コラム
2021.11.10
[ 鎮 勝也 ]
天職は中学校の教師である。
宮脇弘宗本人がどうあれ、周囲はそう思っている。
今は大阪にある関西大の系列の北陽、愛称「かんほく」で保健・体育を教える。ラグビー部の顧問でもある。
高校時代の恩師、土井崇司のメールがある。
<曲がったことが嫌いで、生徒のことを第一に考え、そのためなら命がけで戦うことができる人物です>
仰星が全国大会で初優勝するのはミレニアム。その前に宮脇は指導を受けた。土井は今、同じ東海大系列の相模の中高校長である。
両親の政幸と悦代も中学教員。父は社会科、母は音楽。2人とも校長経験者だ。教え、導くことは宮脇家のお家芸である。
「小さい頃から多忙な2人を見て、教師には絶対にならないでおこう、と思ったのに、今となっては同じようなことをしています」
やはり、血が騒いだのか。そこに若かりし頃のユニークな生きざまが溶け込む。
「大学に興味がありませんでした」
入学は3年遅れ。仰星卒業後、親せきの測量会社で働く。阪神淡路大震災の直後。大忙し。瞬く間に貯金はたまる。
そのお金でオーストラリアに向かう。ビザはワーキング&ホリデー。日本人のつてで、フィジーでも2か月暮らしたことがある。
「世界は広い、と思いました。フィジーはそこらじゅうでラグビーをしていました」
目が開かれる。南半球で労働も交えながら期限の1年ほどを過ごす。
フィジーに友人が遊びに来る。学生生活が楽しそうだった。帰国後、ジムで働きながら、勉強をする。1998年、東海の体育学部に合格。ラグビー部の門は叩かなかった。同期は最上級生。気後れなどがあった。
目標を教員免許の取得に置く。総合格闘技をやったが、視力の関係でその道に進むこと諦める。ゼミの担当教員は高野進。400メートルの日本記録保持者のもと、ホノルルマラソンをテレビ番組とタイアップして走ったりもした。楽しい4年間だった。
卒業後、生まれ育った大阪に戻る。
2年間の講師生活のあと、教員採用試験に合格。大阪市内の中学で教べんを執る。東淀川の瑞光(ずいこう)に7年、平野にある長吉西に8年、在籍した。
その指導の芯は生活指導だ。
「大事だと思います」
あいさつをする。スパイクは揃える。荷物はきれいに置く。並ぶのは素早く、真っすぐ。私語をしない。土井も仰星では生活態度をうるさく言った。いい加減では勉強もスポーツも伸びない。師弟の教え方はやはり似る。
リーダー作りにも積極的だ。赴任して3年目。3年連続で生徒会長を部から出した。今は2年生の田嶋温司(たじま・あつし)だ。
「どんどん目立て、と言っています。学校の中心になる子が出てくることは大切です」
経験はチームに還元される。
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