昨年11月、東京都町田市の小学校で、小6の女の子がいじめを苦に自殺した。いじめの温床となったのが、この学校が推進していた「一人一台端末」だった。ICT推進は文科省の方針だが、いじめだけでなく、学習にも悪影響を及ぼす恐れがある。脳科学者の川島隆太・東北大学教授は「デジタル端末で勉強すると、脳の発達が阻害される。文科省はICT推進の意義についてエビデンスを示すべきだ」と訴える。告発スクープ第5弾——。
■ICT推進校で起きていた教育の劣化
GIGAスクール構想とは、文科省が「一人一台端末と高速大容量の通信ネットワークを整備することで、多様な子どもたちを誰一人取り残すことなく、個別最適化された教育によって個々人の資質・能力を伸ばす環境を実現すること」を目指す教育改革のことだ。GIGAとは、「Global and Innovation Gateway for All」の略である。
2019年12月にGIGAスクール構想実現のための予算が閣議決定され、当初計画では2023年までに学校の通信ネットワークと児童・生徒に一人一台端末を整備することになっていた。そこに2020年3月の新型コロナウイルス感染症拡大予防のための休校要請が降りかかった。
ICT環境が整っていた私立校がオンライン教育に切り替えて授業を再開できた一方で、多くの公立校ではなすすべがなく、教育が止まってしまった。これに危機感を募らせた文科省が、計画を前倒しして環境整備に取り組み、今年3月末には全国の自治体への配備が完了した。
筆者の家庭でも、子どもたちが自分のタブレット端末を持ち帰るようになり、練習として朝の会をオンラインで実施するようになった。
一人一台端末が配られ、休校要請があったときもオンラインで授業が受けられる——。
コロナ禍にオンライン授業という選択肢を与える環境整備は、筆者も好意的に受け止めている。だが、自殺があった町田市立小学校の取材を重ねるなかで、次のような声を聞き、いまのような形でのICTの推進は学習に悪影響を与えていると感じるようになった。
「クロームブックで計算ドリルをやっている。先生は、計算はノートに書きなさいっていうけど、みんな書かないで適当に答えちゃっていた」(児童)
「調べて、レポートをつくる授業がよくあるけど、みんなコピペしているから、すぐに課題が終わっちゃう。その間にゲームやったり、好きなこと調べたりしていた」(児童)
「パソコンを使う授業が4時間続くこともあるよ」(児童)
「授業参観に行ったのですが、全員が端末に向かって黙々と入力している様子を見せられました。先生もほとんど発言しないので何をやっているかまったくわからなくて、これが授業なんだろうかと思いました」(保護者)
この小学校は、20年以上前からICT教育に取り組んできた先駆者として知られるA校長がいたICT推進校だ。それだけにICT活用に積極的だったわけだが、子どもが学習に集中できていなかったり、ゲームし放題だった悲惨な状況を聞いて、GIGAスクール構想で「個々人の資質・能力を伸ばす環境を実現する」ことができるのか、大いに疑問を感じるようになった。
■ICTを使うと学力が上がるエビデンスがない
一人一台端末が導入されたといっても、実際にICTを授業でどのくらい使うかについては、教師の裁量に任されている。だが、文科省の基本方針は、教師に積極的な活用を促すものとなっている。
昨年12月には、小中学校でデジタル教科書を使う際には「授業時間数の2分の1未満」と定められていた要件を撤廃。ICTに熱心な教師がいれば、すべての授業をデジタル教科書で実施できるようになった。
2021年3月に出された「GIGAスクール構想の下で整備された1人1台端末の積極的な利活用等について」という通知では、「(ICTの)学習ツールの使用制限は安易に行うべきではないこと」や「デジタル教科書・教材の活用についても検討を進めること」「学校や家庭でオンライン学習やアセスメントができる『MEXCBT(メクビット/学びの保障オンライン学習システム)』の活用を検討すること」などが方針として明記されている。
このような“ICT積極活用”の方針に異議を唱えるのは、脳科学者で東北大学加齢医学研究所の所長を務める川島隆太教授だ。
「もっとも問題だと思っていることは、ICTを教育に用いることで子どもたちにどういう利益があるかというエビデンスが一切ないことです。逆に、ICTを教育に入れたことでうまくいかなかったというエビデンスは世界中で報告されています。コロナ対策ではエビデンス、エビデンスと皆さんおっしゃるのに、なぜ、日本の将来にとって一番大事な教育に関してエビデンスがないままに、このような無謀な社会実験が進められているのか、疑問でしかありません」
ICT教育がうまくいかないことを示す報告の一つに、OECDが実施している「学習到達度調査(PISA)」がある。2015年調査では72か国・地域から約54万人が参加し、コンピュータの利用が生徒の成績に影響があるのかが調べられた。
結果は、「ICTの教育への活用は読解や数学、理科において成績向上に影響がないこと」「ICTを授業であまり使わない国では、ICTを平均的に使う国々よりも読解力が劇的に向上したこと」「学校にコンピュータの数が多い国ほど、数学の成績は下がること」「学校でコンピュータを閲覧する時間が長いほど、読解力の成績は下がること」などが示された。
学校で生徒あたりのパソコン保有数の多い国ほど、数学の成績が悪くなる
授業中のインターネット利用頻度が多い国ほど、読解の成績が悪くなる
■日本の研究でも「ICTは学力を下げる」
デジタル端末を使うと、成績が下がる——。
この事実は、川島教授が日本で行っていた研究の中でもはっきりと示されていた。
「仙台市教育委員会と行った『学習意欲の科学的研究に関するプロジェクト』(2010年〜)で毎年7万人を超える市立小中学校の生徒を8年間追跡調査した結果、スマホの使用時間が長い子どもの学力が下がることがわかっていました。スマホを使うことで睡眠時間や家庭学習の時間が短くなったりすると考えられるのですが、それらの要因を取り除いて統計処理を行いました。その結果、しっかり寝ていても、家庭学習をしていても、デジタル端末の使用が長くなると学力は下がることがはっきりしました」
なぜ、デジタル端末を長く使用すると学力が下がるのか。
その理由について川島教授は現在も研究中だが、2018年に大きなヒントとなりそうな研究結果が得られた。それは、控えめにいってもかなり衝撃的な内容だ。
■デジタル使用が「脳」の成長を阻害する
「仙台市在住の5才から18才の児童・生徒の3年間の脳発達の様子を、MRIを使って観察しました。すると、インターネットを毎日利用する子どもは大脳灰白質体積の増加に著しい遅れが見られたのです」
図表3で色がついている部分は、大脳灰白質体積の増加に遅れがみられた領域だ。色が濃いところほど、遅れの傾向が強いことを示している。
提供=川島隆太教授
仙台市在住5〜18歳、224名の3年間の脳発達をMRIで計測。インターネット習慣が多い子どもは3年後、広範な領域で大脳皮質の体積が増加していなかった。ちなみに最初の時点で、インターネット習慣が多いものほど脳が小さいわけではない。 – 提供=川島隆太教授
「大脳灰白質は大脳皮質とも呼ばれる神経細胞層です。ここが増加するということは、脳活動が高度に成長していくことにつながっています。2018年の研究結果では、インターネット習慣がない、あるいは少ない子どもたちの大脳灰白質の体積は、3年間で増えているのに対して、ほぼ毎日インターネットを使用している子どもたちの大脳灰白質は、3年間でほとんど発達していなかったことがわかりました。これを身体に置き換えて考えてみると、6年生の子どもが中学3年生になったのに、6年生のままの身長・体重でいるような異常事態です」
川島教授の研究では、大脳灰白質の神経細胞層だけでなく、神経線維層、つまり、神経細胞のネットワークの発達についても調べられた。図表4で色がついている部分は、発達が遅れている部分だ。
提供=川島隆太教授
仙台市在住5〜18歳、224名の3年間の脳発達をMRIで計測。インターネット習慣が多い子どもは3年後、広範な領域で神経細胞ネットワークである神経線維層の体積が増加していなかった。ちなみに最初の時点で、インターネット習慣が多いものほど脳が小さいわけではない。 – 提供=川島隆太教授
「インターネット使用の頻度が高いと、大脳灰白質と小脳内を結ぶ神経線維の発達にも悪影響が出ていることがわかります。これらの結果を踏まえると、デジタル端末利用が学力を下げる理由は、脳そのものの発達を阻害しているからだと言えそうです」
■脳の炎症が取れないことが原因か
デジタル端末利用がなぜ脳発達を阻害するのかについては現在研究中のため、ここからは川島教授の仮説になるが「睡眠の質を落とすことが原因の一つになっているのではないか」と考えているという。
「日中の活動で、脳をたくさん使うと、わずかな炎症が脳全体に生じます。通常は睡眠をとることで炎症が収まり、起床したときには脳はリフレッシュした状態に戻ります。私はインターネットの過剰利用により、脳が疲れてびまん性炎症が増強するうえに、ブルーライトなどの影響により睡眠の質が低下し、炎症を修復できないのではないかと疑っています」
ちなみに先述した3年間の脳発達の研究では、インターネットの使用時間は問うていない。
「インターネットを毎日利用する子どもの脳は、3年間ほどんど発達していなかったわけですが、この結果の中には、毎日利用しているといっても、1日たったの10分だった子も含まれています。つまり、インターネットの利用時間の長い子だけで見ると、もっと悲惨な結果が出ると想定できます」
■脳が働くのはアナログな学習方法
冒頭で紹介した「デジタルドリルでは考えないで答えを出してしまう」「レポートもコピペで終わらせてしまう」といった“考えない学習”になってしまっている理由がうかがえる実験結果もある。
「『齟齬(そご)』『鷹揚(おうよう)』のように読めるけれども、正確な意味を言うのは難しいような言葉の意味を、紙の辞書を使って調べた時と、スマホを使ってウィキペディアで検索したときの脳活動を調べたことがあります。すると、紙の辞書を使ったときには前頭前野が活動しているのですが、スマホを使って調べたときにはまったく活動していないことがわかりました。スマホで調べるのは、紙の辞書で調べるより簡単です。だから脳は働かないのです」
提供=川島隆太教授
端末で調べたときには前頭前野はほとんど働かず、辞書で調べた時には活発に活動した。 – 提供=川島隆太教授
実験後に、調べてもらった言葉の意味を聞いたところ、紙の辞書を使った人は4、5割答えられたが、スマホを使った人は一つも答えられなかったという。
「簡単にできたことは、簡単に忘れてしまうのです。脳に負荷をかけないと勉強になりません。だから、人類がラクするために生み出したデジタル端末で勉強させようというのが、そもそも間違っているのです」
川島教授によると、脳が働くのは「読書をしたとき」「音読したとき」「紙に文字を書いたとき」「人と対面で話したとき」など。こう聞くと、ICTを教育で使うのは休校要請があったときのオンライン授業や協働学習するときのスライドづくり、あるいは識字障害があるなどICTが助けになる子の利用など、必要なときにとどめて、それ以外の授業はいままでどおりでいいと思うのだが、いかがだろうか。とりわけ脳が未発達な小学生の利用は慎重に検討してほしい。
■子どもは習わなくてもICTは使いこなす
今回取材したICT推進校の保護者は「学校で教えているICTの使い方は、小学校で教えなくても、子どもはすぐに習熟する。キーボード入力だって、スライドづくりだって必要になればすぐにできるようになるので、小学生時代はもっと土台となる学力を育てることをしてほしい」と訴えていた。
実際、子どもたちは教師より、よっぽどICTを使いこなしていた。たとえば、YouTubeのアプリに閲覧制限がかけられたら、見たい動画のURLをコピーして検索バーにペーストすれば見られるようになることや、ハングアウトというチャットが使用禁止になったあとも、授業で使うスライドで連絡したい相手にメンションするとチャットのように連絡が取れることなど「抜け道はある」と子どもたちが教えてくれた。
一方で脳が働くアナログな学習方法が減る悪影響は計り知れない。
「カーナビを使うと地図を忘れるように、キーボード入力をすると漢字が書けなくなるように、使わないと脳機能は失われます。このままICTを使った教育が公教育のなかで続けられたら、9割の子どもは自分で考える力を失うでしょう。多額の予算をかけて、なぜ、このようなことを行うのか。文科省の方たちには、私の異議申し立てに対して、ぜひ、エビデンスを見せて反論してほしいと思っています」
(プレジデントオンライン編集部 森下 和海)
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