日体大OB・奥村隆太郎さん、母校・洛南高で全国の頂へ! 伸びる秘訣は「準備」 – 4years.

基本問題


M高史

2022/03/02

(最終更新:

洛南高校陸上部顧問の奥村さん(左)。22年ぶりに1500m高校記録を更新した佐藤選手と(写真は全て本人提供)

今回の「M高史の陸上まるかじり」は洛南高校(京都)陸上部顧問・奥村隆太郎さん(35)のお話です。自身も洛南高校で全国高校駅伝(都大路)に出場し、日本体育大学では箱根駅伝を走りました。実業団・JR東日本で競技を続けて現職へ。教え子には東京オリンピックで3000mSC入賞の三浦龍司選手(順天堂大2年)や、2021年シーズンに1500m、3000m、5000mの3種目で高校最高記録をマークした佐藤圭汰選手(3年、春から駒澤大へ)をはじめ、日本陸上界の新たな扉を開くような選手たちが活躍しています。洛南高校の皆さんや卒業生で活躍する選手たちのルーツを学ぶべく、奥村さんの陸上人生からじっくりとお話を伺いました。

駅伝で仲間と全国へ

大阪生まれ、京都育ちの奥村さん。小学校でバスケットボールをしていたところ中学校にバスケ部がなく、体力作りの一環で陸上部に入りました。「現役時代、誇らしい結果はありませんでしたが、仲間たちと府駅伝、近畿駅伝を目指してやっていました。今、生徒たちがやっているようなことを私も中学、高校とやってきましたね」と奥村さんは懐かしそうに振り返ります。

中学時代の奥村さん(左)

高校は名門・洛南高校へ。元マラソン日本記録保持者の高岡寿成さん(現・カネボウ陸上競技部監督)、短距離では桐生祥秀選手(現・日本生命)をはじめ数多くの名選手を輩出してきました。奥村さんの1つ先輩にも四天王と評された松岡佑起さん(現・大塚製薬陸上競技部男子部アシスタントコーチ)がエースとして活躍されていました。

2年生、3年生と都大路のメンバーに。「地元・京都の代表ということで特別な思いでしたね。今でも鮮明に覚えています。普段、通学路のように通い慣れた道ですし、地元の先生、友達が応援に来てくれる特別な大会でした」。2年生ではアンカーの7区、3年生では3区を走りました。

「今思うと高校3年間が人生の基盤になっていますし、洛南高校を選んで良かったです。今指導する側になって、生徒たちが送る3年間がそうなってくれればいいなと思っているので、当時を思い出しながら指導していますね」。ちなみに当時から体育の教員になりたいという思いがあった奥村さんですが、「指導者になりたい気持ちはありましたが、まさか母校で指導できるとは全く思っていなかったですね!」と想像もつかなったそうです。

2年生では都大路のアンカー・7区を務めました

けがを乗り越えて日体大で箱根出場

高校卒業後は日本体育大学へ。2つ上に保科光作さん(現・慶應義塾大学競走部ヘッドコーチ)、1つ上に北村聡さん(現・日立女子陸上競技部監督)といった学生長距離界を熱くする先輩方がいました。「強い先輩方もいらっしゃって勉強になりました。保科さんにしても北村さんにしても絵に描いたような負けず嫌いでしたし、日頃の取り組みやマインドなど勉強させていただきました」。強い先輩に囲まれて競技に打ち込んできた奥村さんでしたが、学生時代はけがが多く苦しい思いもしてきました。

「自分がなかなかレギュラーになれず苦しんでいましたが、それも含めて非常にいい大学4年間を送らせてもらいました。3年生まで走れず、チャンスはあと1度と思って強い気持ちで最後の1年取り組めました」。4年生でついにメンバーの座を射止め、初の箱根路は7区を走りました。「箱根駅伝を走れた経験があったからこそ今があると思っています。日体大に進学をさせていただいた目標の1つに箱根駅伝を走りたいという思いがありました。けがが長かった中、無事に乗り越えられて良かったです」。箱根駅伝を走った経験は今に活(い)きていると言います。

けがを乗り越えて、箱根駅伝では4年生で7区を走りました(左が奥村さん)

実業団を経て、指導者の道へ

大学卒業後は実業団・JR東日本で競技を続けました。「まさか実業団で競技を続けられると思っていなかったので、お声かけいただいて、チャンスをいただけたのはありがたかったですね」。東日本実業団駅伝、東日本実業団選手権にも出場。実業団選手としては3年間競技を続けました。

「けがの多い現役生活でした。けがに苦しんだ反面、けがに育てられた競技生活でもありました。箱根駅伝を走れたことも、都大路を走れたことも私にとっては誇りですが、それを目指してけがを乗り越えたということの方が今の指導には活かせているので、本当に私の財産です。現役時代にやっておけば良かったと思うことを今の生徒たちにさせているので、けがをしてきた経験がやっと活かせています。年齢を重ねるごとにいろんな人から教えをいただいて、1周まわって高校生に私の口から教えることができてますが、その中身はいろんな人から教わったことなんです」と、けがに苦しんだ経験や周りの方から学んだことが指導につながっているそうです。

JR東日本での競技を終え、1年間社業に専念した後、母校・洛南高校の教員になりました。「自分には荷が重いと思いましたし、なんで私なんだろうと思っていました。今でこそ高校駅伝で記録が出て、インターハイで優勝する子、入賞する子が出てきているので、手応えは実際感じてはいますが、私じゃない誰かがやっていたらもっと結果が出ているかもしれませんし、『私なんかが』というのは今でも感じる日はありますね」と謙遜される奥村さん。名門校の指導者を引き継ぐプレッシャーが奥村さんの言葉からも伝わってきますね。

特に就任当初は、「その年の3月まではサラリーマンをしていたので、ゼロからのスタートでした。指導経験が全くない状態で洛南高校に来ましたので。何が苦労かも分からないところで突っ走っていました。1年目は私の恩師でもある前任の中島道雄先生のご指導をなぞるような指導だったり、自分の高校時代の練習日誌を引っ張り出してきて思い出しながらだったりと指導していましたね。実際に結果が出せずに、生徒たちに悔しい思いをたくさんさせてしまいましたので、そういう意味では最初のうちはうまくいかなかったと反省しています」。少しずつ変えていきながら、年々積み重ねていきました。

ターニングポイントとなった都大路入賞

指導の手応えを感じ始めたのは2015年、就任3年目の都大路でした。「洛南高校が今の位置まで来られるようになったのは、今はSGホールディングスで活躍している阪口竜平くん(東海大~SGホールディングス)が3年生だった時の、洛南高校が10年ぶりの入賞となる6位に入った時ですね。私が初めて3年間継続して指導した子たちが阪口たちでした。その子たちが今まで入賞から遠ざかっていた洛南を入賞チームに戻してくれた押し上げてくれました。1つ手応えを感じましたし軌道に乗り始めましたね」。これがターニングポイントとなりました。

高校時代に全国高校選抜10000m5位入賞を果たした阪口選手(右)と

「なかなか結果が出せず、入賞できない時代が続いたのですが、中島先生時代から指導のコンセプトを大きく変えずにやって入賞することができました。当時の京都府新記録でしたし、今までやってきたことは間違いないと自信を持つことができました。生徒たちも自信が顔つきに表れるようになりましたね」。方法やコンセプトは大きく変わっていないと奥村さんは言います。

「トレーニングでも特に変わったことはしていませんが、ウォーミングアップや練習前の準備に非常に時間をかけています。ジュニア期、高校生の年齢に必要なことはうちの練習の中に凝縮されていると思っているので、継続して繰り返すこと、そこは大事にしてやっています」

毎年中学を卒業した生徒さんたちが入学してくる中、「身長も伸びますし、体つきも変わってきます。子どもたちも一人ひとり違いますから、全て型にはめるようなことはしていません。その中でも意識しているのは体の使い方ですね。筋力を増やすだけでなく、どこの筋肉を使うとかどこの関節を動かすとか、少しでも理解しやすいような形で指導しています。あとは柔軟性ですね。関節を正しく使うことが大事だと思います」。洛南高校の選手の皆さんの力強くてしなやかなフォームは、こういった指導がつながっているんですね。

しなやかで力強いランニングフォームの代表格と言えば、東京オリンピック日本代表の三浦龍司選手ですね! 「入学時から非常にポテンシャルは高く、運動能力に長(た)けていました。(3000mSCに向けては)普段のジョグの中で障害を跳ぶ他、洛南高校は短距離チームも全国トップレベルで110mHでもインターハイのチャンピオンもいるので、短距離チームからのノウハウやアドバイスもいただきながら、3000mSCの指導もさせてもらっています。そこは洛南の大きなアドバンテージだと思います」。三浦選手は高校時代に3000mSCで30年ぶりに高校記録も更新。昨年の東京オリンピックでは日本人初の7位入賞も果たしました。

佐藤圭汰選手の快進撃

更に2021年度、高校長距離界の新たな扉を開いた佐藤圭汰選手。1500m、3000m、5000mの3種目で日本高校記録を更新する快挙。奥村さんは佐藤選手について、「能力、ポテンシャルも高い選手ではありますが、彼の一番の魅力はメンタル、志の高さ、マインドのところだと思います。前半から積極的に走るというのはそのレースだけで完結するのではなく、次の世界を見据えているからこそ、ああいうアグレッシブなことができます。そこが佐藤の一番の魅力だと思っています。本当に負けず嫌いですし、現状に満足しない選手ですので、そういう意味ではまだまだこれから楽しみだなと思っています」

佐藤選手(中央)は5000mでも13分31秒19と高校記録を更新(左隣が奥村さん)

奥村さんが選ぶ佐藤選手の最も印象に残っているレースについてうかがったところ、「たくさんいいレースを見せてくれましたが、インターハイ5000mの決勝ですね。洛南高校としてインターハイ総合優勝を狙う中で、彼からしてみたら1500mを2本(予選、決勝)走って、5000m予選を走り、5000m決勝は暑さの中での4本目のレースとなりました。結果的に留学生には敗れはしましたが、チームの総合優勝を決定づける4位入賞(日本人トップ)を果たしてくれ、本当に気持ちのこもった走りをしてくれたなと思っています」

2021年度、洛南高校はインターハイでも総合優勝を飾りました(後列右端が奥村さん)

チームの主将も務め、責任感も強いという佐藤選手。「メンバーになれなかった仲間の分までという情に厚い生徒です。そういう気持ちが彼のしぼり出しにつながったのかなと思います。都大路でも留学生に勝つと1年間目標に取り組んでいました。本人からすれば悔しい結果だったでしょうが、私としては立派に戦ったと思っています」

その都大路で洛南高校は2時間01分59秒と、なんと2時間01台に突入。前年にマークした2時間02分07秒の高校最高記録を更に更新し、2位となりました(高校最高記録は日本人のみの記録、高校国内国際最高記録は留学生が含まれた記録)。

「1年1年、生徒たちが変わるので中身も変わっていきます。特にその年の3年生が満足のいく結果になればいいと思っています。どのくらいの結果で満足するのかは彼ら自身にしか分かりませんが、今年の悔しさも踏まえて次の3年生が満足するような1年にしていきたいと思います」と、常に前を見据えて指導にあたっています。

都大路では2時間01分59秒と高校最高記録を更新し、2位となりました(後列左端が奥村さん)

指導者としてのやりがい、挑戦

普段の指導では「1人の高校生としてふさわしい人間になってもらいたいですし、育ってもらいたいです。走れていればそれでいいとか、競技ができるからそれでいいというのではなく、応援されるような選手になりなさいという意味で、生活面や学習面を含めて厳しく指導はさせてもらってます」

保健体育科の教員で、担任も持っている奥村さん。「陸上部以外の生徒の指導、いろいろな仕事をさせていただき、いろいろな経験をさせていただき、指導に活かせていますし、陸上部の指導が他の仕事にも活かされています。私にとっては重要な時間だなと思っていますね」。陸上部顧問として、保健体育科の教員として、担任として奥村さんも毎日を現状打破されています。

指導者としてのやりがいについて、「本当にたくさんいろんなところにやりがいを感じています。卒業式の日に『洛南に来て良かったです』と生徒が言ってくれるのが一番のやりがいですね。またこれから指導者としてもう少し年数を重ねていけば、大人になった子たちがそんなこと言って帰ってきてくれたらいいなと思ったりはします」

東京オリンピックがかかった昨年の日本選手権で、日本新記録(当時)で優勝した教え子・三浦選手(右)と

洛南高校OBの活躍について、「卒業してなお活躍してくれるのは嬉(うれ)しく思います。(大学、実業団で伸びていくひけつは)準備を大切にすることですかね。大学、実業団でもその考え方が活かされていると思います。また、高校時代にいろんな動き作りを時間をかけてやっているので、そういったことが後で伸びる要因だと思います。逆にそこに時間をかけていて、実際に走行距離はそんなに多くないので伸びしろは残せているのかなと思っています」

奥村さんの指導者としての挑戦はこれからも続きます

今後の目標について、「洛南高校として都大路優勝がないので、地元の学校として地元の代表として都大路で優勝するというのは私の目標でありますし学校としての悲願でもありますので、まずはそこに向けて頑張っていきたいと思います」と話されました。

取材中、言葉の一つひとつから奥村さんのお人柄、真面目さ、謙虚さ、真摯(しんし)さが伝わってきました。これからも現役の洛南高校の皆さん、卒業生の皆さんの活躍、そして奥村隆太郎さんの指導者としての挑戦に注目ですね!

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