<まちかどエッセー・津田公子>風のように – 河北新報オンライン

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 つだ・きみこさん 川柳作家。石巻市出身。日本大卒。元中学教諭(主に仙台市、石巻管内)。川柳宮城野社同人、県川柳連盟理事も務める。県芸術祭川柳部門文芸賞(県知事賞)を受賞。河北新報創刊100周年記念河北文学賞川柳部門佳作。句集に「風の中」。東松島市在住。

 コロナ禍の影響を受けないものは、今や皆無と言ってよいが、学校の現場もその一つ。授業も行事も。

 家庭訪問は4月から5月にかけて行われたが、昨今は無くなりつつあるという。

 私が教師の駆け出しだった昭和40年代は、家庭訪問は恒例だった。授業は午前中のみで、1週間で50人前後の生徒の家々を訪れる。

 半島部にあった中学校の生徒の通学手段は、徒歩、バス、鉄道、船と多岐にわたる。町の中心部の学校へ通うのは、町の子、海の子、まれに農家の子とさまざまだった。当時は教師も車を所有する人は少なく、訪問は生徒と同じ交通手段となる。

 訪問先の玄関に入れば、一家総出の賑々(にぎにぎ)しいお宅や、父親が船員で1年のほとんどを不在にしているという家もある。書類からはうかがい知れない家の状況がつぶさに分かった。

 生徒は学校では一様に制服をまとい、海の風、山の風を感じさせないが、訪問後は訛(なまり)にも親近感を覚えた。

 50年代になると車社会。教師もほとんど車を持つようになったから、訪問はスピード化した。分単位のスケジュールをこなし、道中の牧歌的な雰囲気は消える。私も勤務先は都市部に変わっていた。

 中学3年生の担任にとって一番ほっとするのは、卒業式後の数日である。公立高校入試の合格発表が済むと、一人一人の進路が確定する。慌ただしかった一年の、ご褒美のようなひととき、春宵は心地よい。

 「こんばんは」という声があり、出て行くと卒業したばかりのクラスの男子生徒が10人ほど立っていた。私は慌てながらも部屋に通した。ありったけのカップに、紅茶を入れて出した。

 生徒ととりとめのない話が続いた。手持ち無沙汰の子もいる。やがてカップが空になり、「じゃ、失礼します」とまたどやどやと家を出て行った。一陣の風のように。私の風の又三郎たち。

 当時私は生徒と同じ学区内に住んでいた。とはいえ彼らのわが家への訪問の動機は何だったのだろう。級友と集まり、遊んだ後の思いつき。乗り…? でも私にはうれしい訪問だった。

 彼らはもう50歳を超えている。みんなどんな夏の日々を過ごしているだろう。

<あめ色になるまで待とうあの思い>

(川柳作家)

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