筆者が最近読んだ記事によると、医療の分野において、オーダーメード医療が注目されているそうです。今の一般的な医療では、同じ病気の患者には同じ薬を同じ量使うことがほとんどですが、これはよく考えてみるとおかしなことです。なぜなら、患者の体重、年齢、体力、免疫力、遺伝的資質、体質、症状などには大きな個人差があるためです。
それで、来るべき時代においては、そうした個人差に配慮したオーダーメードの医療が行われるようになり、当然、技術的にもそれが可能な時代になってきたということです。これはとてもありがたいことですので、ぜひ推進していただきたいと思います。
いまだに大人数授業が主流
さらに考えてみれば、医療以外の分野でも、サービスというものは時代が進めば進むほど、個別のニーズに応じていくのが自然の流れです。それが文明社会の進歩発展というものではないでしょうか。レストランでも、以前よりも柔軟に個別対応をしてくれます。例えば、筆者は鶏、豚、牛などの肉類が苦手なので、コース料理の中に肉料理が含まれているときは魚介類にしてもらいます。
筆者のある教え子は仕事柄、スーツをよく着るのですが、最近はオーダーメードで作ってもらっているとのこと。自分の体に合っているので、着心地がよくて動きやすい上に見た目もよくて最高だそうです。住宅建築、生命保険、ランドセル、アクセサリー、カツラ(ウイッグ)、家具、靴、化粧品、サプリメント、時計、椅子、枕などにおいても、オーダーメードが人気とのことです。
これらのサービスに比べて、教育の分野は実に遅れていることが分かります。特に学校教育は遅れています。教育も広い意味でのサービスであるには違いないので、個別のニーズに応じたオーダーメードを取り入れる必要があります。
同じ学年の子どもでも、学力、集中力、資質、向き不向き、興味関心、本人の希望などは千差万別なので、それらに応じて個別対応できるオーダーメードの教育・授業を進めるべきです。そして、その方が子どもは楽しく頑張ることができ、当然、学力も向上します。
現状、日本の小中学校においては、1クラス最大40人の子どもを1人の先生が教える一斉授業が基本です(小学1年生のみ最大35人)。ところが、同じ学年の子どもでも個人差は非常に大きいです。特に算数・数学や理科などの科目においてはそれが顕著です。
クラスの中には、授業を受ける前から、その内容を全て理解している子もいますし、それどころか、数年先の学年の内容まで理解している子もいます。一方、授業内容を理解するどころか、その数年前の学年の内容さえ理解していない子もいるのです。
従って、授業に当たり、先生は学力が「中位の下」か「下位の上」くらいのところに焦点を当てて進めることになります(筆者は「中位の下」「下位の上」といった言葉を使うのは好みませんが、他に適切な表現がないため使用します)。すると、学力が高い子たちには分かり切った内容になるので面白くありません。
逆に「下位の中」や「下位の下」にとっては、それでもまだ理解できない授業になります。そういう子たちは授業中に分からないまま座っている時間が長いのです。学年が上がれば上がるほど、その時間は長くなります。
これに比べて、民間の塾や家庭通信教材などにおいては、既にオーダーメード教育を実現しているところがたくさんありますが、それを可能にしているのがパソコンやタブレットなどの端末を使うIT教材です。
これらの教材はアニメーションや、講師が話す動画で学習内容を教えてくれたり、練習問題で定着させてくれたりします。練習問題にしても、その子の習熟度に応じた問題が出されるため、解ける問題は次第に出なくなり、苦手な問題やその類似問題が繰り返し出されます。
無駄なく効率的に勉強することができますし、できる子はどんどん進んでいけるのです。つまずいている子は同じ場所を踏み固めることができますし、必要に応じて前の学年の勉強も復習することができます。まさにオーダーメードの勉強です。
「GIGAスクール構想」への懸念
さて、このように遅れていた学校におけるオーダーメード教育ですが、最近になって、やっと明るい兆しが見えてきました。2019年に文部科学省が「GIGAスクール構想」というものを打ち出したためです。文科省によると、GIGAスクール構想とは次のようなものです。
1人1台の端末と、高速大容量の通信ネットワークを一体的に整備することで、特別な支援を必要とする子どもを含め、多様な子どもたちを誰一人取り残すことなく、公正に個別最適化され、資質・能力が一層確実に育成できる教育ICT環境を実現する。筆者はこのGIGAスクール構想によって、遅れていた学校におけるオーダーメード教育の進展が期待できるのではないかと思います。
ただ、文科省の資料を見て、筆者が少し心配になるのは、せっかく1人1台の端末(パソコンやタブレット)を用意しても、それを「一斉授業の中で活用する」というイメージが根強くあるように感じられることです。現場の先生たちに聞いても、そのように捉えている人が多いようです。
文科省の関連動画を見てみましたが、一斉授業において、教材や資料を効果的に提示することや、一斉授業の中における練習問題を各自が効果的に行うなどのイメージが強いように見受けられます。
ただ、いくら1人1台の端末を使っても、それで子どもの学力差を均等にできるわけではないので、学力が下位の子たちが一斉授業についていけずに落ちこぼされるという状況は今と変わらなく続いてしまいます。こんなことでは、1人1台の端末を用意しても全く意味がありません。
もちろん、一斉授業の中でも、練習問題をやるときは子ども各自のレベルに応じた問題に取り組めるという利点はあると思います。ただ、それだけではあまりにももったいないです。せっかく1人1台の端末を用意するなら、一斉授業の中で使うのではなく、もっとオーダーメードな学習に特化した方がよいと思います。
つまり、民間で使われているように、各児童・生徒が自分のペースで学習全体を進める方法です。これなら、理解できないところがあればそこをしっかり踏み固めることができますし、必要に応じて、前の学年の勉強に戻って踏み固めることもできます。また、理解できた子はどんどん次に進んでいくことができます。
これなら、例えば、算数・数学が得意な子は小学生でも中学や高校の数学が学べます。理科が得意なら理科の学習をどんどん進めることができます。歴史が得意なら、大学レベルの歴史の知識が得られますし、国語が得意なら小学生でも古文や漢文が学べます。
ですから、今ある「○年生はここからここまで」という学習指導要領による枠組みも取り外していいのではないでしょうか。そして、一斉授業はクラスの課題や行事の企画について話し合うとか、白熱教室のような倫理上の問題について討論するなどの場合に限定すればよいと思います。このような話し合いなら、学力の格差に関係なく民主的な話し合いが可能になります。
大きな学力差があることを不問に付したまま、教科学習における一斉授業の話し合いをこれからも続ける必要はありません。それは、子どもたちの貴重な時間とエネルギーの浪費でしかありません。
(教育評論家 親野智可等)
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