理念なき学校
新型コロナウイルス感染症の流行は、働き方を大きく変えました。在宅勤務が増え、大都会で暮らさなくても良い環境が出現したと言えます。全国どこに住んでも働ける可能性が広がりましたが、子どもが学齢期になると教育環境の問題が生じます。現状でも、中学校や高校から親元を離れて暮らす子どもはいますが、大半は自宅通学でしょう。居住地が子どもの将来に影響を及ぼす可能性があります。
一方、少子化のため地域に高校があるのが当たり前という時代ではなくなりました。高校の再編も進んでいます。普通科高校と専門高校が統合されるケースも多くなっています。住む場所によっては、わが子の進路が限定されるということになりかねません。自治体は、自らの土地を選んでもらうためには、教育環境の整備が欠かせなくなります。今回は、教育環境の面からどのような場所を選べば良いのか、反対に都市部からの移住者を増やすためには公立高校をどのようにすれば良いのか、を考えます。(時事通信社解説委員 内部学)
そもそも、高校とはどういう学校なのでしょうか。国の教育に対する理念である教育基本法の第2章は、義務教育、大学、私立学校については書き込まれていますが、高校はありません。つまり、国の理念がない学校と言えます。学校教育法50条には「高等学校は、中学校における教育の基礎の上に、心身の発達及び進路に応じて、高度な普通教育及び専門教育を施すことを目的とする」とありますが、基本法に書き込まないのは、立法府の怠慢です。できるだけ早く、基本法に盛り込むことを望みます。
実は、理念なき学校のため、学習指導要領の改訂に翻弄されてきた歴史があります。ひと昔前までは、物理を履修する高校生は少数派でした。「理科総合」という科目が必履修だったことから、物理、化学、生物、地学の理科4科目のうちの2科目を選んでいたためです。私の娘は現在30歳ですが、彼女が高校生の頃の物理Ⅰ(現在の物理基礎に相当)の履修率は約25%、物理Ⅱ(現在の物理に相当)は約12%でした。科学技術創造立国を掲げる日本ですが、将来は暗い。
高等教育にかける国費が少ないこともありますが、科学の基礎学問とも言える物理の履修者があまりにも少ない。12%全員が、研究者やエンジニアになるわけではないので、圧倒的に不足しています。また、「地学」(旧「地学Ⅱ」)を履修する生徒は、本当にわずかです。地震や水害の多い日本で、気象や地質を研究する学者の卵となる高校生がこのような状況では、一体どうなるのでしょうか。
その頃、社会科の「現代社会」は必履修科目でした。主要大学はこの科目を入試科目にしていませんでした。もちろん、入試に必要がないから勉強しないというのはよくないのですが、既存科目の「政治・経済」や「倫理」との違いが分かりにくい。時代に沿って教科や科目をどのようにするのかという議論は必要ですが、教育課程や大学入試全体を見渡した思想を感じられません。
英語の授業時間数もそうです。グローバル化を声高に叫ぶ人は多いのですが、高校生全員が他の科目を減らしてまで、英語を勉強しなければならないことなのでしょうか。自分ができなかったことを、現在の高校生に押し付けているのではないでしょうか。私は、理科を軽視してきたこれまでの政策が、日本の産業界に大きな禍根を残したような気がしてなりません。
自治体には学区の拡大や撤廃について、もう少し丁寧に考えてもらいたいと思います。大学入試での公立高校の復権を掲げるのはよいのですが、塾に通えない家庭の子どもがトップクラスの高校に進学できないようでは、公立高校の役割を放棄していると思います。中学校の勉強だけでトップ校に進学できるよう、いろいろな施策を用意しなければなりません。分かりやすい授業の実践は言わずもがなですが、県内中学生が全員参加する統一模擬試験の実施も不可欠でしょう。
さらに、大都市圏では一部の高校に中退者が集中するケースがあります。ここ数年の全国の中退率は1.4%程度。一方、中卒の求人数は数えるほどです。公務員の採用条件は高卒以上ですので、高校中退の就職はかなり厳しいのが現実です。中退者ゼロを目指し、魅力のある学校づくりをする必要があります。
もう一つ。ハッピーマンデーは、学校現場を苦しめています。月曜日の祝日が増えたことで、授業時数が減り、毎月のように時間割を変えざるを得なくなっています。観光業振興は大切ですが、人材育成を担う教育にしわ寄せがいっては、元も子もありません。大体、日本は祝日が多過ぎます。国は祝日をやみくもに増やすよりも、有給休暇を取得しやすくするのが先決でしょう。
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