大阪市西成区にある中学校。1985年、さながら世の中の矛盾を凝縮したような地域に隣接する学校で、さまざまな事情を抱えた生徒たちが荒んだ学校生活を送っていた。そんな彼らと身体ごとぶつかり合った教師たちの実話に基づく物語が2021年夏、映画として公開される。構想から7年余りの歳月をかけて完成したといい、作品タイトルは「かば」(監督:川本貴弘)。すでにメディア向け試写会が何度も開かれており、前評判は上々だという。
ヒーローみたいな熱血教師は登場しない…みんなふつうの教師
主人公は西成区の中学校に実在した教師・蒲益男(かば・ますお)。2010年5月、58歳でこの世を去った彼の葬儀には、かつての同僚教師や教え子らのほか、世代や職業を超えて約300人が参列したという。
物語は1985年夏のある日、新人教師の加藤愛(折目真穂)が、保健体育の臨時講師として赴任するところから始まる。
数カ月前まで大学生だった加藤を、不良生徒たちは受け入れない。授業を妨害したり、校内を歩いている加藤へ上の階から机を投げ落としたりして拒絶し続ける。
すっかり自信をなくした加藤に、先輩教師の蒲(山中アラタ)は「子どもらは加藤先生を試しとるんや」と諭す。そして加藤がかつてソフトボール部で4番を打っていた経歴を活かして、野球部のコーチをやることを勧める。野球部には不良生徒が多く属していたが、練習は熱心に取り組んでいた。だが案の定、加藤に反発し、勝負に勝てば認めると豪語する。はたして勝負は、すべてホームラン級の長打を放って加藤が勝ち、不良たちはコーチとして受け入れる。
ほかにも「しんどい事情」を抱えた生徒は少なくない。夜はスナックで働く日本人の母親と、仕事もなく酒びたりの毎日を過ごす在日コリアの父親との喧嘩が絶えない家庭で、妹の面倒を見ながら家事をこなす女子生徒。父親が刑務所に服役中で、少しでも家計を助けるために早朝から新聞配達をやっている不良生徒。彼は加藤に勝負を挑んだ野球部のピッチャーでもある。転校してきたが学校に溶け込めず、不登校を続ける在日コリアの男子生徒。恋人に出身地を打ち明けられず苦しむ卒業生。
蒲は加藤にいう。「ふつうのことをふつうにできひん、しんどい家庭の子が多いんや」
そんな生徒たちと関わる先生たちに、プライベートな時間はほとんどない。「おたくの生徒が公園でボヤを出している」と聞けば、すぐ現場へ走っていく。その途中、通報を受けて同じ現場へ向かう警察官と出会ったら、方向違いの場所を教える。老練な警察官は何も訊かず、全ての事情を呑み込んで、騙されたフリをしてくれる。
公園でシンナーを吸っていた生徒を、蒲は殴ってしまう。生徒は涙を流して反省するが、蒲は生徒の母親に電話をかけ「叩いてしまいました。教師が絶対にやったらあかんことです」と謝罪する。今だったらおそらく、体罰教師と呼ばれて糾弾されるだろう。だが、母親は「あの子のことを、そこまで考えてくれるのは先生だけ。おおきに、ほんまにおおきに」と蒲に感謝するのだ。
エピソードは、ほぼ実話
川本監督によると、作品中に描かれるエピソードはほぼ実話だそうだ。登場する中学校は今も西成にあるし、先生や生徒たちのモデルになった人物も実在するが、ひとつだけ創作が入っているという。
「作品をご覧になって、探してみてください」
また創作ではないが、作品の演出上、人物のキャラクターを変更した部分がある。
「新任教師の加藤先生は、作品中では若い女性ですけど、モデルになった先生は男性です。蒲先生の背中を見ながら成長するんですが、男どうしでは画になりませんから女性のキャラに替えました」
ところで、構想から7年余りもかけて完成させた監督の情熱はどこから湧いてきて、蒲先生のどこに魅力を感じたのだろう。
「2014年に前作の上映会をやったとき、蒲先生の大学の同窓生の方が来てくださっていたんです。その人から、西成の中学に昔こんな先生がいたから映画にしませんかという話を聞いたのが最初でした」
だが川本監督は、その話を断った。
「有名人でもない、関連する本が出ているわけでもない中学教師の話を、どうやって撮るんですかということですよ。資金をどうやって集めるかという問題もある。映画を1本撮るには3000万円ほどかかります。一般の人だから、そのへんの事情を知らないのは仕方ないけど」
それでも、たまたま少し暇があったので、取材ぐらいしてみようと考えた。蒲先生の大学時代の友人から「西成の中学で勤務していたから」と、大阪市人権教育研究協議会(市人研)の連絡先を教えてもらった。そこからかつての同僚だった先生と繋がることができたのをきっかけに、約2年半かけて元教え子や同僚などのほか、蒲先生を知る数百人もの人から話を聞いたという。
蒲先生のこととなると、30年前の出来事をまるで昨日のことのように生き生きと話す人たち。取材を進めながら、蒲先生を含む先生方の群像劇としてつくってみようという構想ができあがっていった。
「観てもらったら分かりますけど、蒲先生が主人公じゃないなぁという感想を漏らす人が多いです。敢えて、そういうふうにつくったんですけどね」
この作品には、学園ドラマにありがちな、ヒーロー然とした熱血教師は登場しない。
「昔の先生は『当たり前のことをやっていただけ』というんですよね」
資金集めは楽ではなかった。企業にお願いしたり、クラウドファンディングもやったりした。個人で寄付をくれる人もたくさんいた。総勢2万人を超える人たちの応援を得て完成した作品だ。
「応援してくれた人たちに感謝し記録する意味を込めて、エンドロールに名前を載せました」
撮影は2019年の秋、大正区、西成区、東住吉区で約1カ月かけて行われた。当初の予定では2020年に公開することになっていたが、新型コロナウィルスの影響で中断。今年7月24日から、ようやく公開される運びとなった。
人と人との関係が希薄になりがちで、ともすれば「なるべく他人と関わりたくない」という風潮さえ見えてくる今、多くの人に観てほしい作品だ。
(まいどなニュース特約・平藤 清刀)
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