奈良朱雀高校ラグビー部監督の山本清悟(しんご)さん(60)がこの春、定年退職を迎える。「不良少年」だった高校時代は、ラグビー部を舞台にしたテレビドラマ「スクール☆ウオーズ」(1984年)でも描かれた。ラグビーを通じて立ち直り、教師になってその指導に20年以上を捧げた。
2月、奈良市の奈良朱雀高のグラウンドを訪ねると山本さんはベンチに座り、泥まみれになって練習をする部員を見つめていた。
「この子たちがいるから、自分はラグビーに携われている。ほんまに感謝しかないですよ」
稲田鎮・元主将(3年)は「怒るとめっちゃ怖い。けれど、本当に僕らのことを思ってくれていると分かるから、嫌いになれません」と話す。
山本さんは日本体育大を卒業後、奈良で保健体育教師になった。配属先は奈良市秋篠町にあった奈良工業高(現・奈良朱雀高)の定時制。ラグビー部をつくったが、人が集まらず、5年もたつと自然消滅に近い状態になった。
「生徒も集まらんし、教師の仕事も忙しい。仕方ないわ」。それから10年ほど、ラグビーから離れた生活を送った。
転機が訪れたのは約20年前。テレビをつけると、知っている顔が画面一杯に映った。大学時代のラグビー部の先輩が、強豪ラグビー高校の監督になっていた。
高校や大学で一緒にプレーした仲間たちが、指導者として頭角を現し始めていた。昔のチームメートに久しぶりに会うと言われた。
「シンゴ、お前何やってるんだよ。お前がラグビーで出てこないでどうする」
ラグビーと出会う前の荒れた少年時代のことを思い出した。後悔で、胸が苦しくなった。「俺はいつもこうや。すぐに楽な方に流れてしまう。ぬるま湯につかってしまう。なんでラグビーから離れてしまったんや。俺の人生、これでええんか」
「ルールのある男のけんかや」誘った先生に
山本さんは京都市出身。中学3年生で身長178センチ、体重90キロ。髪はパンチパーマで、夜の街に繰り出した。けんかになれば、自分を抑えられなくなった。中学校名から「弥栄(やさか)のシンゴ」と呼ばれ、ほかの不良少年たちに恐れられた。
1976年、伏見工業高(現・京都工学院高)を受験した。合格発表の日、自分の番号を確認してから、1人で校内を歩いていると、体育教官室の前で声をかけられた。
「おお、お前がシンゴか。一緒にラグビーやらんか」
いきなり呼び捨てにされたこと…
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