出発点は「自分とは別の障害について知りたい」…電動車椅子の監督が障害者らを取材した作品はなぜ生まれたのか – auone.jp

基本問題

 こんなダンス映画があるのかと驚いた。もちろん普通の意味でのダンス映画ではない。昨年のPFFアワードでグランプリを受賞した『へんしんっ!』は、様々な形で表現活動を行う障害者たちの姿を追ったドキュメンタリー映画。だが、手話の身ぶり、白杖の動き、電動車椅子の疾走、すべての動作がダンスのようで、わくわくした。

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 立教大学で映画制作を学んだ石田智哉監督。その卒業制作として作られた本作は、「しょうがい者の表現活動の可能性」をテーマに、三人の人物に取材をしていく。ろう者でパフォーマーとして活動する佐沢静枝(さざわ・しずえ)。全盲の俳優で映画の音声ガイドのナレーション制作も手がける美月(みづき)めぐみ。振付家でダンサーの砂連尾理(じゃれお・おさむ)。電動車椅子を使って生活する石田監督自身も登場人物の人だ。

 取材をする石田監督はどこか控えめだ。けれど次第に監督自身の姿が私たちの前に現れ始め、映画の様相も大きく変わっていく。言葉による対話から身体表現が生まれ、人々の関係も、顔つきも、動きも徐々に変化する。まさに「変身」の映画だ。この稀有な映画はいったいどのように生まれたのか。石田監督に話をうかがった。

石田智哉監督

「対話」を打ち出した作品に

――この映画は元々立教大学映像身体学科の卒業制作として作られたのですよね。

石田 在学中、第2回立教大学映像身体学科スカラシップ助成作品に採択され、『しょうがいに向かって』という作品をまず作ったんです。それをもとに構成を変え『へんしんっ!』が出来あがりました。

――2作品は具体的にはどのように変わっていったんでしょうか。

石田 『しょうがいに向かって』は、どちらかというと佐沢(静枝)さん、美月(めぐみ)さん、砂連尾(理)さんのお話をそれぞれ聞いていく、という作り方で、自分が登場する場面はほとんどない編集の仕方をしていました。砂連尾さんの舞台に僕が出演するというのもまだない状態で。その構成自体を一から見直し、追加撮影をしたり編集を変えたりして、結果的に全然違うものに作り変えていった感じですね。特にインタビュー部分では、僕が語っている部分を追加し、対話であることがよりわかりやすくなった気がします。

編集を変えていった背景

――編集を変えていったのは、大学の指導教官である篠崎誠さんからのアドバイスも大きかったんでしょうか。

石田 そうですね。これが初めての長編作品ということもあって、最初に編集したバージョンは、自分が使いたい言葉を短く並べた形になっていました。篠崎さんには、インタビューを短く並べるのでなく、ある程度のまとまりにして見せていくことなど、さまざまなアドバイスをもらいました。それと、篠崎さんはいくつかの撮影現場に立ち会ってもらい、カメラを回してくれました。大学の保健室後に自分の本音をぶつけるシーン。あそこで、僕は制作スタッフの二人に「『がんばってるね』って人に言われることが、あんまり嬉しくない」と話すのですが、篠崎さんは、その姿を正面から撮っていました。撮影―編集と、あらゆる部分で、影響を受けたと思います。

――インタビューをした方々はどういうふうに選ばれていったんですか。

石田 佐沢さんは、大学の日本手話の講師で、あるとき、しょうがい学生支援室のイベントで講師としていらしていて出会いました。その後、佐沢さんが出演されていた映画『LISTEN リッスン』(16)を観たりして、ろう者の考えをどうパフォーマンスにするのか、ぜひ話を聞いてみたいと思い、インタビューをしました。美月さんと鈴木橙輔(だいすけ)さんとは、僕が所属していた、ボランティアサークル「バリアフリー映画上映会」で知り合いました。お二人はサークルで、音声ガイドの台本制作や当日に会場で、生音読されるナレーションの指導をしていました。話を聞いていると、劇団を立ち上げていて、演劇や朗読会を主催されていることを知り、関心を持ちました。

 砂連尾さんは、僕がちょうど『しょうがいに向かって』を撮ろうとしていた年に、映像身体学科に着任されたんです。この映画にも一部映っていますが、砂連尾さんが演出した、車椅子ユーザーの方がパフォーマンスをしている映像を最初に見させてもらい、おもしろいことをされているなと思いました。その後、授業も見学させてもらったんですが、これがまた、とてもおもしろくて。今まで経験した、体育の授業での身体の使い方とは別物でした。それで、ますます興味を持って、インタビューを依頼しました。

出発点は「自分とは別の障害について知りたい」

――最初に映画の概要を聞いたときは、石田監督と同じ車椅子ユーザーの方も登場されるのかなと思ったのですが、そういう構成にはあえてしていませんね。

石田 出発点は、自分とは別の障害について知りたいという思いでした。なかには、なぜ取材対象が障害当事者だけじゃないのか、一人の対象に絞った方がいいと思う人もいるかもしれません。自分の立場に近い車椅子ユーザーの表現者に対象を絞って取材する形もありえたし、そうしたらより個人的な映画になったとは思います。だけど僕は、自分とは異なる人たちに話を聞いてそれぞれの障害がつながる部分を見つけたかった。あるいは、表現を追い求めるとは、どういうことなのか、表現活動をしているとき、何を感じているのかに興味があったんです。

――それはやはり、石田監督自身が映像でどう表現をしていくか模索していたからこそでしょうか。

石田 そうだと思います。最初は、表現とは何かをいろんな人に教えてもらいたいと考えていました。だけどその過程には、どうインタビューをしたらいいか、どうその様子を撮影したらいいのか、どうすれば、撮影したものが作品になっていくか、いろんな問いが生まれました。今思えば、そうやって自分で映画の作り方を模索していたこと自体が、表現とは何かを考えることだったんだなと思います。

制作スタッフとの「微妙な距離感」

――タイトル通り、映画の方向性や様相は時間とともにどんどん変化/変身していきます。最初は石田監督がみなさんにインタビューをしていく形だったのが、ある時を境に監督自身が主要な登場人物になり、他のスタッフも画面に映り込んできます。その転換点といえるのが、先ほどもお話しされた大学の保健室をみんなで訪ねるシーンですね。あのシーンはどんなふうに決まったんですか。

石田 インタビューをしている際に、砂連尾さんが、制作スタッフの二人と僕との間に微妙な距離感があるのを感じ取ったんですね。それで「普段、石田くんの介助をしている保健室の古賀みきさんに話を聞きにいきませんか?」と提案してくれました。それによって僕らの関係にも何か変化があるんじゃないかって。そこで急きょ、みんなで保健室に行ったんです。

――撮影をされた本田恵さんと、プロデューサーであり録音も担当された藤原里歩さんとの間のコミュニケーションの問題というのは、監督自身も覚えはあったんでしょうか。

石田 自覚はしていました。僕がインタビューをしているときに、どういう位置にカメラを置くのか、どういう背景で撮ってほしいのかを二人に伝えなきゃと思いながらも、うまく言葉にできずにいて。インタビュアーとして、取材者への質問を考えること、言葉に応答することに精一杯の自分もいました。質問は、自分で考えて投げかけるから事前に用意できるけど、それに対して相手がどう答えるのかまで、想定しきれない。だから事前に「こう撮ってください」との指示もできずにいました。自分が被写体でもあるから、その場で伝えるのがより難しい。保健室での対話では、そうしたお互いの葛藤をぶつけ合うことになりました。その後は、「こういうことができたらいいな」と撮影前に言えるようになったり、逆に何も言わなくてもなんとなく伝わるようになったり、徐々にコミュニケーションのあり方が変わってきましたね。

 砂連尾さんには、僕と撮影対象である美月さんや佐沢さんとの関係性と同じように、藤原さんや本田さんと僕との関係性もあるよね、と言われました。本来は、カメラの外である作り手側同士の関係性を撮ることも、表現を考えるうえで大事なんじゃないか。その指摘が、お互いの葛藤をぶつけ合うところに反映していったんだと思います。

映画の制作を通して自分自身が変わりたいという思いがあった

――それまでは、監督は自分のことを積極的に話したり、自分を映すということは考えていらっしゃらなかったわけですよね。保健室で自分の思いを吐露しあうことに、戸惑いはありませんでしたか。

石田 実は撮影の一番はじめに、顔合わせもかねてカメラの前で自分のことを語ってはいたんです。美月さんとの対話のなかでも、自分が小学校、中学校のときに感じていた、普通学校から特別支援学校に移ったときの不安やもやもやした思いについて話していた。ただ『しょうがいに向かって』では、こういう個人的な部分はいらないなと思って、その箇所は削っていました。

 あの場以降、スタッフとの関係性が変わりました。当初から映画の制作を通して自分自身が変わりたいという思いがあったものの、作品に登場することは、どこか躊躇いがありました。二人の思いや葛藤をあの場で聞き、自分も言っていいのだと気づくと同時に“変わる”にはカメラの前で語ることが必要で、話し合って作る行為そのものが、自分が考えたい、表現について追い求めることなのだと気づく転換点でした。

介助を受けているときの感覚はどこかダンスに似ている

――映画のなかで、たとえば電動車椅子にカメラを固定したり、同じ高さに設置したり、ということはほぼなかったですよね。それが少し意外に感じたのですが。

石田 やっぱりこの作品が、僕が見た世界というより、僕と、スタッフである本田さん、藤原さんとの3人で見えた世界ってことなんだと思います。2人が僕の思いや考えをどう受け取って映像にし、それを僕がどう編集して、作ったのか。映画作りを通して全員がどう変わっていったのか。それを映すためには、僕の主観としての世界で捉えないほうがいいんだろうなと。それは編集をしながら分かっていったことです。実際、僕の主観ショットも撮ってはいたんですけど、結果的にほぼ使いませんでした。唯一使っているのは電動車椅子の操縦レバーを押すところ、あれだけは車椅子に固定して撮影しました。

――石田監督が、砂連尾さんの演出するカフカの『変身』をモチーフにした舞台に出演することで、映画の方向性がまた大きく変わるわけですが、監督自身にとってもあの舞台は大きな出来事でしたか。

石田 そうですね。床に降りて身体を動かす姿を見てもらう。あの経験はすごく大きかったです。自分の身体が温まり、可動域が段々と広がっていく。それは普段、行っている理学療法での動きとは全く別のもの。これがパフォーマンスの力による変化なのかと驚きました。映画のラストではまた別のダンスをみんなで踊るんですが、舞台での経験がなければこのシーンは生まれなかったはずです。

――あのダンスがあったからこそ、見ている側も、他の方々の身体の動きにも目がいくようになり、結果的に『へんしんっ!』が身体の映画になっていくきっかけにもなったと思います。

石田 以前から、介助を受けるときの感覚はどこかダンスに似ているなと感じていたんです。自分の身体の可動域も、あるいは介助者の力の掛け方も、日によって全然違うので。砂連尾さんが、自分の介助の仕方をまとめた冊子を見て、「ダンスのデュオみたいだね」と言ってくれたのが嬉しかった。今回、砂連尾さんに被写体として参加してもらったのは本当にありがたかったですね。

――ラストシーンのダンスは、その場でつくっていったものなんですか。

石田 はい、みんな砂連尾さんに誘われながら(笑)。最初、僕は監督としてちゃんと外から見ていた方がいいのかなと思ってもいたんですけど、段々と輪のなかに入っていくことになりました。完全に即興だったし、自分の迷う姿も含めて、もう撮ることができないラストシーンになったなと思います。

「バリアフリー上映」という形ではなく…

――この映画は、一般公開の段階から音声ガイドと字幕の両方をつけるという画期的な上映方法ですね。これはもとから考えていた形式なのでしょうか。

石田 最終的に両方入った状態にしたい、ということは考えていました。目の見えない人に、この映画を見てもらいたかったので。ただ「バリアフリー上映」という形ではなく、「オープン上映」として通常の上映から音声ガイドを付ける、というのは、PFFや東京国際映画祭での上映を経験して考えていったことです。映画のなかで、美月さんや佐沢さんが、聴覚障害者や視覚障害者の方たちと映画や舞台との関係についていろいろ語ってくれましたけど、それを踏まえて、僕自身がどう考えるかについては、あの場で語りきれなかったなという思いがあって。自分なりの応答として、音声ガイドと字幕がある形を最終的な作品の形とするべきなんじゃないかと思い、この形で上映したいと配給の方たちや映画館にもお願いしました。

――オープン上映で見て最初は情報量の多さに戸惑ったんですが、一方で、こんなふうに映画を「見る」形もあるんだとハッとさせられました。普通は、健常者が見る形が「通常上映」としてあって、音声ガイドや字幕が付いた「バリアフリー上映」が付加としてあるわけですが、それが完全な上映形態なんだろうか。そんな疑問を投げかけられた気がしました。監督としては、この上映形式を採用することで問題提起をするような気持ちもあったんでしょうか。

石田 問題提起というと、ちょっと言葉が大きすぎる気もするんですけど……障害によるバリアみたいなものを一度取り払ってみたかったんです。でも、それ以上にオープン上映にすることで、聴覚・視覚障害の人たちがどう映画を見るかを一場面でも想像を促して、いろいろな発見が得られる映画体験の場が生まれたらなと思います。僕自身も、今回、音声ガイドを一緒につくってみて、いろんな発見がありました。この場面を説明するにはこのくらいの言葉があれば、イメージできるんだ、とか、こうやって表現するのか、とか。あまり構えることなく、「あ、そうか、言葉だとこうなるんだ」と感じてもらえたらいいですね。

いしだ・ともや 1997年、東京生まれ。2016年に立教大学に入学し、篠崎誠監督らのもとで映画制作を学ぶ。現在は同大学院修士課程在学中。初監督作品となる本作はPFFアワード2020グランプリを受賞した。

(月永 理絵/週刊文春)

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