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「地上に戻ると、まず歩くことが難しく感じた」――。そう話すのは宇宙飛行士の山崎直子氏。サステナブル・ブランド国際会議2021横浜で行われたセッション「動く喜び、動ける幸せ。 運動器の健康が人生100年時代の持続可能な社会をつくる!」では、国際宇宙ステーション(ISS)に15日間滞在した経験を持つ山崎氏をパネリストに迎え、宇宙飛行士の体力評価や選抜の基準、宇宙での生活など、多彩な話題を通して健康と幸福について討論が行われた。超高齢社会を迎える日本。誰もが幸福を感じられる社会を実現するために必要なものとは何だろうか。(サステナブル・ブランド ジャパン編集局)
パネリスト:
山崎 直子氏 宇宙飛行士
三上 容司氏 独立行政法人労働者健康安全機構 横浜労災病院 副院長
ファシリテーター:
松下 隆氏 福島県立医科大学 教授
公益財団法人運動器の健康・日本協会 専務理事
山崎氏は「健康法のひとつとして歩く、と言われるが、それは『重力を感じながら歩く』ことだと思う」と話す。実は宇宙から地上に戻った宇宙飛行士は重力のため歩行が困難になり、回復にはリハビリを要するのだという。「立つ、座るという動作は重力を意識的に使う動作で、リハビリの中でも難しかった」と振り返る。
骨や筋肉、関節、神経などを含めた身体運動に関わる器官の総称は「運動器」と呼ばれる。骨折などの怪我だけでなく、関節症や腰痛、肩こりなど、運動器の機能不全は生活する機能と直結していると言える。WHO (世界保健機構)は2000年から2010年の10年間を「運動器の10年」と定め、世界運動を行った。その後期間を限定せず継続されるようになったこのキャンペーンに呼応し、国内の医療界、薬学界、スポーツ団体などが集い活動するのが公益財団法人運動器の健康・日本協会だ。
ファシリテーターを務めた松下氏は同協会の専務理事を務めている。松下氏は「コロナ禍で外に出る機会が減り、集まってスポーツをすることも難しくなっている。一時は学校も休学になり、そういった面でも子どもの健康が損なわれているのかもしれない」と警鐘を鳴らした。
整形外科医でもある三上氏は「自宅にいる時間が長くなると必然的に運動をする機会が減り、身体機能の低下や、学校が再開したときにけがをしやすくなっていることも心配している」と話す。実際、日本中学校体育連盟の報告によるとステイホーム継続に伴う運動不足、体重増加、運動能力の低下などの影響が見られ、運動器の健康・日本協会は2020年7月、運動器検診などの社会提言を行った。
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セッションでは山崎氏の興味深い経験や実感、宇宙に関連する動向が語られた。例えば、「無重力なので、宇宙では足が不自由なことがハンデにならないなど、地上の常識と違う価値観。血液が重力の影響を受けないため、心臓への負荷も優しい」と視点を提示し、「無重力下では背骨の関節が開き、身長が伸びる」と体験談を話した。自身も天文少年だったという三上氏は「整形外科医として目から鱗だ。治療に有益なことがあるかもしれない」と目を輝かせた。
地上で寝たきりになると骨や筋肉が萎縮するのと同じで、無重力状態の宇宙にいると骨や筋肉が萎縮する。地球上では通常、ある人が一定の年齢になると年に1%程度骨が脆くなり、骨粗しょう症などの症状が見られるようになるが、三上氏は「宇宙ではその10倍のスピードで進行するというデータもある」と話し、「逆に言えば、宇宙空間が骨粗しょう症や筋肉が委縮した状態を再現している。そこで効率的に骨や筋肉を強くする方法が研究できれば、地球で応用できる」と宇宙空間での医療の進歩の可能性を示唆した。
松下氏は「宇宙飛行士に求められる身体的・能力的条件」に話を向けた。JAXA(宇宙航空研究開発機構)は2021年秋、13年ぶりに宇宙飛行士の募集を開始することを発表している。山崎氏によれば、従来だと理系大学の卒業者に限定していた募集条件を、文系や他分野にも広げることが検討されているという。また勤務形態もJAXAの正職員ではなく、兼業などの柔軟な対応が検討されている。
そして近年、欧州では身体に障がいがある人も宇宙飛行士の募集対象になっているという。インクルーシブに活躍の場を広げることが潮流となっている。もちろん、実際に宇宙に行くためには厳しい訓練をクリアしなければならない。体力測定の仕方は各国で違うが、NASAであれば1分間にどれだけ腕立て伏せができるか、などのいくつかの項目が設定されている。ロシアの場合はたった1項目、懸垂(14回が訓練に耐えられる体力の目安)によって総合的な体力を判断するというが、障がいのある人に門戸を広げる場合は別枠で、訓練や基準を組み立てなおす必要もあるだろう。
また、世界的に宇宙飛行士の女性比率は10%強。しかし、訓練や宇宙での仕事に「男女差はなく、個性や適性で作業をわけている」と山崎氏は断言する。ではなぜ男女の比率に偏りが出るのか。「従来は理系のみの採用が多く、募集段階から男女の比率に差が出ている」と山崎氏は話す。近年では応募条件の変化に伴い、徐々に改善しているという。
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さらに話題は人生100年時代の価値観、幸福観へと広がった。「宇宙に行くと人生観が変わるか」との問いに山崎氏は次のように答えた。
「宇宙に行く前は、宇宙は憧れの場所、特別な場所だった。実際に行ってみると真っ暗で、とにかく広い空間に地球が青く輝いている。それを見ると、地球が特別で、憧れの場所だと思えた。地球に戻った後に、毎日見る日常の景色がすごく有難いものだと気づかせてもらえた」
松下氏はセッションの最後に「動く喜び、動ける幸せという協会の標語だが、動けなければ幸せではないのか、ということもある。動けなくても幸せがある」と葛藤を語り、幸せの本質とは何かと投げかけた。これに対し三上氏は「個人的な考え」とした上で「人から必要とされ、人の役に立ち、褒められ、愛されるとこれは幸せなのではないか」と話した。山崎氏は「宇宙では宇宙服や宇宙船に守ってもらわないと生きていけない」という体験を踏まえ次のように語った。
「(宇宙では)自分ひとりでは生きていけない。技術を使い、仲間と助け合いながら生活をする。一人でできることは限られているが、そういうものなんだな、と思う。地球上でも、助けを借りるということは弱いということではない。むしろそれをうまく活用することで、動ける人も動けない人も自分らしく生活できるような社会になれれば」
松下氏は「健康寿命とは幸せな気持ちでいられる寿命かなとも思う。アリストテレスは『Life is motion(生きていることは、動いていることだ)』という言葉を残した。体が動けば心が動く。例え身体の一部や僅かであっても、動くということは素晴らしい」とセッションを締めくくった。
(セッション後の山崎直子氏のコメント)
動く幸せ、動けなくても幸せということが大切だと思っている。誰一人取り残さないことが大前提。その大前提を達成できれば。欧州で障がい者の方も宇宙で活躍できる道をつくっていくという方向性を示したことは、希望があることだと嬉しく思った。色々なハンデがある状態の方も社会参画をすることが大切だ。自分ができる範囲で、社会と接点を持って、社会に繋がる、役立てるというところをつくれればいいなと思っている。
- 沖本 啓一(おきもと・けいいち)
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Sustainable Brands Japan 編集局。フリーランスで活動後、持続可能性というテーマに出会い地に足を着ける。好きな食べ物は鯖の味噌煮。
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