【特集】生徒一人一人の輝きを引き出す少人数教育…白梅清修 – 読売新聞

基本問題

 白梅学園清修中高一貫部(東京都小平市)は、ヒューマニズム教育を建学の精神とし、生徒一人一人の才能や特徴を発見して伸ばす教育を行っている。1学年30人程度の少人数教育がその基盤となっており、すべての生徒に教師の目が行き届くため、勉強や進学指導、学校行事を始め、生徒が取り組むさまざまな活動も細かくサポートすることができるという。その教育の実際について2人の卒業生に話を聞いた。

「やりたい」に「NO」と言わない

「生徒それぞれの輝きを最大限に引き出すことが目標」と話す中澤教諭

 「生徒それぞれの輝きを最大限に引き出すのが教員の目標です。そのためには、生徒が安心感を持って過ごせる環境づくりが必要です。教員は、『同じ教室にいても皆それぞれ違った個性がある。それでいい』という雰囲気をつくる。生徒の関心事や意欲に対して絶対に『NO』と言わず、生徒自身が主体的に実現できるようサポートすることを、教員一人一人が心がけています」。広報部長の中澤亜紀教諭は、同校の教育方針をこう説明する。

 中澤教諭が語る同校の教育方針は、生徒たちにはどう受け止められているのか。中澤教諭のかつての教え子で現在、大学、大学院に通う卒業生にそれぞれ話を聞いた。

 2020年度に同校を卒業した高尾文子さんは、国際基督教大学(ICU)教養学部に進んだ。国際関係や環境問題に関心を持ち、将来は国際NGOや国連職員になることを夢見て勉学に励んでいる。

 
――白梅清修に入学したのはどのような動機からですか。

国際関係や環境問題に関心があるという卒業生の高尾さん

 子供の頃からアメリカのコメディードラマが好きで、「英語が分かるようになりたい」と思っていたので、英語に強い学校の中で自宅に近い白梅清修を受験しました。

 中1からネイティブの先生によるオールイングリッシュの英会話授業があり、最初はついていけませんでしたが、授業自体はアクティビティーやゲームを取り入れた楽しいものなので、いつの間にかつらいと感じなくなりました。それに、授業中に発言を求められる機会がとても多く、学年が上がるとクラスメートと英語でディスカッションもするので、自然に英語が口から出てくるようになりました。

先生との対話で知らない自分に気付く

 
――全体的に、どういう学校だと感じていましたか。

生徒の毎日の変化を見守る、先生と生徒の連絡ノート

 生徒のやりたいことを否定せず、背中を押してくれる学校です。中学校で「スチューデントブック」、高校で「スコラ」と呼ぶ、先生と生徒の連絡ノートがあり、交換日記のようにさまざまなやりとりをします。「こんなことがしたい」と書くと、先生は必ず「いいね」「やってみたら」と前向きな言葉をくれて、資料やWEBサイト、学校内外のプログラムなど、実現の方法探しを手伝ってくれました。

 それで思ったことを臆さず実行するようになり、校外のワークショップや短期留学プログラムにも積極的に参加しました。文化祭では、生徒会長として各クラスの出し物を紹介するオープニングセレモニーを企画したり、小児がん支援のチャリティーバザーとしてレモネード販売を行ったりしました。

 高2の時には、校内で「ANSS(Awareness of Natural Spirit at SEISHU)」という環境を考える団体を立ち上げました。数人の仲間と職員室でプレゼンして活動にOKをもらい、各クラスを回って呼びかけ、十数人の仲間でスタートしました。こうした行動ができたのも、「自分の活動を先生方は必ず応援してくれる」と思える環境があったからです。

 先生との何げない対話が気付きになることもありました。夏休みに行った旅行のことをスコラに書いたら、「世界をどんどん広げていますね」と。自分はそこまで考えたことはなく、行動に意味をもらったように感じました。ICUに進学先を決めた時も「高尾さんに似合ってると思う」という先生の言葉に勇気付けられたし、推薦入試の自己推薦文作成では「私がどんな人間か」について先生と長時間話し合ったりしました。

 
――学校生活の中で自分が変わったということはありますか。

 私はもともと内気な性格でしたが、この学校に来たおかげで積極的になりました。また、少人数だから逆にお互いを認め合う気持ちが生まれ、いろんな友人が作れたと思います。もちろん、英語をしっかり身に付けたい人にもおすすめです。

先生全員と生徒全員が互いを知っている

 原島由佳さんは2016年度の卒業生で、日本赤十字看護大学に進み、さらに同大大学院の1年生として学んでいる。将来は助産師を目指しているという。

 
――入学の動機や経緯を聞かせてください。

「やりたいことは全力でサポートしてくれる」と話す卒業生の原島さん

 初めは「母が勧めるから」程度の意識で受験を決めました。ただ、白梅清修を訪問したとき、キャンパスや建物の開放感に安心感を覚えたのと、職員室の戸が全開になっていて、生徒が気軽に話しに来るのがアットホームでいいなあと感じたこともきっかけです。

 実はその説明会の申し込みは間に合わなかったのですが、学校に連絡すると個別対応してくれて、応対された副校長先生に「まっすぐ目を見て話すのがいい」と褒められ、うれしかったことを覚えています。

 入学試験は2度不合格でしたが、諦めかけた時に副校長先生から電話で「あと少しだよ、頑張って」と励まされて奮起し、過去問に一生懸命取り組んでなんとか入学できました。

 
――入学後はどうでしたか。

 少人数なので、先生全員と生徒全員が知り合いです。廊下で会えば「この間の旅行はどうだった」などと声をかけてくれたりして、いろんなことを話します。自分の考えや悩みなどを話すと、「なるほど、こう考えているんだね」という形で返してくれるのも、自分の気持ちが整理できてありがたかったですね。

 そして、やりたいことは全力でサポートしてくれます。保健委員長のとき、文化祭の企画について担当の先生に「せっけんデコパージュをやりたい」と話したら、「いいじゃない」と言われ、一緒に、せっけんの仕入れ先を探すなど実現の道を探りました。頑張ったかいあって、その年の企画では人気投票1位になりました。

 
――現在の進路を決めた経緯を聞かせてください。

 最初はキャビンアテンダント(CA)志望でしたが、英語が苦手で困っていました。そんなとき、高2の保健体育で「命の誕生」の授業があり、誕生の奇跡が今の自分の全てにつながっていることにすごく感動したんです。そこから、助産師など出産に関わる仕事を意識するようになりました。

 それから、以前にキャリア教育で取り組んだ自己分析のことを思い出しました。得意科目は生物で、毎年保健委員を務めるなど、もともと医療や看護への関心があったんだと気付きました。CAへの思いもあってしばらくは悩みましたが、先生の勧めで病院での看護体験に参加して「これだ」と確信し、そこから看護関連の大学の見学を始めました。

 
――やや遅めの進路決定だったんですね。

 志望校を日赤に決めたのは高3の秋で、大変でしたがさまざまな先生にサポートをいただきました。志望書は10回近く添削を受けましたし、「友達とグループディスカッションの練習をしたら」とも勧められ、早速取り組みました。面接もいろんな先生にお願いして練習し、苦手な英語は英語の先生と1対1で中2レベルから復習しました。

 特に頑張ったのは過去問対策です。日赤の過去問集には模範解答が付いていないので、先生と一緒に議論しながら答えを模索し、入試前日までファクスでやり取りしました。最後のファクスにはイラストを添えて「頑張って!!」とあり、力をもらえました。

 
――将来についてどんなビジョンを持っていますか。

 高2の授業で感じた「助産師になりたい」という気持ちは変わりません。出産時だけでなく、前後の健康管理や心のケアなど多岐にわたる技術をしっかり身に付けたい。思春期の子に向けた性教育も手がけたいと思っています。今の私があるのは、やりたい気持ちを否定せず、実現の道があると示してくれた学校のおかげです。

 2人の話のあと、中澤教諭はこう話した。「本校を卒業した後は、ここで見つけた自分らしさや学んだことを生かし、一人の女性として輝く人生を送ってほしい。本校はまだ創立16年目で、卒業生が社会の中心で活躍するのはこれからです。輝いて生きる女性が『清修出身です』と誇らしげに口にする姿を見るのが夢です」

 (文・写真:上田大朗 一部写真提供:白梅学園清修中高一貫部)

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