星川在住 長谷川大悟さん陸上・三段跳び 「東京五輪は集大成」 | 保土ケ谷区 | タウンニュース – タウンニュース

花のつくりとはたらき

星川在住、30歳。仏向小から橘中学、桐蔭学園、東海大学、日立ICTビジネスサービスを経て現在は伊藤超音波(株)所属。普段は大和市内を拠点とするが、区内でランニングすることも。お気に入りは「緑豊かな」保土ケ谷公園周辺。練習後には上星川の温浴施設で汗を流し、「好物」だというしゃぶしゃぶを16号線沿いのレストランで味わうことも多い。

 水たまりをできるだけ少ない歩数で跳び越える古代アイルランドの「技くらべ」が競技化したとされる陸上競技・三段跳びで、東京五輪をめざす選手が保土ケ谷区内にいる――。星川に暮らす長谷川大悟選手(30)が「ホップ・ステップ・ジャンプ」の3歩で跳ぶ距離は最長16m88cm。小学校や中学校の一般的な体育館の横幅が、おおよそこの距離。電車1両を3歩で飛び切る計算になる「跳人」だ。

 坂本小学校に入学し、5年生の時に仏向小学校に転校。小学生時代は理科実験クラブとパソコンクラブに所属。「スポーツが苦手だった」という長谷川さんだが、橘中学校入学と同時に友人から誘いを受け陸上部の門を叩いた。高校2年の秋、走り幅跳びから三段跳びに転じ、2007年の国体で2位。東海大学に進み3年時に日本インカレで初優勝した。

 身長173cmと跳躍競技の世界では小柄だが、地道に挑戦を続け、リオデジャネイロ五輪を控えた16年4月の大会で自己記録を更新。日本歴代4位となる16m88cmを跳び、自身初の世界の舞台となる五輪出場を手繰り寄せた。

リオで屈辱の予選落ち「もう一度あの舞台に」

 夢にまで見た「世界最高峰の舞台」。4年半前の夏、乗り込んだ南米の地では実力を発揮することはできず16m17cmで予選落ちに終わった。「世界のトップに立つの選手たちとの競技に対する意識、覚悟の違いを目の当たりにした。悔しい気持ちしか残らなかった。同時に『何としても、もう一度出たい』という気持ちが沸々と沸き上がった」という。出場した者だからこそ得た経験が、大きな転機となる。

退路を断ち新たな一歩プロアスリートに転向

 帰国すると、すぐに4年後の東京五輪を見据え動き出した。大学卒業後、多くの選手がそうであるように、企業に所属し仕事と両立しながら競技を続ける実業団選手として世界の舞台をめざしてきたが、「2020年に全てを尽くしたかった」と17年に所属先を退社。退路を断ち「プロのアスリート」として、新たな一歩を踏み出した。

 練習に充てられる時間は増えた一方で、競技を続けるための資金調達のため奔走。単身、スポーツ用品メーカーや企業を巡った。その姿が米大リーグで活躍する前田健太選投手や重量挙げの三宅宏実選手など、多くのトップアスリートに治療機器などを提供している物理療法機器メーカー「伊藤超音波(株)」(埼玉県)の倉橋司社長の目にとまり、東京五輪へ向けサポートする体制で社員として迎えられた。

コロナ禍「今できること」道路や坂でトレーニング

 リオ五輪から4年、「全力を尽くし」めざしてきた東京五輪の舞台だったが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で3月に大会延期が決定。「特に悲観する感情はなかった。延びた期間はプラスに使える」。事態を冷静に捉え前を向いた。

 本来であれば東京五輪を掛けた戦いへ向け最後の調整期間になるはずだった初夏には、緊急事態宣言下で拠点としている陸上競技場やジムは閉鎖。この活動自粛期間中、「今できることを」と道路や坂道で基礎トレーニングを続けていたという。「普段トレーニングができていることの尊さ、普通の生活が成り立つことの幸せを見つめ直す貴重な時間だった。だからこそ最善を尽くすことの大切さを改めて確認できた」

全てを尽くす戦いの場へ6月の選考会で切符奪取へ

 4年前「全てを尽くす」と心に強く誓った戦いに挑むことになる今年。「東京五輪は集大成」。淀みなくそう話す。「五輪での悔しさは五輪の場でしか晴らせない」。2度目の五輪出場切符をその手に収めるべく、6月の選考会へ全精力を傾ける。

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