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1939年、台北市の旭小学校6年生になった川平朝清(かびら・ちょうせい)さん(93)は、台湾一の難関と言われた台北高等学校尋常科への進学を志した。中高一貫7年制(尋常科4年、高等科3年)の男子校で、旧制中学に相当する尋常科は定員わずか40人の狭き門だった。
日本統治時代の台湾で日本人は小学校、台湾人は公学校に通った。朝清さんは、公学校教諭(当時は訓導)の次兄・朝甫(ちょうほ)さんに「尋常科に入れば台北帝国大に限らず、どこの帝大でも狙えるぞ」とはっぱをかけられた。
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