「ガイジン」発言を許さなかった学生時代…アルビノの私が受けた差別 – withnews

「ガイジン」発言を許さなかった学生時代…アルビノの私が受けた差別-–-withnews 花のつくりとはたらき

コラム

友だちがいなくても乗り切れた理由

「ふつう」ではない見た目のため、周囲から侮蔑のまなざしを向けられた経験がある、アルビノの雁屋優さん。孤独の中で見いだした、生きるための術とは?(画像はイメージ)


「ふつう」ではない見た目のため、周囲から侮蔑のまなざしを向けられた経験がある、アルビノの雁屋優さん。孤独の中で見いだした、生きるための術とは?(画像はイメージ) 出典: Getty Images

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髪や肌の色が薄く生まれる遺伝子疾患・アルビノの雁屋優さん(26)は、幼い頃から、外見にまつわる差別を体験してきました。中でも許せなかったのが、侮辱の意図で、「ガイジン」という言葉を同級生から投げつけられたことです。他の人と違う容姿をからかわれる日々を生き抜くことができたのは、かけがえのない「よりどころ」があったからだといいます。友だちがいない状況でも乗り越えられたのはなぜか。実体験を踏まえつづってもらいました。

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「応戦」を繰り返した幼少期

「ガイジン」と最初に言われたのがいつだったか、私は正確に思い出せない。もちろん、それを言ったのが、誰だったかも、わからない。気付いた時には、既に周囲からの視線にさらされていた。

私は、日本生まれの日本育ちだ。海外にルーツがあるとみられるのに抵抗はないが、相手が侮蔑の意味を込めてそう言っているとわかったから、許せなかった。幼い頃の私は、そうした言葉を、アルビノのため色素が薄く人目を引きやすい容姿に対する、攻撃とみなしていた。

小学校入学当初は言われるたびに「応戦」して、衝突を繰り返していた。次第に同級生は慣れてくる。そういうものなんだ、と理解したのではなく、それを言うと、先生にしかられることを学んだのである。

しかられたくないから、言わない。そうして私の周囲では、アルビノに関する言動が、落ち着いていった。

幼少期、見た目にまつわる不当な扱いを受けるたび、雁屋さんは全力で抗っていた(画像はイメージ)

幼少期、見た目にまつわる不当な扱いを受けるたび、雁屋さんは全力で抗っていた(画像はイメージ) 出典: Getty Images

悪意の有無と差別は無関係

ただ、その後も同じような出来事は起こった。小学6年生の春に、当番制で行かねばならないからと嫌々向かった1年生の教室で、「あっ、ガイジンだ!」と叫んだ1年生を私がにらみつけ、担任の教師が大急ぎで謝らせたこともあった。

その子に、悪気はなかったのかもしれない。だが私は、見た目であれ、何であれ、理にかなわない言葉を投げつけられたら、相手が非を認めるまで追いつめることでしか、自分の安全は確保できないと思っていたのだ。

当時通っていた小学校に、他のアルビノの当事者はいなかった。大人ですら私への接し方に迷っていたのだから、まだ物事の分別が付きづらい児童たちの中に、奇異のまなざしを向けてくる子どもがいることも、十分あり得る話ではあった。

だが、見た目の症状にまつわる間違った認識は、差別を生み出す場合がある。差別の対象となった人物は、心が傷つき、最悪の場合、自ら命を絶ってしまうかもしれない。アルビノの人々に対し、「ガイジン」と言うことも、そうした結果を招きうる行為の一つなのだ。

重要なのは、悪意があるかどうかにかかわらず、差別は成立するという点だ。アルビノの当事者が校内に私しかいないからこそ、他の児童たちの言動が、どんな危険をはらんでいるか、伝えなければならなかった。

そして何よりも、自分の身は、自分で守るしかないと考えていた。

小学校の教室で受けた外見差別を、雁屋さんは今も忘れられないという(画像はイメージ)

小学校の教室で受けた外見差別を、雁屋さんは今も忘れられないという(画像はイメージ) 出典: Getty Images

高校入学まで友達はゼロ

そのような状況だったから、中学校を卒業するまで、友人と呼べる存在は皆無だった。

私が進学したのは、地域でも比較的治安のいい中学校であった。それでも、「ハロー」と声をかけてくる上級生や、得意だった英語の成績を念頭に、「あいつはガイジンだから英語ができて当然」と言ってくる同級生もいた。

中には、「その髪、いいよね」と私の髪の色を褒めてくれる同級生もいたので、決して孤立無援だったわけではない。それでも、友人と呼べる存在にはならなかった。それは、私が心を閉ざしていたせいかもしれないし、私の心を閉ざすような環境のせいだったかもしれない。

いずれにせよ、友人のいない状態で中学時代を過ごしたわけだが、寂しいと思うことはなかった。読書によって、様々な物語や科学に触れることが面白かったからだ。

理科を担当していた担任の先生が教室に置いてくれた、遺伝学の本を何度も読み返し、生物学への興味を深めていった。また、海堂尊さんの『チーム・バチスタの栄光』から始まるシリーズ、宮部みゆきさんの『魔術はささやく』など、素敵な物語に触れ、楽しく過ごしていた。

読書や勉強に没頭している時の私は、普段直面している様々な問題とは無縁だった。読者や傍観者として、ある意味他人事と思える。その時間は、自分がアルビノであることを忘れていられた。

多感な思春期に、一番の友人となってくれたのは、読書と勉強だった(画像はイメージ)

多感な思春期に、一番の友人となってくれたのは、読書と勉強だった(画像はイメージ) 出典: Getty Images

読書と勉強がよりどころだった

だが現実に戻れば、そうも言っていられない。日焼けに弱い肌は日焼け止めクリームを塗って守らねばならないし、アルビノの症状である弱視のため、黒板の板書をするにも苦労する。そして、周囲は私を「異物」と認識していた。

こうして振り返ってみると、当時の私が読書や勉強と、同級生達とのコミュニケーションのどっちを優先したくなるかなんて、考えるまでもない。読書や勉強は、よりどころだったのだ。

高校に入って、話の合う友人を得て、私のひとりきりの時間は終わるのだが、その高校へ私を連れて行ってくれたのも、読書と勉強だった。

中学時代の担任の先生が教室に置いてくれた本や、医療ミステリーものである『チーム・バチスタ』シリーズは、医学や生物学への関心を高め、勉強するモチベーションになった。そうして打ちこんだ勉強により、進学先の選択肢も広まった。

そして高校での友人との出会いにより、「一人でも構わない」と思っていたのが、「一人でも構わないけれど、この人といるとすごく楽しい」と考えるようになった。かつてクラスで孤立していた私は、こうして、外の世界にも目を向けるきっかけを持てたのだ。

雁屋さんは高校入学後、一人で過ごす楽しさだけではなく、友人と過ごす面白みも実感できた(画像はイメージ)

雁屋さんは高校入学後、一人で過ごす楽しさだけではなく、友人と過ごす面白みも実感できた(画像はイメージ) 出典: Getty Images

周囲の視線に悩まずに済む状況をつくる

私は、自分が孤独に対する耐性が高いどころか、ひとりきりの時間がないとしんどくなってしまうくらいなので、友人ゼロの義務教育期間を締めくくることができた。

読書と勉強に没頭する楽しさは、周囲から浮いても、その状況を生き抜く力を与えてくれた。いざという時に逃げ込めるような、よりどころとなる世界がある。そう思えば、気持ちがほぐれた。そして、その後の進路を考えるヒントにもなった。

しかし、見た目の症状が理由で、「いじめ」の被害に遭ってしまう人もいる。個人に「逃避の自由」を保障するのは大切だ。だが、より本質的なのは、誰も周囲からの視線に苦しまなくても済む状況をつくることだろう。

そのためには、私が「ガイジン」という言葉に抗ったように、差別の本質について世に伝え続けなければならない。もちろん、当事者だけでは限界がある。教育現場や職場など、社会のあらゆる場所に生きる全ての人々に、力を貸してもらいたいと思う。

そして見た目の症状に向けられたまなざしに悩む人に、改めて伝えたいのは、現実と戦ってもいいし、よりどころになる世界に逃避してもいいということだ。

戦い続けるのは疲れるし、逃避してばかりでも人生はよくならない。戦いと避難を繰り返しながら、自身の武器を磨いていくことが、人生を切り拓く力になると思う。私にとって、その方法の一つが読書と勉強だった。

周囲の大人達には、そのようなよりどころを持っていたり、あるいは持ちたいと願ったりする子どもに出会ったら、どうか当人の思いを大事にして、見守ってほしい。そして、見た目を差別する人も、される人もいなくなる環境を生み出すため、一緒に手を携えてほしい。

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女子400メートル(視覚障害T13)でスタート前、両手を上げるザンビアのモニカ・ムンガ=2021年9月2日、国立競技場、西畑志朗撮影

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