将来は、実家の喫茶店のどれかを継ぐんだろうな、と思っていました。どれか、というのは、親が喫茶店を3店舗経営してたため(←商売好き)、大人になったら私と弟でお店を分担する、と親の顔になんとなくそう書いてあったのです。
高校を卒業した私は、都内にある短大の家政科へ進みました。調理の基礎を学べば、もっとお店のメニューを増やせそうだし、万が一お店がつぶれた時のためにと、中学校の家庭科の教員免許も取りました。そのため、母校の中学校で二週間の教育実習をさせてもらいました。うろ覚えですが、学校給食の主食がパンからごはんに変わるという時代だったらしく、お味噌汁と鯖の塩焼き、白いごはん、そして牛乳、といったような、逆に昔にもどるかのような組み合わせ。ごはんと牛乳ってすごいタッグです。和洋での、弱い者同士のケンカ。できるだけ口の中でごはんと牛乳が直に出会わないよう、食べる順番を工夫したりして。
さて、自分が担当する家庭科の授業では、ちょっと考えてきたギャグや流行語をはさみこんでみたり、昼休みに音楽室でピアノを弾いたりしてると、生徒たちから笑いが起こったり、喜ばれたりしました。結局、そういうことがもともと好きなんですね。生徒たちと一緒にいる時間はとても楽しかったのですが、職員室で先生方と一緒にいるのは、どことなくシンドイものでした。もしかして、根っこもピン芸人なんでしょうか。組織に属していると、どうも自分らしさが出にくい感じで居心地が悪く、閉塞感が立ってしまう。教育実習という期間は、免許取得のための制度ですが、こうして体験することによって、おのずと(お呼びでない)(向いてない)のを肌で感じた人にとっては、教職は遠慮すべき、と自らをふるいにかけるような期間なのかもしれません。
ところで教師といえば、それこそ私が中学生のころ、今もなお仲よくしてもらってる公(きみ)ちゃんという女の子と、先生の「教科別イメージ」を一方的に言葉で決めてたことがあります。数学教師はだいたいやせ型、国語教師は人格者、社会教師は常に社会に怒りがち、英語教師は上から目線、体育教師は熱血短気、美術教師は職員室が大嫌い、音楽教師は一流主義、家庭科教師は意地悪、理科教師は変わり者。って最後のオチもひどい話ですが、あの白衣がいつも(またまた、おおげさな。変わってるな~)と内心思ってました(←おまえらの方が変わってんだよ!)。
免許をもらっといて言うのもナンですが、家庭科は意地悪なとこ、少しあると思います。だって、普通の勉強のような教養っぽさとも違うし、かといって音楽や美術のように芸術っぽいんでもない。体育のように身体的な能力は競わないので個性も出しにくく、教科の中で一人浮いてしまってるんですよね。ここが本人たちとしては面白くない。「私、浮いてませんよ?」という顔をしてますが、気づけばふと浮いている。だいたい、火を使う教科なんてほかにありますか? と、誰かが言いました。すると理科がかばいます。「火ならボクも使いますよ」。家庭科は、なぜかかばわれたことにもまた腹が立ち、「おたく、アルコールランプでしょ?」と言いながら、中華の強火で全員をあぶり出すのでした。何を書いてるんだ私は。
空気を入れ替えて当時の話にもどしましょう。19歳くらいの女性といえば、誰もがオシャレや恋愛にうつつをぬかすお年頃。それなのに私は、深夜ラジオや「ビックリハウス」(というネタの投稿雑誌)などに夢中で、放送を聴くのはもちろん、読まれたり掲載されることに全集中の構え。世の中は、景気と熱気の80年代に入ろうとしている頃で、ワンレン・ボディコンみたいなイケイケな人種が、まわりにだんだん増えてきました。ヤな感じでもありましたが、4畳半で暮らすラジオファン、という自分は、どう見積もっても明らかに負け組。同時にまた、(自分はなんで4畳半に住んでることをあんまり恥ずかしく思えないのだろう。変わっているんじゃないだろうか)、という小さな不安もうっすら感じてました。
原宿のタケノコ族を見た時も、恥ずかしくてぞっとしたのは自分だけだったのです。驚きのダサさだろ! としか思えず、見てるだけでも顔が赤くなりそうなのに、まわりにはうっとりしてる人もいる。それどころかどんどんブームが広がっていったのだから、見る目がないのは自分のほうなのかもしれない。友人の中には、靴もバッグもブランドで揃え、高級車に乗り、ラーメン食べたいから~、という理由だけでフラリと北海道に行くような人もいました。学生なのにですよ。今から思えば、人をちょっと狂わせるようなバブル前兆の時期でもあったんですね。
数年前も、バブルになった中国のニュース映像に、「クラブで紙幣を燃やして遊ぶ若者」という姿がありました。バブルが過ぎたいつか、彼らもわかるのでしょう。お金で人は簡単に狂っちゃうんだってことが。そもそも考えてみれば、お金って、この世で最も異質で変な存在ですよね。たかだか紙という材質の分際で、人の人生にやたらに関与してきて、ないと心配させられ、ありすぎると踊らされるという。まさにその当時の人々は、原宿の路上で、ディスコで、お立ち台では羽根を広げながら、事実踊らされてました。日本の歴史上で、一番恥ずかしかった時代は、間違いなく80年代なのではないでしょうか。そんなわけで、時代に明るく照らされるたびに、自分の不器用さや暗さが浮き彫りになった気がしたものでした。
【シミチコNEWS】チューブをとことん絞る器具をもらいました。ハマるー。5月9日(日)16:15~17:25、森山良子さん、阿川佐和子さんとの特番「サンキュー! おしゃべり~マッチ」(テレビ朝日)が放送されます。ぜひご覧ください!
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