【大学ランキング】夏の五輪、出身大学1位は? 福原愛も選んだ「早大トップアスリート入試」の裏側(Number Web) – Yahoo!ニュース

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 日本のオリンピックの歴史は大学抜きには考えられない。戦前のアマチュアリズムの時代から企業スポーツ隆盛の時代へと移ってもなお、両者の親和性は極めて高い。
 なかでも、近年大学生オリンピアンを多く輩出しているのが、早稲田大学である。日本大学と日本体育大学の2強にいかにして、加わっていったのか――。その歴史を振り返る。
※本稿は、小林哲夫著『大学とオリンピック1912-2020』(中公新書ラクレ)の一部を抜粋したものです。

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 2012年ロンドン大会。サッカー女子の岩渕真奈(駒沢女子大)は11年サッカーワールドカップ大会優勝の最年少メンバーだった。水泳で銅メダルを獲得した星奈津美(早稲田大)は高校時代に北京大会に出場しており、その実績が評価されて、早稲田大のトップアスリート入試(世界大会出場レベルを選考)を受けて入学している。同入試について、早稲田大はこう説明する。

「この入試制度は、スポーツ科学に強い関心を持ち、在学中あるいは卒業後にトップレベルの競技スポーツ選手として、国際大会で活躍し得る者の入学を期待しています。そのため、出願資格は出願時点でオリンピックや世界選手権などの国際的レベルの競技大会への出場経験またはそれに相当するレベルの競技能力を有することとしています」(同大学ウェブサイト)

 早稲田大関係者のオリンピック代表について、トップアスリート入試導入の前後を見ると、2000年8人、04年8人、08年14人、12年9人、16年17人となっており、成果が示されたと言っていい。1936年ベルリン大会の47人、64年東京大会の43人には遠く及ばないが、1980年代以降、日本大、日本体育大の二強に優れた高校生が入学する現状が長く続いたことを考えると、なかなかの善戦ぶりだ。

2007年には福原愛が早稲田大学に入学

 卓球代表の福原愛も2007年に早稲田大のトップアスリート入試で入学している。青森山田高校時代、04年アテネ大会に出場し、十分に世界レベルだった。彼女は08年北京大会の代表となったが、メダルには届かなかった。福原はそれから、09年4月で早稲田大学卓球部の活動をやめ、物流会社サンリツ卓球部に所属して日本リーグに参戦し、さらに海外で行われるITTFプロツアー、中国のスーパーリーグに戦いの場を求めた。より高いレベルで実戦を繰り返し、スキルを磨きたかったからだ。これでは早稲田大に通うことはできない。10年3月、福原愛は早稲田大を退学した。

 その後、福原は2012年ロンドン大会、16年リオデジャネイロ大会の代表となり16年では念願のメダルを獲得している。ところが、この2つの大会で、福原の出身校は早稲田大ではなく、青森山田高校となっている。08年は早稲田大である(JOCの選手団名簿記載)。早稲田大の「夏季オリンピック早稲田大学関係出場者」には08年にのみ掲載されており、12年と16年は早稲田OGのオリンピック代表として福原愛の名前は載っていない(同大学ウェブサイト)。中退のオリンピック選手は早稲田大学関係出場者には含まれない、という大学の考え方であろう。早稲田といえば中退が売りになった時代はあるが、オリンピックでは通用しないということらしい。

 2016年リオデジャネイロ大会では大学生金メダリストが6人も誕生した。萩野公介(東洋大)、レスリングの登坂絵莉と川井梨紗子と土性沙羅(以上、至学館大。10年に中京女子大から改称)、体操の白井健三(日本体育大)、柔道のベイカー茉秋(東海大)である。陸上男子4×100メートルリレーで銀メダルメンバーの桐生祥秀(東洋大)は、17年、日本で最初に100メートル10秒の壁を破った。大学在学中のことである。

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