灘校と武蔵の魅力を徹底解明!伝説の教師、受験にこだわらない教育…東西屈指の名門校には意外な共通点…|テレ東プラス – テレビ東京

灘校と武蔵の魅力を徹底解明!伝説の教師、受験にこだわらない教育…東西屈指の名門校には意外な共通点…|テレ東プラス-–-テレビ東京 教育関連ニュース

2021.9.19
THE名門校 日本全国すごい学校名鑑

歴史や校風、卒業生のネットワークまで、名門校の知られざる姿を通してその秘密に迫る「THE名門校!日本全国すごい学校名鑑」(BSテレ東 毎週月曜夜10時)。MCに登坂淳一、角谷暁子(テレビ東京アナウンサー)、解説におおたとしまさを迎え、「名門とはいったい何か?」常識を打ち破る教育現場に密着する。

今回は東西屈指の名門校スペシャル。スタジオゲストに鈴木奈々さん、和田秀樹さん、本郷和人さんを迎え、関西の雄、「灘校」と、東の伝統校、「武蔵」という、トップクラスの秀才たちを育てる名門校の秘密に迫る。さらに、番組MC登坂淳一が母校・保善高校を卒業以来32年ぶりに訪れる。

灘校を東大・京大進学率トップ校に育てた「伝説の教師」の教育法

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港町・神戸(兵庫県)が日本に誇る超名門校といえば、「灘校」こと「灘中学校・高等学校」(以下、灘校)。中高一貫の男子校で偏差値80に迫り、超難関の狭き門。東大合格者数ランキングでは全国2位で、2人に1人が東大合格という頭脳集団だ。在校生の中には沖祐也さんのように17歳にして「国際数学オリンピック」日本代表になった生徒も。そんな選ばれし秀才たちは、東大をはじめ難関大学へ進んだのち、政財界や小説家になった人物など「日本の頭脳」として活躍している。

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そんな灘校の創立に尽力したのが、柔道の創始者・嘉納治五郎先生。和田孫博校長(元灘校英語教師)の案内で応接室に入るとそこには直筆の屏風が飾られていた。

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「目標に向けて正しいやり方を追求せよ」。

この教えこそ嘉納治五郎が生涯を通じて編み出した哲学。小柄で虚弱な体質だったという嘉納治五郎は、東大に入学後、その弱点を克服しようと柔術を習い、遂には独自の理論を確立し柔道を生み出した。そして明治15年(1882年)、のちに世界柔道の拠点となる講道館(東京都)を設立。講道館柔道の普及につとめる一方、教育に活かす方法を模索した。

筑波大学の前身「東京高等師範学校」の校長を務めるなど、教育者でもあった嘉納治五郎。灘校の創立に顧問として参加し、柔道の教えを校是とした。それが「精力善用」と「自他共栄」。修行で得た力は相手をねじ伏せるのではなく、社会のために使い、相手を敬うことで自分も成長していける…柔道から生まれた哲学が灘校の遺伝子となった。

灘校OBで受験アドバイザーでもある精神科医・評論家の和田秀樹さんは、校是についてこう語る。「”精力善用”は、無駄な努力をするなということ。やり方を間違えた努力はド根性主義になってしまう。そうではなくて時間をかけた分だけパフォーマンスを上げなくてはいけない。勉強は素質よりもやり方。 “自他共栄”は、足の引っ張り合いをするより助け合ったほうが、結果的に難関校に受かるという形で、引き継がれていると思う」。

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灘校には制服がない。「生徒にある程度権限が渡されている学校。校則がそもそもなく、長髪もOK。部活も好きなことに取り組める」と語るのは、生徒会長の伊丹裕貴さん。また、文化委員長の佐藤弘麿さんは「良いゆるさがある。生徒もおおらかで、お互いにやっていることを認め合える」とその魅力を語る。

彼らに校内を案内してもらった。連れていってくれたのは文化部の部室が並ぶ”文化部長屋(ながや)”。有名な「クイズ同好会」や博識な「鉄道研究部」、世界的に有名な大型客船を製作中の「レゴ同好会」、プラネタリウムまで自主製作してしまう「地学研究部」、本格的な実験を行う「化学研究部」など、さまざまな部活が精力的に活動していた。

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灘校には「6つの学校がある」といわれる、ある伝統的なシステムがある。それは「担任団」という制度で、各教科の教師が中高6年間ずっと替わることなく、同じ学年を責任を持って教えるシステム。

6年間を見据えたカリキュラムを組むことができるが、そのメリットは授業の進み具合を調整しなくていいこと。学期の区切りや別の担任に引き継ぐために、慌てて授業を進める必要がないのだ。そのメリットについて、和田校長は「進度より深度が大事」と語る。速く学ぶより、深く学ぶ…そのために教師も常識にとらわれない型破りな授業を実践している。

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灘校を語るうえで欠かせなのが、伝説の国語教師・橋本 武先生だ。71歳まで50年間灘校の教壇に立ち続け、その伝説は今も語り継がれている。橋本先生が行っていたのが、小説家・中勘助が明治末期から大正にかけて書いた自伝的小説「銀の匙」を、3年間かけて読み解くという前代未聞の授業。橋本先生は30年以上その授業を続け、OBの和田さんも衝撃を受けたという。

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そんな橋本先生の教え子のひとりが、ジャーナリストを経て神奈川県知事になった黒岩祐治知事。当時の授業が今の原点だといい、「橋本先生の自由さは群を抜いていた。教科書をいっさい使わないし、1冊の本を3年間読み込ませたのは、今でいうとインターネットの発想。物語の中で出てきた言葉から、その世界に飛んで行く。例えば”百人一首”という言葉が出てきたら、クラスでかるた大会をやる。”駄菓子”というキーワードが出てきた時は、皆で駄菓子を食べながら授業を受けたことも。受験校とは思えないでしょ?」と笑顔で当時の様子を振り返った。

「もし成果が出なければ教師を辞める」と宣言し、独自の授業を続けた橋本先生。その結果、昭和37年に京大合格者数で日本一に、昭和43年には東大合格者数も日本一となった。受験を目指す生徒からすると、一見、遠回りに思える授業だが、その遠回りこそが一番の近道。橋本先生はそれを証明し、その”奇跡の授業”こそが名門・灘校の礎を築いたのだ。

名物”おみやげ問題”が象徴する、東の武蔵を貫く「自調自考」の精神

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東の名門校代表といえば、男子校御三家の一角「武蔵高等学校中学校」(以下、武蔵)。大正11年に日本で最初の7年制旧制私立高校として創立した、中高一貫の男子校だ。難関大学へ数多くの卒業生を送り出し、元内閣総理大臣の宮澤喜一氏をはじめ、政財界や学界に気骨あふれる人材を輩出。

武蔵の43期生で元日本政策投資銀行社長の柳正憲さんは、「尻を叩いて”東大だ!”と騒ぐ雰囲気は全くない。いい教育だと思う」と語る。カリキュラムにとらわれず、生徒の自主性を重んじる点は灘校にも通じる校風だ。

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建学の精神は「武蔵の三理想」。その中でも特に武蔵の教育を物語るのが、3つ目の「自ら調べ 自ら考える力ある人物」。「自調自考」という言葉で学校に浸透していて、その教えは1922年の創立以来脈々と引き継がれている。

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武蔵の入試でも、「自調自考」の教えをうかがい知ることができる。これは実際に出題された名物の「おみやげ問題」。出題に使用した物は受験生が持ち帰ることになっているため、「おみやげ問題」と呼ばれるように。他にも2本のネジの違いを図と文書で表現せよという問題や、糸巻きの動きについて気づいたことを書くなど、暗記だけでは解けない独自の問題が出題される。

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教科書を使わない名物先生は武蔵にも。漢文担当の阿部光麿教諭は、江戸時代の流布本を使って授業を行う。入試問題を解くために旧字体の知識は特に必要ないが、入学した後に見える世界を広げるために有効だという。こうした授業内容について「学校から、授業に対する指示や依頼はいっさい受けたことがない。唯一あるとすれば、講師になった際、当時の校長先生から”1年間授業をして、漢文が好きだという生徒が1人でもいたら良い”とおっしゃっていただいた。それだけだと思う」と語る。

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武蔵の魅力について、在校生は「世間では”オタク””変わってる”といわれることも、武蔵ではむしろ、その知識を研究し深めていける雰囲気がある」「自分が興味のある分野を突き詰め、面白い人間に育っていける学校」と、喜々として話してくれた。

また、杉山剛士校長先生は「失敗した時に、どう立ち直って前を向いて歩くかが大事。だから、あえて言わない、あえて教えない。生徒たちの間違いに一緒に付き合って、認めて、そこでリカバーする力を身につける。武蔵の生徒は気骨があり、自分の意見をしっかり持ち、周りに流されない。そんな人材が育っている」と語った。

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では、卒業生は武蔵の学びをどう活かしているのか? スタジオゲストの東京大学史料編纂所教授・本郷和人先生をはじめ、錚々たる顔ぶれが揃う53期生のOBを取材した。

三菱重工株式会社で原子力発電の炉心安全技術を設計する福田龍さんは「人付き合いに必要な知恵を学んだ。人と合わなくてぶつかった時に、どこまで主張して良いのか…社会に出る縮図を学ばせていただき、有り難かった」と語る。

また、住まいと暮らしの総合住生活企業「LIXIL」の瀬戸欣哉社長兼CEOは、「自分の生き方や考え方は、武蔵にかなり影響されている。『いま何が本質的に必要とされているか』を、毎日1000本ノックのように考える。自分に必要な”問い”は何か考え、そこから答えを探さないと本当に大切なことはわからない。武蔵の教育は、その”問い”を探すことだった」と振り返る。

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東大法学部から外務省に進み、その後、弁護士として独立した吉野正己さんは、中学入学直後に「自調自考」の教えを体感したという。

ある日友達と遊んでいた吉野さんが、先生方の控室で「ゴミを捨てても良いですか?」と尋ねたところ、先生が立ち上がって深呼吸をし、「自ら考えよ」と言ったのだという。「良いか悪いか二択で言われると思ったので、衝撃を受けた」と当時を振り返った。武蔵OBの53期生たちは、卒業して42年の時を経てもなお、多感な年頃に浴びた「自調自考」の教えを実践し、各界の先頭を走り続けている。

MC・登坂アナが母校・保善高校の今をレポート!

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最後に紹介するのは、当番組MC・登坂アナウンサーの母校「保善高等学校」(東京都新宿区)。2023年には創立100周年を迎える歴史ある男子校で、建学の精神は「剛健質実」「初志貫徹」。

生徒数は現在およそ600人、約8割が大学に現役合格している。部活動も盛んで、ラグビー部は「花園(全国高等学校ラグビーフットボール大会)」で全国優勝4回、「国体」優勝9回という名門だ。さらに登坂アナが所属していた陸上競技部も強豪で、「インターハイ」や国体で優勝を含め、輝かしい実績を誇る。最近では空手道部も全国トップクラスに食い込む大躍進を遂げている。

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登坂アナが入学したのは、バブル景気が始まる昭和62年。32年が経ち、校舎はすっかり近代化していたが、体育館は昔のままだという。しかし、登坂アナの頃にはなかった「スポーツクラス」の生徒に遭遇。スポーツ推薦の生徒で構成されたクラスだという。

番組では他にも、陸上競技部の同級生が救われたと語る登坂アナの言葉、恩師が語る「陸上部員から教えられたこと」など、知られざる登坂アナの原点に迫る。

9月20日(月)夜10時放送! 「THE名門校!日本全国すごい学校名鑑」(BSテレ東)は、「山形の名門!山形東と米沢興譲館に迫る」と題し、ゲストに俳優の眞島秀和さんを迎えて送る。

今回は、山形県にある2つの名門校の秘密に迫る。1校目は山形県立山形東高等学校。明治15年に師範学校内に設置された学舎が前身で、これまでに多くの政治家や山形県知事を輩出している。同校では3年前に県の教育委員会主導のもと、普通科とは別に探究科が新設され、その一期生が今年、東大推薦入試に初めて挑戦。見事3人もの合格者を出した。そこで探究科の授業に潜入、そのすごさが明らかに!

もう1校は、山形県立米沢興譲館高等学校。藩校として創立した同校にも探究の授業があり、なんと大学の先生が授業を行っていた。さらに卒業生で俳優の眞島秀和さんが高校時代を熱く語る!

どうぞお楽しみに!

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