「障害は努力で乗り越える」は誤解 パラスポーツが伝えることは(毎日新聞) – Yahoo!ニュース – スポーツナビ

基本問題

 8月24日に開幕した東京パラリンピックは、終盤に入っても変わらず熱戦を届けてくれる。パラスポーツの普及活動に携わる「日本財団パラリンピックサポートセンター」理事長の小倉和夫さん(82)は、パラリンピックの社会的意義として語られる「障害は個人の努力や能力で乗り越えるもの」というフレーズを「得てして誤解を招きかねない」と言う。意外な言葉の裏側にある真意とは。【小鍜冶孝志】

 ◇パラ選手の存在、社会的意義そのもの

 選手は高い意識を持ち、大会に臨んでいる。メダルの有無に関わらず、自己ベストの更新や、一生懸命プレーする姿を見るだけで感銘を受ける。競技自体のルールや、魅力も広く浸透したと思う。非常に喜ばしい。

 もちろん競技なので、試合結果は重要だ。アスリートである以上、勝ち負けにこだわらない選手はいない。それらを尊重した上で、パラリンピックにはオリンピックとは違う社会的意義があることを強調したい。それは、共生社会の実現を目指すための「舞台」であるということだ。

 大会前に約1年かけ、出場選手の経歴などを調査、研究した。障害は生まれつきの先天性か、事故や災害などに巻き込まれた後天性のものか。障害を持った過程、心理的葛藤や、どうやって障害を乗り越えたのかを追った。選手の中から、一例を紹介したい。

 アーチェリーの岡崎愛子選手(35)は大学2年の時、JR福知山線脱線事故に巻き込まれた。首の骨が折れ頸椎(けいつい)を損傷し、377日間入院。下半身の感覚は戻らなかった。自らの可能性を広げる道を探すうち、パラスポーツの世界に足を踏み入れた。

 最初は重さ数キロの弓を持つことすらままならなかったが、ベルトを手首に巻き付けて矢を引き、50メートル先に届くようになった。生活が一変し、想像できない苦労や背景があることを少しでも理解すると、弓を引く彼女の姿が違って見えた。

 陸上男子(車いす)で2008年北京大会2冠の伊藤智也選手(58)は、開幕のわずか4日前、今までに認定されていた障害より軽いと判定され、クラス分けが変更された。脊髄(せきずい)などの中枢神経に起きる進行性の多発性硬化症の影響で手に感覚障害があり、これまでは指の曲げ伸ばしが難しいとされる「T52クラス」だったが、直前に両腕がほぼ正常に機能する「T53クラス」と判定された。

 パラスポーツで障害のクラスが一つ違えば、競技水準は大人と子どもほどの差がある。伊藤選手は「相当なショック。だが、クラスが変わろうがベストパフォーマンスを尽くす。一番大事なのはスタートに立って、フィニッシュラインを越えることだ」と、現状を受け入れようとした。進行する病気と闘いながら、競技に臨む彼の姿勢に、非常に高いプロ意識を感じた。

 カヌーの瀬立モニカ選手(23)は、東京湾岸に新設された「海の森水上競技場」のある江東区で育った。13年東京国体に地元選手を出場させようと、江東区は09年に区内の中学校にカヌー部を創設。別の中学でバスケットボール部に所属していた瀬立選手に声が掛かり、カヌーを始めた。だが高校1年の体育の授業中に倒立前転で崩れ、頭を強く打ち両脚にまひが残った。車いす生活となり、「外にも出たくない」と悲嘆に暮れたという。

 以前のように体を動かしてスポーツを楽しむことが考えられなくなっていた時、地元のカヌー協会関係者から、「もう一度、カヌーに乗りませんか」と誘いを受けてパラカヌーを始めた。地元開催の大舞台でのメダルを目指し、「地域の人たちへの感謝の思いをもって出場したい」と意気込んでいた。

 選手にはみな、さまざまな背景があり、パラアスリートの道を歩んできた。健常者スポーツでも、選手の経歴やこれまでの歩みは紹介される。ただ、パラスポーツでは全く別の意味合いを持つ。選手のヒューマンストーリーを知ること自体が、障害に対する理解を深め、共生社会の実現につながるからだ。選手は舞台に立つだけで、社会的意義があると言える。パラスポーツでは、ぜひ選手のヒューマンストーリーにも目を向け、競技を楽しんでもらいたい。

 ◇無観客がもたらす 開催の原点

 新型コロナウイルスの感染拡大が収まらず、大会前には開催そのものに批判があった。従来は、オリンピックの熱気がそのままパラリンピックに引き継がれ、大会は盛り上がりをみせる。しかし今大会は無観客など異例づくしで、オリンピックとの連続性も感じられなかった。

 そのことが皮肉にも、原点に戻り、開催の意義を考える一つの契機になったのではないか。近年はオリンピックと同様、壮大な「ショー」のようになっていた。無観客の会場で試合に臨む選手を見て、パラリンピックの在り方、独自性をかみしめることができた。パラリンピックには50代以上の選手も多く出場する。人生100年時代を迎え、「年齢に関係なく、頑張れる」というメッセージも発信してくれた。

 メディアの報道を含め、警鐘を鳴らしたいことがある。SNS(ネット交流サービス)の普及もあいまって、特定の選手を「スター化」する傾向が強くなってきた。それはパラリンピックへの理解や選手のサポートにつながり、良い面もある。しかし同時に、一般の障害者から見ると、選手が遠い存在になってしまうのではないか、という懸念も持っている。

 パラアスリートが絶え間ない努力で自身を鍛え上げ、障害を乗り越えようとする姿に敬意を表するのは言うまでもない。それを十分踏まえた上で「個人の努力や能力で、障害は乗り越えるものだ」と強調されると、世間に誤解されかねない。

 障害は個人の問題ではなく、社会の問題だ。変わらなければいけないのは、障害者ではなく、まず社会だ。大切なことを真剣に考えるきっかけとなる大会になったのではないか。

 ◇おぐら・かずお

 1938年東京都生まれ。東京大学法学部、英国ケンブリッジ大経済学部卒業。62年、外務省入省。外務審議官、韓国大使、フランス大使などを歴任。東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会評議会事務総長を経て、15年より現職。

 ◇日本財団パラリンピックサポートセンター

 2015年設立。東京パラリンピックに向け、全国の学校や企業・団体などでパラスポーツの普及活動に努めてきた。東京・赤坂の日本財団ビル内に29競技団体との共同オフィスを設け、パラスポーツの活動拠点となっている。

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