2018年、シンガポールで母親インタビューをし始めたころ。当初紹介してもらった女性たちは大卒のハイキャリアの女性たち。1時間強のインタビューが終盤に近づいたころ、こんなことを漏らす人たちがいた。
「一生困らないお金があったら専業主婦になりたいけどね……」
「高学歴で優秀だからって、働きたいとは限らない。専業主婦になれるものならなりたい。けど、シンガポールで子どもを育てるのにはお金がかかるから夫1人にそれを背負わせるのはストレスフルすぎる」
「今のプロジェクトが一段落して、夫の仕事が安定したら、専業主婦になるつもり。料理とか私は苦にならないタイプだから」
こちらからすると「こんなにハイキャリアな人が!?」という人が「専業主婦になれるものならなりたい」とこぼすことは一度や二度ではなかった。
■中国にある「小学生神話」
実は、親族のネットワークや保育所など、子どもの預け先が十分にあるにもかかわらず、子どもの教育のために、女性が専業主婦化する……という動きは韓国や中国、タイなどアジアのさまざまな国で観察されている。
日本では、高度経済成長期以降にサラリーマンが増え、専業主婦の全盛期ともいえる期間が数十年あった。これに対し、急速に近代化が進んだアジアではそのような期間があまりないか極めて短く、「男は仕事、女は家庭」という性別分業が「理想や願望の表れ」として肯定されやすいとも言われてきた(落合恵美子編、2013年『親密圏と公共圏の再編成』など)。
とりわけ、昨今、家族社会学や教育社会学で指摘されているのは「教育役割」を担うために仕事を辞める専業主婦の存在だ。日本で出産等を機に専業主婦になり、子が小学生になったらパートタイムでの再就職を考える層がいるのといわば真逆の動きがある。
中国では、乳幼児の世話にあたる養育は祖父母に任せることもできるが、学齢期の教育は親がやるべきだとする規範、「三歳児神話」ならぬ「小学生神話」があるとも言われる。その中で、家事を担う専業主婦というよりは教育を担う「専業母」になる女性が増えているというのだ(落合恵美子、 山根真理、 宮坂靖子編、2007年『アジアの家族とジェンダー』)。
似たような動きは韓国でも見られる。柳采延『専業主婦という選択:韓国の高学歴既婚女性と階層』(2021年)は、従来のように自己犠牲的にではなく、むしろ自身の高学歴を生かし、一種の自己実現として子どもの教育を担う専業主婦像が出てきていることを描き出している。
このようなアジアの文脈で、シンガポールもまた、教育を理由に仕事を辞める女性がいる国として語られてきた。日本では、「M字」を描くことが長らく知られてきた女性の年齢別就労率を国際比較すると、年齢にかかわらず働き続けられる北欧や中国などは「台形」になる。一方、シンガポールや台湾は、キリン型、逆V字などと言われ、30代後半から下がり始めるのだ。
■子どもの試験に合わせて働き方を変える
教育競争が激しいことや、このグラフをもって、シンガポールは典型的に「子どもの学齢期に年齢別就労率が下がる国」として位置づけられてきた。子どもがPSLE(小学校修了試験)を受ける直前は親が休職することも珍しくない。
シンガポールで高学歴女性向けの再就職支援をしているMums@WorkのSher-li Torreyさんは次のように話す。
「子どもが小学校に入った頃に、フレキシブルな働き方を模索しはじめる女性が多い。その次は、11歳くらいになるとPSLE(小学校修了試験)のことを考えて、働き方を考え直す。その後また中学修了時、別の試験……と、女性が働き方を見直したり離職したりするタイミングは子どもの試験にかなり連動している。最近はどんどんその年齢が早くなっている感触がある」
女性の離職について、Sher-liさんは、「再就職をしたいなら、あまりブランクを空けないようにとアドバイスしている。40代やそれよりシニアになって子どもの試験が終わったからと再就職をしようとしても、その年齢だともともとやっていたジュニア(責任範囲の狭い若手向けの仕事)には戻れないので、かなり厳しくなる。だから3~4年くらいで戻れるようにしたほうがいい」という。
しかし、1人っ子であれば数年の離職でも可能かもしれないが、子どもが2人以上いて、PSLEと中学修了時試験を見ようとしたらあっという間に3~4年は超えてしまいそうだ。
実際に、子どものPSLE前に仕事を辞めたという人にも話を聞いた。中華系シンガポール人のLilyさん(仮名)は、次女が小学5年生になった今年、それまで20年近く働いていた建設関係の仕事を辞めた。シニアマネジャーで、「大好きな仕事だった」という。
新型コロナウイルスの感染が広がる前、長女が小学生のとき。娘たちは学校が終わった後に学童に行き、学童が終わる17時半ごろにスクールバスで父方の祖母(Lilyさんの義母)の家に直行し、夕飯を食べさせてもらう。
Lilyさんが義母の家に合流し、娘たちを連れて帰ると早くて20時半。子どもとゆっくり時間を過ごす余裕はなかった。週末も、スマホに連絡が入れば対応せざるをえない。家族と過ごすべき時間に「ちょっとこれやっちゃうから、待って」と何度子どもに言ったか。
それでも長女は母親が忙しい中、家庭教師や塾で勉強をした。Lilyさんは忙しい合間を縫って、塾が娘にあっているか、結果が出るか等を確認。夫はより柔軟な働き方ができるので、毎週月曜日を時短勤務にして理科を教えていたという。長女は無事に小学校修了試験(PSLE)を乗り越えた。
「後悔しているのは……いや、後悔はしていないんだけど」と何度もLilyさんは「regret」という単語を口にしては撤回した。「長女は今中学校で楽しく過ごしているから、後悔ではないけど、もう少し私が背中を押してあげれば、もっとできたかもしれない(もっといい学校にいけたかもしれない)という思いはある」。
当時、長女が勉強面で何につまずいているのか、今何を経験しているのか、その瞬間その瞬間で相談に乗ってあげることができなかった。「それについて罪悪感はある」。
新型コロナウイルスでパンデミックになった2020年は、家族全員が家にいることになった。家族の時間を確保できたかと思いきや「建設関係なのでコロナ禍で緊急の対応が必要になって、同僚はみんな狂ったように働いていた。私もオフィスにいるときよりも家族の顔を見なくなって、仕事が終わるのは22時とか23時とか」。
Lilyさんはこのときまでにすでに数年来、仕事を続けるべきか悩んできたという。次女は小学1年のときに発達障害の診断を受けていて、読み書きに人よりも時間がかかった。発達障害用のサポートは受けてはいるが、PSLEで長女と同じようにいくとは思わない。
「成熟している」長女にさえ、もう少し時間をかけてあげられればよかったという思いがあったうえに、コロナ禍での激務。次女のために仕事を辞めたとは言いたくないが、決断をした。少なくとも次女のPSLEが終わるまでは仕事はしないつもりだ。
■「教育が理由」は本当か
シンガポールの母親については、子どもが幼い時に離職し、結果的に塾や習い事に送迎に追われる毎日となり、再就職が考えられないという事例についても、連載のこれまでの回で紹介してきた。子どもの教育のために離職する、再就職がしにくい。これが典型的なシンガポールの、子どもの教育を理由にした離職理由の説明だ。
Lilyさんについても、職場環境や次女の発達面の要因もあるものの、この典型例にあてはまるように見える。
しかし、他方で、専業主婦へのインタビューを重ねていくうちに、私は、そこまで教育に熱を入れているようには見えない専業主婦も半分以上いることに気づいた。というか、むしろ教育費を確保するために働き続けているケースのほうが時に教育熱心に見える。
また、冒頭紹介した「専業主婦になれるものならなりたい」という人たちの中にも、専業主婦になったら何をしたいのかと耳を傾けていると、実は「しっかり寄り添って勉強を見てあげたい」というケースはほとんどいない。彼女たちが口にするのは、むしろ「子どもと時間を過ごしたい」というものだ。
この「子どもと向き合いたい」「子どもとの時間が欲しい」という語りは、ワーキングマザーが増えた社会において珍しいものではない。
アメリカの社会学者アーリー・ラッセル・ホックシールドは、『タイムバインド』で子どもとの時間の「埋め合わせ」をする仕事が生まれていることを指摘する。私も著書『なぜ共働きも専業もしんどいのか』で、子どもが幼稚園に通うくらいの年齢になって苦悩する日本の共働き母の声を紹介してきた。
■親族による育児
しかし、シンガポールで専業主婦に話を聞くうちに、気づくことがあった。「ご自身が育った環境」を聞いたときに、一部の人たちは当時、共働き家庭で育ったことに、よい思い出を持っていないということだ。
「中国などでは、子どもを田舎の祖父母に育ててもらい、若い夫婦は都会に出稼ぎにでるのが普通」。このような話を聞いたことがないだろうか。日本は「母親がすべて自分の手で」やらないといけないという規範が強すぎるという文脈においては、親族ネットワークが育児を支えてくれる環境はむしろ望ましいようにすら語られる。
実際、現在30~40歳台のシンガポール人の子ども時代を振り返ってもらうと、家族総出でホーカー(屋台)をまわすなど忙しい共働きの両親を持ち、「親族ネットワーク」に育てられた家庭は多い。都市国家なので田舎に預けられてということはないが、「祖母の家で従兄弟たちが皆一緒に育てられた」「同じHDB(公共団地)の別の階に祖父母と、叔母の家族がいて行き来をしていた」など。
そして、このような育てられ方をしたシンガポール人の中には、自分の親族を非難する表現にならないように気を遣いながらも、「自分の両親が自分を育てたような方法で子育てをしたいと思うか」という質問には、「Definitely NOT」と語気を強めて否定する人が珍しくないのだ。
たとえばEsterさん(仮名)は子どものころ、両親が遅くまで仕事をしており、学校から帰って毎日、母親の姉妹にあたる叔母の家に預けられていた。
「叔母の家も決して余裕があったわけではなくて、そこに叔母自身の子ども(Esterさんのいとこ)もいるから、自分の子のほうによい食べ物をあげて、私と弟には大した食べ物がまわってこないとか、自分の家ではないことによる居心地の悪さがあった」
もっと極端に、週末にしか親に会えなかったというケースもある。Joannaさん(仮名)は「祖母の家に住んでいて、週末しか親に会えなかった。学校の長期休みは、おばさんの家だったり、きょうだい3人がバラバラの家に預けられることもあって、家が恋しかった」と話す。
Joannaさんは祖母のことは大好きだったが、中学生になって祖母が亡くなった。しかし、ずっと一緒にいた祖母を失ったショックは大きく、急に両親と住むことになったがギクシャクした。「思春期にメンタル面で課題を抱えることになった。親との関係修復にも非常に時間がかかった」とJoannaさんは話す。
シンガポールの言語政策の影響もあり、祖母が話すのは中国語の方言、子どもが学んでいるのは英語とマンダリン……とコミュニケーションがうまくとれないというケースもあった。
ここでコメントを引用した人たちは、大人になって子どもを産んだ後に全員、専業主婦になっている。ほとんどが高学歴で、夫も同じ大学で出会ったなどで高収入であるため経済的に余裕があるという事例が中心だが、中には夫は平均的な収入で4~5人子どもがいるものの、塾や習い事、メイドなどに一切お金をかけずに、家族で暮らす生活が満足だという人もいる。
■共働きの不都合な真実
アジアの子育ては、時に親族ネットワークによって支えられているからと、日本よりも孤立しづらく、葛藤が少ないと言われる。日本のような「親の手で」という規範がなく、祖父母に預け出稼ぎすることもできる、と。しかしそれは、子どもにとっても理想的なものだっただろうか。
もちろん親族ネットワークに支えられた結果、自分も前向きに共働きを選び取っていくというケースにも出会った。しかし、共働きの親に育てられた子どもたちが親になったとき、彼らの親には子育て経験がなかったり、いまだに現役で働いていたりして、子育ての手助けを借りられないこともあり、共働き世代の反動としての、専業主婦世代が出てきている可能性がある。
彼女たちは、親の時代、状況がそうせざるをえなかったことも理解している。親と軋轢があっても今は和解している人が大半で「そうは言っても親はケアしてくれていたけど」「感謝している」と口にする。
しかし、当時の寂しかった思いが、“階層移動”をした彼女たちに「自分の子どもには同じような思いをさせたくない」「自分は母にいてほしかったから、今私は子どもといてあげたい」と思わせたとしても不思議ではない。
両立支援策が整っておらず、祖父母や親族のネットワークが何とか共働きを支えていた時代。その反動で、今の親たちは、できれば子どもの近くにいてあげたいと願う――。
母親が教育熱心になる理由を説明する理論の1つに、親自身が受けられなかった教育を子に受けさせたいと願う「補償仮説」というものがあるが、当事者たちの語りを聞けば、親たちが補償したいのは教育ではなく、むしろ親子の時間ではないだろうか。
親たちがハードモードの共働きであると、反動として子どもたちは専業主婦志向になる可能性がある。このことは「共働きの不都合な真実」だと、私は思う。
育児資源がどれだけ豊富で、「親の手で」規範が薄くても、そこでの子どもの体験が満たされたものでなくては、次の世代の規範を保守化させる可能性がある。そして、なぜ女性ばかりが専業主婦になることを選ぶのか、父親たちは何をしているのか。次回はいよいよ夫婦の分担や男女格差についてレポートする。
東洋経済オンライン
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最終更新:8/10(火) 9:01
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