動が起こっている。
その宮脇を田中敦夫は大いに買った。関大北陽の中高の校長は、宮脇にとって土井と並ぶ恩師。仰星時代はラグビー部部長であり、社会科の教員だった。その引きで、公立から私立の中高一貫校に指導の場を変える。
ラグビー部の主将は藤原大稚(ふじわら・たいち)。3年生フォワードは言う。
「先生は厳しいけれど優しいです。メリハリをつけて接してくれます」
部員数は39(3年=10、2年=14、1年=15)。男女共学で1学年100強という人数を考えれば、生徒からの宮脇の評価もわかる。
競技を始めたのは中学の菫(すみれ)から。土井に誘われ、仰星に入学する。高3時は大阪の決勝で負け、花園に進めなかった。淀川工に5-7。ポジションはフッカーだった。
1年時、仰星は初めて花園に出る。72回大会(1992年度)は8強敗退。東農大二に8-26。1つ上には大畑大介がいた。
「一緒に帰っていました」
ウイングだった大畑は京産大から神戸製鋼に進み、日本代表キャップ58を得る。
「高校も花園に行ってもらいたいですね」
関大北陽の全国大会出場はない。宮脇自身、仰星で全国優勝5回という歴史を作るひとりにはなった。強くなれば人生が変わる。それは大学の強化にもつながってゆく。この中学に入れば、基本的に大学まで上がれる。中学生を鍛えることはそこにもつながってくる。
学校は阪急の上新庄駅から徒歩5分。宮脇は市内の自宅から自転車で通う。グラウンドは人工芝化され、ナイター用の照明もある。中高のクラブ活動は合同でやるため、使える地所は小さいが、環境はいい。
現在、大阪市では秋季大会の真っ最中。関大北陽は11月7日、桃谷を42-14で破り、4強に進出した。次は11月13日、東生野と対戦する。9月の近畿大会予選では7-69と大敗している。
「東生野に勝つのが目標です」
主将の藤原は力を込める。教え子たちを高みへ導くため、今日も宮脇の奮闘は続く。
(文:鎮 勝也)
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